今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

855 青島(宮崎県)ハネムーン今は昔のやっぱり青島

2019-01-21 12:39:05 | 大分・宮崎
宮崎市観光協会の観光案内冊子が「やっぱり青島」特集を組んでいる。南国宮崎の魅力が最も詰まった観光地は「やっぱり」青島だということらしい。「昭和30年代後半から50年代初めにかけて、全国の新婚さんの35%が宮崎へ新婚旅行にやってきた」のだそうで、その一番のお目当が青島見物だったという。私のちょっと上の世代が、はにかむ笑顔でこの小さな島を目指したのだと思うと、何やら気分が畏る。



宮崎市の中心部から車で30分ほど南下すると、プロ野球のキャンプ地にもなるらしい運動公園が広がっていて、その先の小さな漁港を過ぎるとリゾート地的な小さな街になる。そして海岸に向かうと、海辺に浮かぶ小さな緑の島が見えてくる。青島だ。全てが小さな世界だけれど、しかし青島は、恐れ多くも山幸彦が鎮座し、日本の避暑地の第1位(明治時代の新聞「日本」の人気投票)なのだから、「やっぱり青島」である。



ほとんど陸続きのように見えるものの、弥生という名の小さな橋を渡るから、やはり島なのだろう。周囲は860メートルとか1.5キロとかまちまちだが、おそらく中心部の緑のビロウの森の部分か、それを取り巻く波状岩までを含める周囲を指すかの違いと思われる。鬼の洗濯岩と俗称される波状岩は、沈降した山が侵食されて生まれた珍しい景観だが、貴重なのは海水に囲まれて生きる5000本ものビロウの森である。



伊豆の大瀬崎にも、海に囲まれた淡水池があるけれど、樹齢300年にもなるビロウの古木も繁っているという青島は、どうやって水分を補給しているのかと不思議になるほど狭い地域に密生している。海に浮かぶ森といった、いかにも珍しい自然の造形だから、自然崇拝に篤い日本人がここを神域と感得して恭しく遥拝していたであろうことは容易に想像できる。江戸時代は島への立ち入りは固く禁じられていたという。



今ではそうした呪縛は解け、行楽客がのんびりと橋を渡っている。神妙な気持ちになれた昔の人が幸せか、何事にも縛られることのない今が幸せか。青島神社への参拝帰りだろうか、浜辺に置かれた黄色い郵便ポストで記念撮影する家族連れにとって、青島は単なる背景に過ぎない。かつてこの浜辺を埋めたであろう新婚さんたちも、海彦・山彦神話はどうでもいいから、早く二人きりになりたいと願っていたのではないか。



太平洋に洗われる宮崎県の海岸線のほぼ全てを、日向灘と呼ぶ。大分県佐伯市の鶴御崎から宮崎県の都井岬までの、ずいぶん長い海岸線だ。宮崎市街地あたりは松の繁る直線的な砂浜が続くのだが、青島まで南下すると、海岸には山が迫って来て、複雑な入り江が点在し始める。山肌は所々剥き出しになり、分かれ目の際立つ珍しい地層が見られる。そうした山が沈降・隆起を繰り返し、鬼の洗濯岩を形成したのだろう。



今や昔の新婚旅行のメッカではあるけれど、この地から人生をスタートさせた記憶を大切に生きる老カップルが大勢いるということは、宮崎とは祝福された土地である。ブームのころの写真を見ると、ぎこちないスーツ・ネクタイ姿の新郎たちが、精一杯オシャレした新婦を守るように窓側に座らせ、旅立ちへ緊張している様子が分かる。高度成長へと羽ばたく直前の日本には、確かにそんな時代があったのである。(2019.1.6)




















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