万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

米大統領の被爆地訪問―日本国は安心して謝罪できる国

2013-08-10 15:24:43 | 国際政治
「米大統領が被爆地訪問できたら」 離任前懇談 ルース大使、可能性指摘(産経新聞) - goo ニュース
 毎年、広島と長崎に原子爆弾が投下された原爆の日を迎える度に、必ずと言ってよいほどに、アメリカ大統領の被爆地訪問の可能性が取り沙汰されます。離任を前にして、ルース米大使も、将来的な訪問に含みを持たせた発言をなさったようです。

 第二次世界大戦は、連合国側も枢軸国側も、国際法から逸脱する行為が頻発し、民間人の多くが犠牲になる悲惨な戦いとなりました。原爆に関しても、枢軸国側のドイツも、そして日本国も既に開発に着手しており、実戦での民間人に対する使用の判断はさて置くとしても、日本国の側にも、心のどこかで良心の呵責があります。仮に、日本が先に開発に成功していれば、アメリカの都市に原爆を投下し、民間人を大量虐殺した可能性が全くないわけではないからです。ですから、日本人としては、アメリカに対して、自らを絶対的な犠牲者と見なし、一方的に非人道的行為として責め立てるのは、気が引けるところがあります(少なくとも私は、個人的にはこのように感じてしまう…)。その一方で、日本国の無辜の国民が原爆の犠牲となった事実は歴史に刻まれており、親米とされる日本人の感情の中にも、蟠りがないわけではありません。原爆のみならず、全国的に展開された米軍の都市空爆でも、あまりに多くの民間人の命が炎の中で失われました。そして、日本国の来し方を伝える街並みも永遠にこの世から消えてしまったのです…。アメリカにも、原爆投下には言い分があり、これまで、第二次世界大戦の終結に関する戦略的な効果を主張して正当化してきました。この言い分に対しても、近年では、資料等に基づいて疑いが掛けられてもおります。(原爆の投下は、戦略上必要であったのか…?)しかしながら、せめて、民間人の犠牲に対する謝罪や哀悼の言葉があれば、日本人の心に刺さっていたとげは、あるいは抜けるかもしれないと思うのです。

 国際社会の常識では、謝罪は賠償問題にも繋がりかねないため、どの国の政府も、謝ることには消極的です。また、第二次世界大戦の大義に鑑みて、アメリカ国内では、謝罪に対する手厳しい反発も予想されます。しかしながら、仮に、アメリカが、賠償問題を恐れているならば、それは、心配に及ばないことです。日本国は、先の大戦に関する日米間の問題は、サンフランシスコ講和条約で全て解決済と見なしていますし、日本国の国民性からしますと、謝罪は、賠償を勝ち取るための一歩ではなく、和解への一歩であるからです。いつの日か、その日が訪れることを、日本人の多くは、心のどこかで待ち望んでいると思うのです。

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コメント (4)