小さな島の、山を削ってやっと平地を造ったような飛行場に着陸するとき、前の座席の少年が「わーい、ジェットコースターだ」と歓声を上げた。横風にあおられた小型機は大きく傾き、フワッと浮いてまた急降下したのだ。私は傾きに抵抗するように足を踏ん張り、前座席にしがみつくのがやっとだった。9人乗りアイランダー機は、そうやって神津島に着陸した。調布飛行場から45分間の飛行であった。
房総館山と伊豆下田を結ぶラ . . . 本文を読む
「年齢三十三四-痩せ型の方、身の丈尋常、顔色蒼白く、鼻筋通り、眼は長く切れて…白き光あり…」。これは中里介山が小説『大菩薩峠』で主人公・机龍之介に与えた風貌である。天誅組の乱に巻き込まれ、紀伊山地・龍神に逃がれた龍之介の手配書にそうある。私に似ていなくもない。かく言う私は高野山に詣で、紀伊山地を南下して南紀白浜に出ようとしている。日高川が深い谷を造る龍神に差し掛かると、崖の上の露天風呂が見えた。 . . . 本文を読む
ここに「青梅君」が立っていたら、「よっ、がんばってるな!」と肩をたたいて励ましてやりたい気分だ。彼は慣れないネクタイを締め、濃紺のスーツ姿の好青年であるに違いない。街を擬人化すると、私には青梅が「健気にがんばっている新社会人」のように連想されるのである。「青い梅」という清々しい響きから来るイメージかもしれない。あるいは「青梅マラソン」に代表される市民活動が、活発な町衆を思い浮かばせるからだろうか . . . 本文を読む
華やかな街に変身したとは聞いていたが、これほどの賑わいとは思いもよらず、駅を降りて唖然とした。JR立川駅は、中央線から青梅線、南武線が分岐する多摩地区の拠点駅だが、さらに多摩都市モノレールが開業して多摩センターとも結ばれ、ますます人の流れが激しくなったようだ。私の知る立川は、「立川基地」こそ返還されたあとのことだが、駅北口などは再開発前のわびしさが漂う殺風景な街だった。30年も経ると、人も変わる . . . 本文を読む
金沢市の「金沢21世紀美術館」の入場者が、開館3年を待たずして300万人を超えたという。地方美術館の財政難、運営難が叫ばれている中で、奇跡のような実績である。美術館の善し悪しは、何も入場者数で決まるものではないけれど、年間100万人超の人を集めるというのは尋常ではなく、「美術館の旭山動物園」といったところか。私が出かけたのは開館1年に満たない2005年夏、「マシュー・バーニー展」を観るためであっ . . . 本文を読む
「大和憧憬病」という「流行りやまい」があることをご存知だろうか。ひたすら奈良・大和路の風物に憧れ、機会があれば、いや、そんなものは何もなくても無理やり都合をつけて彼の地を彷徨しようとする、厄介な症例なのである。例えば5月6日の夕刻、奈良盆地西部の当麻(たいま)の里で、蓮華草に埋まり陶然としている男を見かけたけれど、彼などはその罹患者であることは一目瞭然であった。未ださほどの年齢ではないだろうに、 . . . 本文を読む
5月5日は「こどもの日」だが、東京調布市の深大寺界隈に限って言えば、この日も明らかに「高齢者の日」であった。三鷹や吉祥寺、それに京王線調布駅方面からやってくるバスが到着すると、山門には軽装の高齢者が溢れ出て歩行もままならない。その中では若造に過ぎない私が、娘と二人で平均年齢引き下げに頑張ってみたところで焼け石に水である。何しろここは都立神代植物公園とも隣接していて、「花・寺・お蕎麦」がそろったお . . . 本文を読む
かつて六本木といえば、銀座・渋谷という大きな繁華街の谷間にあって、飛び切りの高級ではないけれど一家言ありそうな料理屋が自己主張し合っている、それなりに面白い街だった。中華麺、鯨肉、台湾点心、焼き鳥、牛タン・・・、よく食べよく飲んだ。マンションの1室に看板も出さず営業していた妖しげなゲイバーも馴染みになったが、あの彼女(彼?)はどうしていることやら。街に外国人が増え、六本木族などという言葉が生まれ . . . 本文を読む
原爆が投下されて22538日目という日、新緑の平和公園を訪ねた。土曜日の午後、バックパックを背にした白人の若者は半そでで平気という陽気の中、公園は賑わっていた。ツアーガイドの言葉は日本語、英語、中国語とかしましいが、大方の観光地と違うことがあった。それは、ツアー客のほとんどが無口だということである。誰しもが胸に迫るものを感じているからなのだろう。原爆ドームの周囲では、美しく刈り込まれたツツジの植 . . . 本文を読む