万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ドゥテルテ大統領の暴言中止ー本物の”神”のお告げなのか?

2016年10月29日 13時40分52秒 | 国際政治
「暴言やめる」と宣言=神のお告げ―比大統領
 フィリピンのドゥテルテ大統領は、訪問先の日本国から帰国し、南部ダバオ空港に降り立った途端、記者団を前にして”暴言をやめる”と宣言したと報じられています。その理由が”神からのお告げ”というのですから、二重の驚きです。

 同大統領の説明によると、機内において、突然、「ののしるのをやめないとこの飛行機を落とす」という声が聞こえたそうです。そこで、声の主は誰なのかと尋ねたところ、神であるとする答えが返ってきたので、暴言を止める決意をしたと説明しています。フィリピンは、カトリック教徒の多い国であり、大統領も、厚い信仰心の持ち主なのかもしれません。カトリックでは、しばしば秘跡の出現を認めていますので、フィリピン国民の多くも、大統領が直接に神の声を聴くという超自然現象を素直に受け入れることでしょう。

 しかしながら、その一方で、神の言葉があまりにも人間的であるため、疑問も湧いてきます。飛行機撃墜いった手荒な手法が神の行為に相応しいとも思えず、全知全能の神による”脅迫”にも本質的な違和感があります。しかも、神の意に沿って暴言を止めることによってもたらされる”善き事”とは何かもはっきりしてもいないのです。

 そもそも’暴言’には、二種類あり、一つは、一般常識、社会通念、もしくは、自らの道徳的な良心や根差した正当なる批判であり、きつい言葉を用いるために’暴言’と認識されてしまいがちです。もう一つは、誹謗・中傷の類であり、言葉の暴力です。後者を止めるのであればよいのですが、ドゥテルテ大統領の場合は両者が混在している状態にあり、仮に、前者の意味での発言を止めてしまいますと、むしろ、社会浄化が難しくなります。大統領が’暴言’を止めれば、果たして世界は平和になり、全人類は祝福されるのでしょうか。

 神の声説が俄かには信じられないとなりますと、暴言中止宣言には、別の意味があるようにも思えます。”神”とは、ドゥテルテ大統領が、密かに絶対的な忠誠を誓っており、決して異を唱えることができない”誰か”であるのかもしれません。あるいは、敵対勢力の”誰か”であり、”命が惜しければ、暴言は止めよ”と脅している可能性もあります。もっとも、暴言中止を神の意志として国民に説明することで、自粛路線への転換を準備をしているとする見方もできます。仮に前二者であれば、意図せずして、大統領は、国民に明かすことができない存在を暗示したことになりますが、暴言中止の背景には、何らかの政治的な意図が垣間見えるのです。

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コメント (3)
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