万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

新自由主義者が唱える”開放”は閉塞”に至る道

2016年10月30日 15時17分24秒 | 社会
人権侵害ブログを削除 法務局要請でサイバーエージェント
 誰であれ、他人を誹謗中傷する行為が道徳や礼儀に反していることは言うまでもないことです。しかしながら、日常生活を見てみますと、人々の会話から他者の悪口や口汚い批判を取り除くことは不可能に近く、仮に、それを実行しようとすれば、”人の口に戸を立てる”という言論弾圧を徹底する必要があります。

 日本国でも、昨年、ヘイトスピーチ規制法が制定され、罰則規定はないものの、外国人のみを対象に’差別的発言’が規制の対象となりました。この法律は人種差別禁止条約の流れにあり、外国人差別をなくす、という目的が、政府による言論統制を正当化しています。リベラルが掲げる外国人差別の撲滅という大義名分が、憲法で保障されている言論の自由に優先された、とも言えるのです。

 報道に拠りますと、現在、地方自治体の法務局では、個人の被害申し立てに基づいて、”人権侵害”と自らが判断した個人ブログについて、サイバーエージェントに当記事の削除を要請しているそうです。公権力による民間言論空間の監視と介入は、典型的な情報統制の方法であり、遂に、日本国でも実行されることとなったのです。そして、これらの法務局による措置は、個人による申し立てに基づいていますので、一種の”密告制度”が成立したことをも意味します。しかも、他者の意見や発言をチェックし、差別的内容と判断して救済を訴えることができる権利は、外国人にのみ与えられています。一般の国民には与えられていない、言論チェックの外国人特権なのです(もっとも、削除された側の一般国民には行政裁判で法務局の措置の違法性や不当性を問う権利はあるが、訴訟に際しての負担は重い…)。

 
 今後とも、この国家レベルでの言論監視体制は、外国人の数が増加するにつれてさらに強化されることでしょう。新自由主義者は理想郷へ至る道として”開放”を謳い、移民政策を積極的に推進していますが、現実には、外国人差別の禁止を盾にした言論統制が、法整備を伴いながら進行します。同人種や同民族同士であれば、法律問題とはならない悪口レベルの発言であっても、外国人に対してであれば規制対象となり、”言いたいことも言えない”息苦しい閉塞社会へと至るのです。そしてこの状態は、どこか、ジョージ・オーウェルの『1984年』を彷彿とさせるのです。

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コメント (2)
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