万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国民の権利vs.移民の自由-外国人永住権の要件緩和は慎重に

2013年08月11日 15時33分56秒 | 国際政治
政府が新しい「外国人永住権」を検討 「日本人」にどんな影響がある?(弁護士ドットコム) - goo ニュース
 グローバル化の掛け声とともに、今日、世界規模で移民の数が増える傾向にありますが、その一方で、移民の増加を背景とした社会問題も発生しています。個人主義や多文化共生主義、あるいは、新自由主義を支持する人々は、移民する側の自由を最大限に保障すべきと主張しています。

 民族自決主義を基本原則として成立している現在の国民国家体系では、国民は、言語、先祖(DNA)、歴史、価値観、習慣…などを共有し、共通のアイデンティティーで結びついております。こうした共通項が混然一体となって社会は形成されており、国民は、無意識にせよ、お互いに何かしらの絆を感じる間柄です。いわば、自然発生的という意味において、家族的な側面があるのですが(多民族国家の場合には、状況は、若干異なるかもしれない…)、移民問題を家族に譬えてみれば、移民とは、家族の中に、見知らぬ他人が入ってくるようなものです。移民側の自由を全面的に認めよ、との主張は、あらゆる家族は、無条件に他者が家庭に入ってくることを認めよ、と言っているようなものなのです。受け入れ側には、自らの家族を護ったり、移民を選別する権利はないと…。はたしてこの主張、正しいのでしょうか。受け入れ側には、何らの権利も認められないのでしょうか。仮に、受け入れ側に、一切の拒否権がないとしますと、自分達とは価値観が違い、犯罪を容認するような人々が勝手に住み着き、国民に危害を加えてくるかもしれません。しかも、個人の資格で移民してきた人でも、同一民族の出身者が集まって特定の場所に集住すれば、国家の内部に異民族集団が出現してしまいます。

 人間とは、生来、我儘なものですので、自らが移民する側にある場合には、移民側の自由を主張する一方で、自らが受け入れ側にいる場合には、国民側の権利を護ろうとするものです。移民側も、逆の立場を想定すれば、受け入れ側の権利を理解できるはずです。これまで、移民側の自由のみが厚く保障されてきましたが、受け入れ側の権利に配慮しませんと、異民族間の対立や摩擦による混迷が深まるばかりです。日本国政府は、外国人永住権の取得条件を緩和する方針なそうですが、たとえ、”高度人材”であっても、国民に危害を加えたり、日本国、並びに、普遍的な価値観を拒絶するような移民に対しては、永住権を認めてはならないと思うのです。

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コメント (8)
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