今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

898 赤穂(兵庫県)赤穂には旨い塩あり義士に牡蠣

2020-01-03 06:00:00 | 大阪・兵庫
播州赤穂といえば元禄・赤穂事件を抜きにして語れないことはわかるけれど、駅に掲げられた浅野内匠頭と大石内蔵助の辞世句に始まって、駅前ロータリーの内蔵助像から延びるお城通りを歩いていると、余りの忠臣蔵過多が鬱陶しくなってくる。極め付けは大石神社参道に並ぶ四十七士像で、何やら秦の始皇帝陵の兵馬俑のようである。そんな赤穂散歩で、弓道部員らしい女子高生を見かけほっとしたのは何故だろうか。 . . . 本文を読む
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897 朝来(兵庫県)古き世の城は滅びて街残る

2019-12-31 06:00:00 | 大阪・兵庫
令和元年、新時代の始まりだと世の中ははしゃいでいるけれど、そんな単純なものではないだろうと年寄りは一人、丹波から但馬へ、師走の旅を続けている。これから播磨灘に出て備前焼の里を目指すのだが、豊岡から山陰線で南下、途中でローカル線に乗り継ぐことになる。つまり兵庫県を北から南へ縦断するわけで、地図を見ると八鹿、養父、朝来といった街を通過する。どの地名も読めない。古希を過ぎた身が恥ずかしい。 . . . 本文を読む
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896 城崎(兵庫県)城の崎でぬくぬくとして氷雨かな

2019-12-30 11:44:59 | 大阪・兵庫
城崎温泉のお湯の感想を最初に言っておくと「実によかった!」となる。冷たい雨模様の朝だったから、余計に良かったのだろうか、外湯の「一の湯」に浸かっていると、ぬくぬくと、身体の深いところから温まって来るテンポがわかる。私は上州・草津温泉近くの工房に通って8年になるから、温泉についてはうるさい。そんな私をして「ああ、いい湯だ」と詠嘆せしめるのだから、城崎の湯は折り紙をつけて間違いない。 . . . 本文を読む
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895 豊岡②(兵庫県)若者よ羽ばたけ故郷コウノトリ

2019-12-29 06:00:00 | 大阪・兵庫
但馬国の北部は日本海に近く、冬至前夜のこの季節は氷雨がぱらついたと思うと青空が覗き、しかしまたすぐに暗く厚い雲に覆われるといった具合で、子供のころの新潟の冬を思い出させる。そんな日の朝8時の豊岡駅。列車から降りて来る高校生はさすがに寒そうだが、健気な彼ら彼女らを眺めていて、私は豊岡がとても良い街のように思えてきた。鞄という地場産業やコウノトリの繁殖地があるから言うのではない。 . . . 本文を読む
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894 豊岡①(兵庫県)懐かしい柳行李の鞄かな

2019-12-28 15:08:49 | 大阪・兵庫
私は鞄が好きだ。いや、そのデザインに関心があると言う方が正確だろう。ランドセルが学生鞄に成長し、やがてバックパックに親しんだと思ったら、いつの間にかビジネスバッグが戦友のようになっている。そして今はショルダーバッグが離せない老いの日々。単なる持ち運びの道具ではあるが、鞄は人生の年輪そのものであり、個人の好みで選べる楽しみがある。知恵と技量が詰まった鞄の、豊岡は国内最大の産地なのだ。 . . . 本文を読む
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890 中之島(大阪府)大阪の街は綺麗になったけど

2019-11-29 16:41:54 | 大阪・兵庫
久しぶりに中之島界隈を歩いて、大阪は綺麗になったと驚いた。1年間ほど単身赴任したのは30年も昔になるのだから、そのころと比べて街が変貌するのは当然だろうけれど、あのころの大阪は緑が実に少ない街だった。だから夏は耐え難い暑さで、水の都という呼称が恨めしく思われたものだ。当時も中之島あたりは、大阪としては整備が行き届いた地域と感じていたものの、緑と高層ビルが増え、様相は様変わりだ。 . . . 本文を読む
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255 たつの(兵庫県)・・・城下には薄口醤油漂いて

2010-01-18 11:46:12 | 大阪・兵庫
播磨路のどこかに龍野という城下町があって、古い家並の中に静かな暮らしが守られている、ということは知っていた。しかしなかなか訪ねる機会がなかった。佐用町の帰りにようやく立ち寄れた龍野は、晩秋の落日が空を燃やしていた。「まるで《赤とんぼ》の色だな」と考えたのは《こじつけ》だが、その風景がよく似合う街だった。 城下の「静かな暮らし」は私の想像を超えていて、夕食を摂りたいと古い家並をうろうろしたのだが . . . 本文を読む
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254 佐用(兵庫県)・・・悲しみと疲れが滲む星の里

