今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

233 京都(京都府)・・・千年の都は今日もコンチキチン

2009-08-18 10:25:38 | 滋賀・京都

7月に入って間もなく、京都に行った。すでに祇園祭が始まっているということで、街にはまだ山車が姿を現していないものの、中心街の四条河原町界隈では提灯飾りが歩道を彩り、流れて来る鉦のお囃子がそのことを告げていた。日本三大祭りの筆頭に挙げられる祇園祭ではあるけれど、こうした古い街では、大掛かりな行事もすっかり生活に溶け込んでいるらしく、街は特に浮かれた様子はなく、しかししっかり華やいでいるのだった。

祇園祭にはかつて、最も賑わう宵山の夕に出かけたことがある。大阪から乗り込んだ阪急電車はすでに込み合っていて、下車した烏丸は人混みで歩けないほどだった。格式のありそうな町家は明々と灯がともされ、きらびやかな屏風が飾られていた。連れの男は屋台でちまき飾りを買い、藁を剥いて中を食べようとしたもののどこまで剥いても藁である。縁起物だと気づいて声を上げると、周囲で笑いが起こった。彼も私も東エビスである。

京都出身者が「死ぬまでに一度は見ておかないけまへんえ」などと口を極めるものだから出かけてみたのだが、やたらと飾り立てた山車や奇妙な化粧をした稚児、それにコンチキチンと間の抜けたお囃子の行列に巻き込まれて、東エビスには何のありがたみも湧いてこなかった。いつの間にか鴨川のほとりに出て、アベックの群れに嫌気がさして早々に帰ったのだった。

祭りは街に根付いた文化であるから、余所者には所詮、理解不能なのであろう。町衆の、町衆による、町衆のための祭り、それでいいのである。

今回は少し時間があったから、下鴨神社をゆっくり見物した。賀茂川と高野川が合流する糺の森を神域とする下鴨社は、神サビたなかに現代の賑わいを包み込んで、なかなかの貫禄である。「太古、この地を占有していた賀茂氏が創祀したわが国最古の神社の一つ」と、京都市の解説板に書いてある。最古の神社「の一つ」、とするあたりがいじらしい。大和・葛城の奥に鎮座する高鴨神社をルーツとする、鴨一族の移動を意識してのことか。

京都はもちろん大都会である。しかし東京や大阪、名古屋のような、経済・産業の都会ではない。そんな京都が、私には地方都市の総本山のように見える。歴史も祭りもきらびやかで古めいて、伝統産業も何とか頑張っている。街というものは、こんな具合に年輪を刻み、独自の文化を太らせて行くのではないだろうか。

地方の街は規模の大小、歴史の長短、産業の優劣など、様々な差があるけれど、少なくとも人々の暮らしがある以上、伝統文化がゼロということはないはずだ。京都とは同じになれないし、同じになる必要もないのであって、しかし京都のように「土地の持つ力」を生活に取り込んで行くことはどんな地方の街でも可能であろう。

例え自分たちの街が、いまは小規模でみすぼらしく見えようと、そんなことを恥じる必要はない。そこでの生活を積み重ねることが大切なのだ。そうやって千年も人の営みが積み重なれば、京都とは異なった京都に成れる。

京都をうらやむことはないが、千年の都を観察する必要はある。今出川通りの橋から糺の森を眺めていたら、駆け寄ってきた少女が「またお出でやで」と、川面の青サギを指差した。この京言葉の柔らかさは、一朝一夕に真似できるものではない。(2009.7.5-6)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 232 浦賀(神奈川県)・・・... | トップ | 234 小諸(長野県)・・・還... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

滋賀・京都」カテゴリの最新記事