万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日本の朝鮮統治のアメリカでのイメージ-児童文学の問題

2013年08月03日 15時28分44秒 | アメリカ
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 先日、Yoko Kawashima Watkins氏の『竹林はるか遠く』が邦訳版として出版されました。この本は、1986年に出版されて以来、アメリカの多くの学校で教科書の副読本として採用されてきましたが、韓国系米人の反発を買ったことでも知られています。その理由は、戦争末期に起きた朝鮮半島における日本人大量虐殺を描いたからです。

 Watkins氏の執筆の意図は、戦争の悲惨さを伝えることにあり、日本擁護論ではないことは、筆者本人も明記しています。このため、氏は、英語版の冒頭では、読者に対して、韓国人作家による日本の朝鮮半島統治を描いた二つの作品を挙げて-Londa Sue ParkのWhen My Name Was KeokoとSook Nyul ChoiのYear Impossible Goodbyes-、一読を勧めています。どのような内容かと思い、アマゾンのページで確認したのですが、どうやら、日本国の統治を、固有の名前さえも強制的に奪われた悲惨で残忍な”占領時代”として描いているようなのです(読む気になれず、出版社の紹介やコメントによります…)。実を申しますと、『竹林はるか遠く』にも、細かいところでは事実誤認等や不正確さはあるのですが、韓国人作家のこれらの作品には、前者に増して史実と異なる部分が数多くあるそうです。そもそも条約に基づく韓国の併合は”占領”ではありませんし(残念ながら、Watkins氏もthe occupationと表現している…)、創氏改名は、新たに設けられたのは”氏”であり、韓国の”姓”はそのまま残されました。仮に日本国の強制であれば、創氏改名は100%となるはずですが、結局は80%程であったそうです。日本国政府の奨励や誘導があったとしても、中には日本名を名乗りたがった朝鮮人もおり(日本名の方が国際的には信頼された…)、実際には、創氏改名以前にあって、勝手に日本名を名乗っていた朝鮮人も少なくなかったそうです。こうした基本的な部分に誤りがありながら、これらの作品は、『竹林はるか遠く』と同様に、アメリカの子供達に読まれています(日本統治下にあって朝鮮半島が劇的に近代化され、小学校から京城帝国大学まで、数多くの教育機関が建設されたことには触れていないのでは…)。この結果、これらの作品を読んだアメリカの子供たちは、日本=残酷な加害国、韓国=哀れな被害国というイメージを抱いて大人になることでしょう(韓国の捏造がやすやすと信じられてしまう土壌に…)。

 韓国人作家による作品もまた、『竹林はるか遠く』と同様に、10歳ぐらいの少女の目から見た戦時期の体験記なそうです。両書とも、『竹林はるか遠く』の出版後に登場してきていますので、あるいは、日本人虐殺による韓国のイメージ悪化を恐れた韓国政府が、プロパガンダ政策の一環として積極的に出版を後押しした可能性もあります。日本人が知らないうちに、史実と異なる虚像がアメリカの子供たちに刷り込まれていくとしますと、これは、看過できない問題です。児童文学が、政治的なプロパガンダの道具、あるいは、誤った理解の元とならないよう、日本国政府は、作品に明白なる虚偽がある場合には(フィクションであるならば、フィクションと明記すべき…)、筆者、あるいは、出版社に訂正を申し入れるべきではないでしょうか。

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コメント (4)
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