万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ナチスのユダヤ人迫害の核心は共産主義・新自由主義批判

2013年08月12日 15時14分52秒 | 国際政治
アウシュヴィッツで考える、麻生発言(上) アウシュヴィッツ強制収容所を訪問(東洋経済オンライン) - goo ニュース

 先日、麻生財務相が、改憲関連して”ナチス”の一言を口にしたことから、氏がユダヤ人迫害を容認したかのような批判が随所に見られるようになりました。おそらく、麻生氏の関心は改憲の手法にあり、ユダヤ人迫害は、直接的には関係がないのでしょうが、ナチスは、これまでも、常に、ユダヤ人迫害と一対になって糾弾されてきました。

 600万人ともされるユダヤ人が虐殺されたのですから、ヒトラーによるユダヤ人迫害は、許されざる非人道的な大量虐殺です。この点に鑑みれば、ヒトラーは断罪されて当然なのですが、その一方で、何故、ユダヤ人は迫害されたのか、という理由に迫る人は殆どいません。もちろん、キリスト教世界であったヨーロッパでは、ユダヤ人は、キリストを裏切ったユダのイメージが重ねられ、かつ、ユダヤ教を信仰していたために、異教徒として扱われてきました(各地にゲットーも存在…)。ですから、ユダヤ人迫害の責任は、ヒトラーのみ帰せられる訳ではないく、一般の人々とユダヤ人との間には、どこの国でも緊張を孕んでいたのです。ユダヤ人の疎外感は、祖国を持たない”流浪の民”である故の宿命でもあります。その結果として、ユダヤ人が伝統的、あるいは、保守的な社会や思想に背を向けて、現世的な利益に固執するとともに、新たな思想の創造者となったことは理解に難くはありません。中世以来、金融を牛耳っていたのはユダヤ人でしたし、共産主義の生みの親であるマルクスもまたユダヤ人でした。今日の新自由主義も共産主義も、その源流は、異端であったユダヤ人の特異な境遇に求めることもできます(居住国の歴史、伝統、そして運命は関心外…)。そして、これらの思想は、伝統的な国の在り方や民族にとりましては、破壊的な意味を持ちました(第一次世界大戦におけるドイツの敗北も、ユダヤ人による裏切りとその一味である国際共産主義のせいとされた…)。ヒトラーが目の敵にしたのは、ユダヤ人そのものと言うよりも、ユダヤ人がもたらした、国家体制や既存の社会をも転覆しかねない共産主義であり、そして、新自由主義であったのです。この点を考慮しますと、ヒトラーは、大量虐殺ではなく、言論を以って共産主義や新自由主義と闘うべきでした(もっとも、ヒトラーは、暴力の使用を共産主義の暴力革命に対する抵抗力として正当化していた…)。

 今日なおも、民族自決の原則が植民地支配を解放しながら、国家や民族の尊重を主張しますと、ヒトラーの再来とばかりに批判を浴びる傾向にあります。しかしながら、共産主義や新自由主義は、国なき民が考案したことを考慮しますと、これらの思想に対する批判を封じる口実に、ナチスが利用されてはならないと思うのです。今日では、イスラエルが建国され、ユダヤ人ももはや”流浪の民”ではないのですから、ユダヤ人もまた、自らの祖国が内部崩壊させられてしまう危機感を理解できるのではないでしょうか。

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コメント (2)
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