自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

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セレンディピティ ボー・ピーボディ・著  Lucky or Smart?

2014-12-21 08:05:40 | 生き方






私は小さいころから「器用貧乏」と言われ、大人になってからも

「どうして最後の詰めを諦めちゃうの?」または

「もう飽きたのか! またか!」と言われ続けてきました。

そのことで少なからぬ引け目を持っていたのですが、

下記の本を読んで、少し気が休まりました。



私と同じタイプの方には朗報だと思い、ご紹介します。

そうでない方々にも、少なくとも、Serendipityという言葉の意味を知っておくことは、

何かの時に役に立つと思います。



参考図書: セレンディピティ ボー・ピーボディ・著  Lucky or Smart?

言葉の定義について、Wikipediaの説明は下記のようになっています。
(Wikiからのコピペです。)


  セレンディピティ(serendipity)とは、

  何かを探しているときに、

  探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である


  何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見する「能力」を指す。

  平たく言えば、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、

  幸運をつかみ取る能力のことである。



さらにWikiの説明を紹介すると、

  「serendipity」という言葉は、イギリスの政治家にして小説家であるホレス・

  ウォルポール(ゴシック小説『オトラント城奇譚』の作者として知られる人物)が

  1754年に生み出した造語であり、彼が子供のときに読んだ

  『セレンディップの3人の王子(The Three Princes of Serendip)』という童話に

  ちなんだものである(セレンディップとは現在のスリランカのことであるから、

  すなわち、題名は「スリランカの3人の王子」という意味である)。


  ウォルポールがこの言葉を初めて用いたのは、友人に宛てた書簡において、

  自分がしたちょっとした発見について説明しているくだりにおいてであり、

  その書簡の原文も知られている。



  この私の発見はまさに私に言わせれば「セレンディピティ」です。

  このセレンディピティという言葉はとても表現力に満ちた言葉ですよ。

  この言葉を理解していただくには、へたに語の定義などするよりも、

  その物語を引用したほうがずっとよいでしょう。


  かつて私は『セレンディップの3人の王子』という童話を読んだことがあるのですが、

  そのお話において、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、

  彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。


  例えば、王子の一人は、自分が進んでいる道を少し前に片目のロバが

  歩いていたことを発見します。なぜ分かったかというと、

  道の左側の草だけが食べられていたためなのです。

  さあ、これで「セレンディピティ」がどのようなものか理解していただけたでしょう?


明日は、私の場合を考えてみます。
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ロットネスト島の絶景

2014-12-20 07:12:36 | 旅行

物凄い強風の中、View Pointまでヨロヨロと進み、記念撮影。


晴れているけれど、波しぶきと天気雨でレンズに水滴が!





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「これからの日本、経済より大切なこと」②

2014-12-19 06:13:29 | 生き方








P.149で 池上章氏が書いている項。

   向上心と「足るを知る」のバランス


   (日本人の)どこまでも上を目差そうとする精神性が、

   常に満足できないというストレスを招いているとも考えられます。


   
P.150 日本人が幸せを感じられるようになるために、足りないものがあるとすれば、
   それは「足るを知る」という能力でしょう。
   日本人は向上心が強すぎるのです。そこで必要なのは、ダライ・ラマ法王が
   おっしゃるように、心に目を向けることではないでしょうか?


私は自分のブログに、<自分が忘れたくないことがら>と

<読者の皆さんに役立てていただきたいことがら>をメインに書いています。

その観点でいうと、少し、はずれてしまいますが、


今回の池上氏のご意見は、私としては、何か引っかかるところがあって
「そうよね~」と同感できない部分があります。
それは<言葉の綾>に過ぎないのかもしれませんが。

私としては、<上を目差すのは当り前> であって、

少しずつでも前進していれば、満足できる と思うのです。


ここまで書いてみて、初めて気付いたような気がするのですが、
私の悩みは、
<前進の度合いが、自己満足で終わっていないかどうか?>という疑問なのです。
池上流にいえば、「足るを知っていない」ということ?

いずれにしても、私はこの悩みの解決を求めて走り回っています。
多分その姿は<風車に立ち向かうドン・キホーテ>?


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「これからの日本、経済より大切なこと」

2014-12-18 22:58:06 | 生き方

島の代表動物がクオッカだから……

風向計も風見鶏でなく、風見クオッカでした。






表題は池上章氏の著書(2013-11)で、ダライ・ラマ氏との共著です。

P.115 ダライ・ラマ: もし私達が本当に必要なものだけで満足するという原則に

   従って生きることができたら、私たちは皆、

   心に絶えずのしかかっている不安や苦なしに生きていくことができるでしょう。


   
と、言われても……と、思って、困っています。

私は<必要な物がとても少ない人間>なので、物質的には満足しています。

でも、不安で苦しいのです。


本当に困っている人たちが世界中に溢れている時代に、

私はどれだけ働けば良いのか? 全然足りていないのではないのか?

常に心の中にある悩みです。
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「下りのなかで 上りを生きる」 ⑦

2014-12-17 15:35:48 | 唄と踊り
写真はQuokkaワラビー。巨大なネズミのようなイメージ。
でも、齧歯目ではなく、カンガルーの仲間です。




誰にもいじめられないせいか、人を恐れず、自由に動いています。




さて、今日のテーマ・カテゴリーが何故<歌と踊り>なのか?

