今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

995 那須野(栃木県)沃野なり水無き原の那須疎水

2021-11-29 11:50:47 | 群馬・栃木
東北新幹線で北に向かう時、私はなるべく左の窓側の席を選ぶ。小さな里山に抱かれて農家が点在するという、ニッポンの温もりの風景が連続する地域があるからだ。ところがそれがいったいどの辺りなのか、何度も通過しているのにボンヤリしたままだ。宇都宮より北、郡山より南であるのは確かなのだが、北へ急ぐ私は、いつもその辺りの駅を飛ばす列車を選んでいるから特定に至らない。それがついに確認できた。ポイントは「那須野ヶ原」だ。 . . . 本文を読む
コメント

994 大田原(栃木県)団結のイチョウに残照輝いて

2021-11-28 17:56:54 | 群馬・栃木
冒頭の写真には、その街で最も印象に残った一枚を選んでいるつもりだ。そうやってたくさんの街を歩き、書いてきたけれど、市庁舎そのものを掲げるのは初めてかもしれない。晩秋の残照に映える大田原市役所は、それほど美しかったのだ。東日本大震災で旧庁舎が倒壊し、ほぼ8年をかけて新築された庁舎だという。市民の多くが被災し、土壌は放射能汚染され、風評被害に苦しんだ街だ。黄に色づく広場のイチョウは「団結の樹」と呼ばれている。 . . . 本文を読む
コメント

993 白河関(福島県)一人来て白河の関冬構え

2021-11-26 22:53:53 | 山形・福島
パンデミックで空港などの水際対策の重要性が再認識されたが、これは現代の「関」の強化ということだ。古代、この列島で初めて誕生した国家権力である大和朝廷は、外敵からの侵入を防ぎ、国境の防備を固めるために「関」を設けた。飛鳥時代から奈良時代にかけて鈴鹿・不破・愛発の「三関」が営まれた。つまりはこのラインが当時の大和政権の国境だったわけだ。平安時代になるとそのラインは、勿来・白河・念珠の「奥羽三関」へと拡大する。 . . . 本文を読む
コメント

992 白河(福島県)わが街は「楽しくあれ」と笑顔満ち

2021-11-25 20:45:51 | 山形・福島
勤労感謝の日だから学校は休みだろうに、小学生の集団が列をなして歩いて行く。城跡公園の方角だから、お城で校外学習があるのだろうか。閑散とした朝の駅前大通りを行く私は目立つ存在なのだろう、まず先生が「こんにちわー」と大きな声を掛けてくる。低学年は続いて一斉に「こんにちわー」と笑顔を向けてくれる。しかし高学年ともなると先生の声に唱和することなく、ぼそぼそと声が小さい。福島県白河市で知る「子供の成長の証」である。 . . . 本文を読む
コメント

991 身延(山梨県)霊山はどんなところかやって来て

2021-11-18 10:53:59 | 静岡・山梨
身延駅を出た路線バスはゆるゆると富士川を渡り、小さな街に入って行く。高校があって、下校時の生徒がたむろしている。登り坂が急になると門が道を塞いだが、バスは構わず潜って進む。久遠寺の境内に入ったのかもしれない。高野山と雰囲気が似ていると感じたのは当然で、比叡山と合わせ、ここ身延山は「日本仏教三大霊山」なのだそうだ。終点で降り、水晶細工や仏具・土産物の店が並ぶ道をさらに登ると、とんでもなく大きい三門が現れた。 . . . 本文を読む
コメント

990 富士宮(静岡県)富士のふもとの温かな笑顔

2021-11-16 08:44:24 | 静岡・山梨
大きな富士山に見守られ、広場を駆け回るチビッコたち。実に豪奢なロケーションだが、これは富士山麓の街にだけ許される贅沢である。ところが、通りで出会う街の人たちは、こんなに晴れ上がった冠雪輝く富士を、誰も見上げようとしない。大喜びでカメラを向けているのは私くらいのものだ。皆さんすでに朝の挨拶を済ませた後なのか、そこにあるのが当たり前の富士に、いちいち驚いていられないのだろう。もったいないほどの富士宮である。 . . . 本文を読む
コメント

989 富士(静岡県)いつもそこにある富士と煙突の煙

2021-11-14 22:01:05 | 静岡・山梨
静岡県は遠江、駿河、伊豆の3つの国が合体した大きな県だ。真ん中の駿河国の東に「岳南」と呼ぶエリアがあることを、静岡に転勤した30年前に初めて知った。富士山の南麓に広がる、東の愛鷹連山と西の富士川に挟まれた地域のことで、南は駿河湾の最奥部にあたる。広大な富士の裾野に古くから営まれた多くの村々が合併を繰り返し、明治になって「富士郡」に編入された。その後も合併は続き、現在は富士市と富士宮市に収斂している。 . . . 本文を読む
コメント

988 神田(東京都)江戸っ子だって? 神田の生まれよ

2021-11-04 08:30:39 | 東京(区部)
「江戸っ子だってねぇ」「おぅ、神田の生まれよ」と、森の石松が船中の客とやりあう広沢虎造の名調子『清水次郎長伝』を、ラジオで聴いた幼い記憶がある。その際、越後の稲田を遊び場としていた少年は「江戸っ子とは都会人、神田はその中心地なのだろう」と覚え込んだ節がある。さほど的外れではなかったものの、東京に出てきて長くなるというのに、元少年は未だに「神田」が掴みきれていないような、落ち着かない気分になることがある。 . . . 本文を読む
コメント

987 水道橋(東京都)街を歩くとは水を辿ることなり

2021-11-01 05:57:47 | 東京(区部)
「水道橋」は水道を通すための水路橋を言う普通名詞だが、東京者が「すいどうばし」と耳にすれば、思い浮かぶのは後楽園がある辺りの街のことだろう。そこを通過する総武線の駅名に過ぎないとしても、あたかも一帯の地名であるかのように、自分の中では固有名詞として収まっている。この日も神田三崎町のホテルで人に会う妻のお供で出かけてきたのだが、ともに「水道橋に行く」という認識だ。改めて「なぜ水道橋と言うのだろう」と考える。 . . . 本文を読む
コメント