万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

シリア人の難民化容認論への疑問ー国外逃亡を誉めてよいのか?

2016年10月10日 14時49分04秒 | 国際政治
 停戦協定の維持が絶望的となったシリアでは、今後とも、戦禍を免れるために国外脱出を試みるシリア人が後を絶たないことでしょう。この問題に関して、先日、シリア人の難民化行動は、極めて合理的で当然とする説を発見しました。

 現在、内戦が禍してシリア経済は悪化の一途を辿り、国民所得が低下するとともに、失業率も上昇しております。しかも、いつ何時、爆撃を受けて命を落とさないとも限らないのですから、この説が主張するように、密航事業者に年収の2倍ともされる渡航費を支払ってでも国外脱出を図るのは、至極、合理的な行動のようにも見えます。”逃げるに限る”という訳です。しかしながら、一見、個人レベルでは合理的に見える国外逃避行動にも、問題がないわけではありません。

 第一に、国外に難民として脱出できるのは、あくまでも、密航事業者に渡航費を払うことができる一部のシリア人に限られています。失業率も高いとなれば、渡航費を工面することができず、命の危険があると知りながらも逃げるに逃げられない貧しい人々が、国内に数多くとり残されていることでしょう。

 第二の問題は、渡航費の問題を抜きにしても、凡そ1795万人の全シリア国民の難民化とその保護は、現実として不可能なことです。仮に、シリア国民全員が合理的判断として国外脱出を試みるとしますと、シリア国内には、政府関係者や戦闘に加わっている勢力のメンバーぐらいしか残らず、国民らしい国民は一人もいなくなることでしょう。そして、難民化した全シリア国民を、一体、どこの国が受け入れるというのでしょうか。個人レベルの判断では合理的でも、自国の存立、ならびに、他の諸国や人々の負担を無視した行動は、無秩序な混乱を引き起こすのみとなります。

 第三に、国外逃亡を奨励すると、結局は、和平を含めた国造りが疎かになることです。日本国が和を尊重する比較的安定した国である理由として、しばしば指摘されるのが、東方を大洋に面する島国であるために”逃げ場がなかったから”という説です。たとえ国内的に対立が生じても、逃げる場所がないので相互に折り合い、協調の道を探るしかなかった、とする説です。何時でも、そして、何処にでも、逃げられる状態では、常に国民が流動化し、国民の間で協調の精神を培ったり、真剣に、国家の存立を考え、安定的な国制を構築することが難しくなるのです。

 国際社会は、難民保護のみに関心を払い、シリア国民の難民化についても寛容な姿勢を示していますが、”逃げずに、真剣に自国と向き合い、自らの国を立て直そう”というアドヴァイスもあってよいのではないでしょうか。時には試練に耐える必要もあるのですから、少なくとも、国民の国外逃亡は、手放しには誉められないように思えるのです。

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コメント (1)
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