金沢に行くと、この人の作品を観ることになる。九谷焼作家・武腰潤である。焼き物好きの私だから、どこの街でも陶芸展を観たり工芸品店を巡る機会が多くなるのはいつものことで、意識してこの作家を探し歩いているわけではない。ただ観た作品のほとんどは忘れてしまうのに、武腰氏の「鴇」を描いたシリーズだけは、いつまでも記憶に残るのである。だから「金沢に行くと、この人の作品を観ることになる」と気付くわけで、今回もそうなった。
東京・北の内公園の国立近代美術館工芸館が、金沢に移転して国立工芸館になった。折しも「未来へつなぐ陶芸―伝統工芸のチカラ展」が開催されていると知り、福井から富山へ移動する北陸旅行の行程に金沢をねじ込んだ。日本工芸会陶芸部会の活動50周年記念展だということで、いわゆる大家から40代の気鋭の若手まで、現代日本の陶芸を俯瞰するかのような139点が展示されている。ここにも武腰氏の「鴇相対蓮図磁筺」が出展されていた。
(武腰潤「鴇相対蓮図磁筺」)
何がそれほど私を惹きつけるのか。まずはたっぷりと流し込まれた青翠だ。白磁の上で鴇が纏う、黒い点と線に縁取られた妖しげな、現実離れした衣装に吸い寄せられる。そして赤と黄が強いアクセントになっている頭部。その造形が、タタラ板を整形したフォルムの中で立体的に揺らぐ。陶芸とはここまで創作できるのかと、いつも私は呆然となるのである。能見の窯元の4代目だという作家が産み出した、伝統的な「九谷五彩」を超える色絵だ。
(古九谷「色絵百花手唐人物図大平鉢」石川県九谷焼美術館)
陶芸の世界では、評価の限りを尽くして尊重される古九谷も、実は私はあまり好まない。赤・緑・紫・紺青・黄の五彩手を発色させた技術は評価されるべきなのだろうが、その色の組み合わせのどぎつさが私には合わない。人間国宝・三代徳田八十吉のグラデーションに出会って初めて、新しい九谷に着目するようになったのだけれど、現代九谷の代表作家と呼ばれる武腰氏の「鴇」に至っては、私のような素人は、もう語ることができないのである。
(三代 徳田八十吉「耀彩鉢 創生」)
土を整形・焼成し、暮らしの用具を作るという作業は、いつから陶芸という技芸になったのだろう。いつの時代でも秀でた才能が出現し、多くを唸らせる作品を生むことになるのだろうが、何を好むかは人それぞれで結構なのだ。工芸会の賞を獲得するのも、人間国宝に祭り上げられたりするのも結構。ただそうした世界とは無縁に、一人山中で窯を焚き、気がつけば海外の美術館から収蔵品にしたいと求められる無名の作家もいるのがこの世界だ。
「伝統工芸のチカラ展」は、伝統が革新を招き、さらなる伝統を生むチカラになることを、名品を通じて理解させてくれる。こうした企画の場を市中に得て、金沢はますます羨ましい街になった。ただいつもの金沢とは違う印象も受けた。それは金沢の工芸館が、旧工芸館とそっくりの雰囲気を持っていたからである。旧館は近衛師団司令部庁舎であり、新工芸館が旧陸軍第九師団司令部庁舎などを利用しているからだろうが、それにしても似ている。
煉瓦造りと木造の違いこそあれ、内部の階段に続く師団長室の構造は同じで、陸軍様式とでも言うのだろうか。こうした施設が保存され、再び活用されるのはいいとして、隣接する護国神社に「大東亜聖戦」と刻まれて建つ大きな石碑には驚いた。戦時中の遺物かと思ったら近年の建造だといい、戦争に「聖戦」があると言いたい人たちが現代にもいると告げている。ましてやそれを地元新聞社が後援している、それが金沢という街だとは。(2022.5.19)
(富本憲吉「色絵金銀彩四弁花染付 風景文字模様壺」)
(濱田庄司「柿釉赤絵角皿」)
(板谷波山「葆光彩磁和合文様花瓶」)
(原清「鉄釉馬文大壺」)
(中里無庵「黄唐津叩き壺」)
(荒川豊蔵「瀬戸黒茶垸」)
(加藤卓男「三彩鉢 蒼容」)
(金重陶陽「備前耳付水指」)
(松井康成「練上嘯裂文大壺」)
(金城次郎「海老魚文抱瓶」)
(加守田章二「曲線彫文壺」)
(十四代 酒井田柿右衛門「濁手つつじ文鉢」)
(十三代 三輪休雪「エル キャピタン」)
(隱崎隆一「備前広口花器」)
(志賀暁吉「青瓷壺)
(旧近衛師団司令部)
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