万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

民族自決権と移民は両立しない

2016年10月05日 16時05分32秒 | 国際政治
 国民投票によるイギリスのEU離脱は、国際社会に様々な波紋を広げることとなりました。その一つが、一般の国民に国政上の重要問題に関する判断を任せるのは、ポピュリズムやナショナリズムは国の行く先を誤らせるので危険であるとする批判です。しかしながら、この批判、民族自決の原則と移民政策との間のゼロ・サム関係について無頓着であると思うのです。

 今日の国際社会では、一先ずは、先祖、言語、慣習、宗教等を共有する自生的な人間集団に対して、政治的に独立した国家を形成する権利を認めています。”新大陸”における移民国家といった例外はあるものの、民族自決と主権平等を基盤とする国民国家体系は、地球上での分散過程において自然に生じた人類の多様性に沿った安定的な社会を築くための国際体系であると言えます。ヨーロッパに発する大航海時代の到来は、世界を一つに繋げたものの、奴隷制や植民地主義の拡大は、人種や民族間の平等性を損ね、搾取を生み出したことを考慮しますと、今日の国民国家体系は、過去の反省の下に構築された極めてフラットな体系であり、多様な人間集団の歴史的な定住と社会の構築という実績に権利を与える体系とも言えるのです。

 しかしながら、今日、こうした国民国家体系を支える原則は、大きく揺らいでいます。移民が少数である内は、少数者保護や同化政策等の問題に留まりましたが、移民の増加は、独立した政治単位として国民国家の枠組みを内側から融解させているからです。特に多文化共生主義は、移民にも歴史的定住者である国民と同等の権利を認める考え方であり、この思想に基づけば、先住定住者の歴史と国土開拓の実績は、権利として認められないことにもなります。気が付かない内に、先住定住系の国民は、領域や主権に対する権利さえ放棄させられてしまうのです。

 ポピュリズムやナショナリズムに対する批判の一つは、一般の国民は”愚か”であり、感情に走るばかりで長期的な利益には思い至っていないというものです。しかしながら、移民政策のその先に、”祖国”というものを失い、慣れ親しんできた文化が断絶し、自らが”根なし草”となる空虚で乱雑な未来を見通したからこそ、移民政策に反対しているのではないでしょうか。そして、国民国家体系が融解した後の人類が幸せである保証はどこにもないのです。

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コメント (8)
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