2010-01-18 11:42:27 | 大阪・兵庫
写真での判別は難しいかもしれないが、対岸を小学生が列を成して下校して行く。旗を手に誘導している教師も見える。こちら側に架かる橋が異様なのは、欄干が崩れているからだ。ここは兵庫県佐用町。この夏、水害によって甚大な被害を被った街だ。私が訪ねたのは川の氾濫から2ヶ月ほど経ったころ。街にはまだ被害の爪痕が生々しく残り、人々は深い疲れを滲ませていた。それからさらに2ヶ月、暮れに向けて、町の人たちの生活はど . . . 本文を読む
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242 大阪城(大阪府)・・・難波津の聖なるラインとぼとぼと

2009-10-18 07:55:56 | 大阪・兵庫
大阪に「大阪城」という《地名》があるとは知らなかった。城の北西「京橋口」から入城しようとして、「中央区大阪城3」という路上標識に気づいた。かつての富士山測候所だって「静岡県富士宮市剣ケ峰」という《住所》があったのだから、日本の国土はすべからく地番が付いているのだろう。従って城も例外でないわけで、調べたら「大阪城」という住所には郵便番号もあった。それにしても、余りに「そのまま」の町名ではないか。 . . . 本文を読む
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231 加古川(兵庫県)・・・乙女らの笑顔が街を弾ませて

2009-07-24 22:45:10 | 大阪・兵庫
子どもが元気な街は、歩いていて気持ちがいい。何より少子化が危惧される時代、賑やかな笑顔に出会うと「頼もしいなあ」と声をかけたくなる。加古川駅近くの寺家町商店街は、ちょうど高校生の下校時に当たっていた。シャッターの目立つ通りが元気を取り戻す時間帯で、女子高生がカメラにポーズをとってくれた。よく見ると視線は私の隣りの方向だが、とてもかわいく撮れたので、加古川代表としてここに掲載させていただく。 も . . . 本文を読む
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230 西脇(兵庫県)・・・へその地を踏みつつ思ふ宇宙の眼

2009-07-24 00:51:20 | 大阪・兵庫
地理的に「日本の真ん中」に位置することに何の意味があるのか、よくわからない。しかし「わが町こそ日本の《へそ》である」と主張する街はいくつもある。それぞれに何らかの根拠はあるらしいが、西脇市の「へそ宣言」は分かりいい。国土の北辺と南端の中央が北緯35度で、東と西のそれが東経135度。そのラインが交差する地点こそが「日本のへそ」だというのだ。そしてまさに、両ラインは西脇市の「そこ」でクロスするのであ . . . 本文を読む
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229 篠山(兵庫県)・・・残照が似合う街なり丹波路の

2009-07-22 21:52:03 | 大阪・兵庫
「篠山」は、普通に読めば「シノヤマ」であろう。ところがその頭に「丹波」が付くと、すらすらと「タンバササヤマ」と読めてしまう。人間の脳の、連想力の不思議である。その篠山の、篠山城跡を訪ねた。小さな丘の頂きで、古い石組みが残照を浴びていた。ひょっとしたら「ささやかな丘=ササヤマ」なのではないか、などと考えた。時が停止し、城下町がそのまま現代の暮らしに続いているような、何とも奇妙な印象の街だった。 . . . 本文を読む
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179 姫路(兵庫県)・・・白鷺が羽を休めて400年

2008-11-22 23:38:13 | 大阪・兵庫
天守閣なるものを見上げて、城とは「何と美しいものか」と初めて感動したのは松江城だった。あれから25年、城跡の近くに行く機会があると、決まって足はそちらに向くようになった。この1年だけでも萩城、明石城、広島城、佐賀城、唐津城、松本城、彦根城、島原城、熊本城、高遠城を歩き回った。数え上げると疲れを覚えるほどで呆れてしまう。しかしやはり国宝にして世界遺産の姫路城であろう。ようやく立ち寄る機会を得た。 . . . 本文を読む
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168 天保山(大阪府)・・・時代とはめぐるめぐるよ観覧車

2008-10-16 12:22:07 | 大阪・兵庫
抜けるような青空に誘惑されて、天保山(てんぽうざん)の巨大観覧車に乗り込んだ。大阪のベイエリアである。直径が100メートルあって、いちばん高いところは地上130メートル余なのだと、ゴンドラの中まで誇らしげなアナウンスが響いて来た。東に生駒、西に六甲を従えて、淀川が南下して来る眺望は確かに雄大だ。かつてはこの国の富と権力のほとんどを集中させた大地である。それが今や、何という「様」か。 湾の方向に . . . 本文を読む
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137 天王寺(大阪府)・・・王将も窮屈そうに化粧して

2008-06-13 19:20:16 | 大阪・兵庫
大阪の人々にとって、「天王寺」とはいかなる「場所」か。私の「大阪暮らし」は13ヶ月に過ぎなかったから、街に抱く大阪人の心情を理解するには不足だった。ただ「東京で言えば《上野》かな?」と想像した程度である。「訛り懐かし停車場」かどうかは知らないが、交通の拠点で公園があり、動物園があって美術館があり、そして露天暮らしが似合う、懐かしいけれども落ちつかない街。天王寺はそんな上野によく似ている。 私の . . . 本文を読む
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