職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

告白

2008-03-02 16:35:18 | Weblog
◆告白。

 10年前(←ちょうど志塚Tと出会った頃だ)に買った背広を、繕いつつ、繕いつつ、ずっと着続けていたが、襟元、袖口、前裾のほころびが限界を超え、かつ、パートナーから「繕う者の身になれ!」とどやしつけられ、仕方なく、新しい背広を買った。
 ケチなのではなく、(←そういうことではなく)わたしの心の深層に「どうせ死ぬのに、そんなもん、買ってどないスンネン?」という旋律が潜んでいるのだ。(こういう旋律を魂の底で奏でている人間って、教育に携わる資格がアリマヘンネ……)
 この死の旋律を吹き飛ばしてしまう記述にであった。

 アメリカグンカンドリの雄は、のどを膨らませて雌の前に並ぶ。 何時間も並んで雌から選ばれなくても、のどを膨らませて時間を過ごしていることに満足する。
 そこに遊び心がある。
 生きているということを、そうした遊びで表現できないと動物は生きていけない。
 生きることと遊びが一体となっている。(中略)
 人間も遊びがないと生きていけない。
 新聞やテレビ、ラジオからの情報も栄養にしている。
 イチロー選手がヒットを打ったかとか、朝青龍が勝ったかという情報を摂取し、活力を得て明日を迎える。
 スーパーに行って野菜を選ぶ、魚売り場で魚を吟味する。
 こうしたことは、畑で野菜をもいだり、釣りをしたりする菜食行動の代わりとなる。
 人間もそうした遊びによって喜びを得て、生きていくための活力を得ている。(畑正憲)

 小学4年のとき、昼寝から目を覚ましたら、周囲が薄暗い白黒の世界に変わっていた。
 ナンヤネン? これ。
 困った。
 困った。
 子ども心に自分がとんでもないものに直面していることがわかった。
 そのとき「そうや、朝汐の相撲、きょうはどないなんねんやろ?……」と思い立ち、ガラッと気持ちが転換し、「よかった、よかった、助かったぁ~」と思ったことを、よく覚えている。

◆死の旋律とは関係ないけど、もうひとつ、おお!と思った記述。

 四谷大塚で人気講師の一人である蛭田栄治(算数講師)にとって、講師12年目で初の授業撮影。
 綿密な台本を作り、小学5、6年生の基礎コース向けの、水量の変化を表したグラフや濃度に関する問題を淡々と解説した。
 「子どもの反応がわからなくてやりづらかったが、目線を想像するようにしました」

 想像する子どもたちのひとりひとりの目線に自分の目線を止めていたのだ。
 さすがだと思った。

★画像は嘉瀬教頭Tの模擬授業に生徒役として参加する松代T

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