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◆前回、このページで、教職員の解散会で「旧年度側(こちら側)」と「新年度側(あちら側)」の話をした……と書いたが、ここ、しばらくは、この「こちら側」と「あちら側」が、入り乱れる……こんがらがる……ある意味で、どさくさ……ドタバタの期間だ。
しかし、こうして、入れ乱れ、こんがらがりながらも、なにもかもが、ある1点に向かって流れていって、もう、その流れには、だれも抗することはできないという、運命的なものを感じる期間でもある。
その「運命」の河の流れに身をまかせ、感傷にひたるという側面では、わたしは、むしろ大好きな「季節」だ。
もう少し正確にいうなら、流れに身をまかせて、感傷にひたっていられるうちは、大好きな季節だったが、その「こんがらがり」を一身に受けとめ、「あちら側」に向けて、ひとつの方向付け(人事異動に伴う組織編成の作業)をしなければいけない立場になってからは、実に苦痛な「季節」になった。
◆もっと別なことを書くつもりでキーボードを打ちはじめたのだが、(確か、この時期はなかなかHPの更新ができない……というような内容だったと思うが)、ついでだから、「大好きな季節」または「苦痛な季節」についてつづけることする。
昨年の今時分の記述をひっくりかえしたら、次のような記述が出てきた。
これは「大好きな季節」の側面だ。
2007/3/30(金)
18年度末の定期異動で転出する教職員はきょうが最後の勤務だ。
前田Tを見送る。
松坂Tを見送る。
中野Tを見送る。
四戸教頭Tを見送る。
最後の荷物をさげて遠ざかっていく姿を見ていると、ツーンとくる。
きのうが最後の勤務になった古館Tが「食べてください」と置いていったクッキーを昼食代わりにたべたら、またツーンと来た。
これが人生だ。
わたしもまた新しい旅に出ようと思う。
◆ついでのついでに、もうひとつ。
これは、昨年の始業式の式辞の冒頭だが、これも、「大好きな季節」の側面が、色濃く漂っている。
〈昨年の始業式・式辞の冒頭〉
新2年生への進級、おめでとう。
新3年生への進級、おめでとう。
平成19年度、南中生として、大きく、強く育ってくれことを心から願っています。
これまでの学級がなくなる。
お世話になった先生がいなくなる。
自分の教室の場所が変わる。
さびしいといえば、さびしいのですが、自分とつながっていたものから離れ、ひとりになることによって、自分というもののかたちがはっきりと、鮮明に見える、そういう大切な時期でもあります。
みなさんには、今、その「ひとり」になって、自分のかたちをはっきりさせて、そのうえで、1年後の、ちょうど今頃、自分がどんなふうになっているだろうか?……と想像してみてください。
新3年生のみなさんは、……(後略)
◆子どもたちにとっては、学校にやってくると「ここはもうあなたの教室ではありません。あなたの学級は別の階の……」と、さびしさとドキドキとが入りまじった日だ。
これは、大人も同じだ^^;
自分にとって決まっていた基本的な生活パターンや人間関係が、グシャグシャになる。
グジャグジャになるから、さびしいし、たいへん不安定になるわけだが、逆に決まったパターンで暮らしているときには見えなかったものが、突然、見えるようになる。
ある意味で魅力的な日だ。
しかし、仕事となると、結構、つらいものがある。
◆あす(3/29 土)、あさって(3/30 日)は、ま、この、さびしさと、ドキドキと、つらさとを内包しつつ、新しい世界でバリバリとやっていけるように、自分の魂を方向づける、孤独の、ミニキャンプを張るつもりだ。
しかし、こうして、入れ乱れ、こんがらがりながらも、なにもかもが、ある1点に向かって流れていって、もう、その流れには、だれも抗することはできないという、運命的なものを感じる期間でもある。
その「運命」の河の流れに身をまかせ、感傷にひたるという側面では、わたしは、むしろ大好きな「季節」だ。
もう少し正確にいうなら、流れに身をまかせて、感傷にひたっていられるうちは、大好きな季節だったが、その「こんがらがり」を一身に受けとめ、「あちら側」に向けて、ひとつの方向付け(人事異動に伴う組織編成の作業)をしなければいけない立場になってからは、実に苦痛な「季節」になった。
◆もっと別なことを書くつもりでキーボードを打ちはじめたのだが、(確か、この時期はなかなかHPの更新ができない……というような内容だったと思うが)、ついでだから、「大好きな季節」または「苦痛な季節」についてつづけることする。
昨年の今時分の記述をひっくりかえしたら、次のような記述が出てきた。
これは「大好きな季節」の側面だ。
2007/3/30(金)
18年度末の定期異動で転出する教職員はきょうが最後の勤務だ。
前田Tを見送る。
松坂Tを見送る。
中野Tを見送る。
四戸教頭Tを見送る。
最後の荷物をさげて遠ざかっていく姿を見ていると、ツーンとくる。
きのうが最後の勤務になった古館Tが「食べてください」と置いていったクッキーを昼食代わりにたべたら、またツーンと来た。
これが人生だ。
わたしもまた新しい旅に出ようと思う。
◆ついでのついでに、もうひとつ。
これは、昨年の始業式の式辞の冒頭だが、これも、「大好きな季節」の側面が、色濃く漂っている。
〈昨年の始業式・式辞の冒頭〉
新2年生への進級、おめでとう。
新3年生への進級、おめでとう。
平成19年度、南中生として、大きく、強く育ってくれことを心から願っています。
これまでの学級がなくなる。
お世話になった先生がいなくなる。
自分の教室の場所が変わる。
さびしいといえば、さびしいのですが、自分とつながっていたものから離れ、ひとりになることによって、自分というもののかたちがはっきりと、鮮明に見える、そういう大切な時期でもあります。
みなさんには、今、その「ひとり」になって、自分のかたちをはっきりさせて、そのうえで、1年後の、ちょうど今頃、自分がどんなふうになっているだろうか?……と想像してみてください。
新3年生のみなさんは、……(後略)
◆子どもたちにとっては、学校にやってくると「ここはもうあなたの教室ではありません。あなたの学級は別の階の……」と、さびしさとドキドキとが入りまじった日だ。
これは、大人も同じだ^^;
自分にとって決まっていた基本的な生活パターンや人間関係が、グシャグシャになる。
グジャグジャになるから、さびしいし、たいへん不安定になるわけだが、逆に決まったパターンで暮らしているときには見えなかったものが、突然、見えるようになる。
ある意味で魅力的な日だ。
しかし、仕事となると、結構、つらいものがある。
◆あす(3/29 土)、あさって(3/30 日)は、ま、この、さびしさと、ドキドキと、つらさとを内包しつつ、新しい世界でバリバリとやっていけるように、自分の魂を方向づける、孤独の、ミニキャンプを張るつもりだ。
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