それは次回のミュージカル・テーマに繋がるものだからです。


P.237で、著者は彼が感銘を受けた、パレスチナの医師のことを紹介しています。

  Dr.Izzeldin Abuelaishは2008年のイスラエルのガザ攻撃で

  3人の大切な娘を爆撃で殺された。遺体は木っ端微塵になり、彼は絶叫した。

  (中略)

  彼は絶叫しながら、医師として他の傷ついた子供達を必死に救命し続けた。

  彼は『それでも、私は憎まない』という本を書いた。



P.238 (前略)憎しみは何も生み出さない。Abuelaish氏を日本に招き、

   「憎まない生き方」という講演会をした。

   やっかいな動物である人間が、どうしたら憎まないことができるであろうか。

   そんな話し合いをした。


   未来を見据えることだ

   二度とパレスチナの子供達がこんな無残な殺され方をしないためには、

   憎しみをかき立てても憎しみのキャッチボールになり、

   さらなる大きな悲劇がやってくる


   未来を見ることによって、彼は憎まない方法を見つけ出したのだ

   地球上にもっと平和がやってくることを願い続けている。

   微力だけど、やれることはとにかく、

   空振りでもいいからやってみようと思い続けている。


著者・鎌田医師は偉いなぁ!と、私が思うのは、

実際にシリアやイラクの難民キャンプに通い、動かれていることです。

  (チェルノブイリの事故の後、)

P.141 日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)という組織をつくり、

  測定装置を希望する妊婦や子供達50人にフィルムバッジという

  積算線量計を貸し出した。1ヶ月に1回、外部被爆量が出る。


気になることがあれば、ウクライナ国立放射線医学センターの担当者に

会いにいき、質問し、意見を交換し、現地を見て学び、研究されているのです。



ミュージカル研究会は次回の公演で、私のシナリオを上演、

<喧嘩や暴力では何も解決できない>

<お互いの立場や生き方を理解し合い、認め合おう>と歌います。


医師である鎌田氏のような、凄い働きはできないし、

<歌と踊りで!>なんて<ただの趣味または遊びじゃないか!>とまで

言われそうです。


それでも、今、私が<平和のために>やれることは、ミュージカル活動と、

普通の高齢者たちの健康維持・増進のための運動・研究……


最後に鎌田医師の言葉を、忘れないように、書き写します。

P.245 憎しみは横に置いて、誰かのために汗を流し、

   肩の力を抜いて生きていく。

   99%自分のために生きながら、1%は人のために生きる。


   そんな自分に変わってみようと思う。

   「新しい人間」になろうと思う。

   あったかさを武器に絶望を希望に変える突破力のある人間になりたい。


かつて、このBlogでご紹介したA.ヘップバーンの言葉を思い出しました。

   「年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。

     ひとつの手は、自分自身を助けるため、

      もうひとつの手は他者を助けるために。」

「2本の手のうち、1本を!」というと50%差し出すことになりますが、

鎌田医師のいう「1%」なら、多くの人にとって達成可能範囲かもしれません。

そう、特別に偉い、少数の人が50%出すよりも、

その100倍の人数が1%ずつ出す方が総量としては力になるのかもしれません。





   

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「下りのなかで 上りを生きる」 ⑥

2014-12-10 06:44:50 | 推薦図書

ロットネスト島の桟橋。夏休みで訪れている家族、子供たちの自転車の群れ。


電動バスに乗って島内一周観光。

P.215  チェルノブイリ被災者市民団体「ゼムリャキ」のリーダーの女性は、

   <家がなく、住まいを転々としていた時はとても未来が不安だった>

   <まず家が与えられたことによってどれほど心の傷が癒されたか、

      はかりしれない>という。


   日本では20キロゾーンのなかの人々の多くは仮設住宅にいる。

   借り上げのアパートや、賃貸しの家を借りて生活をしている人もいるが、

   家をつくって安定した住まいを持った人はまだ少ない。


   3年経とうとしているのに、多くは安定して住める居心地のよい住まいを

   獲得していない。これは政治の脆弱さによる悲劇だ



P.222 隣に苦しんでいる人がいたら、その人の苦しみや悲しみに共感してあげたい。

   悲しみや苦しさを知っている人は人を癒すことができるんだ。

   悲しい時を生きている時こそ、

   人を支えたり、支えられたりが大事だ。


   下り坂のなかで上りを生きるために必要なのは「生きがい」と「絆」だ。


   生きるためにこの二つがどうしても必要。被災者の人達にまず、家を。

   仮設住宅はもうかわいそうだ。

   仮設診療所、仮役場……。仮という字があふれている。


   人生に仮なんてない。仮の人生なんてないのだ


最近、私自身の生活で、断捨離が進んできたせいか、

自分が思うように整理できる空間の有難さを感じます。

小さくても好きな雰囲気の住空間を楽しめる喜びは大きい  のです。


それなのに、原発事故のせいで、住み慣れた家を追い出され、

居住性の悪い仮設住宅住まいを強いられるなんて、酷過ぎる!と思います。

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「下りのなかで 上りを生きる」 ⑤

2014-12-08 05:42:39 | 推薦図書
写真は西Australiaの旅。10/5(日)船でロットネスト島観光に出発。










P.192 (前略)おそらく1988年に結ばれた日米原子力協定が足かせになっている。

   日本は独立国でありながら、日本自身が日本の方針を決められない。


   アメリカは、言いなりになる日本が必要なのだ。

   原発でできてしまったプルトニウムを利用して原爆をつくる力があるのに、

   つくらない日本の存在を、原発を始める国のお手本にしておきたいのだ。


P.193 核の平和利用については日米の両者の承諾によってのみ変更ができる、

   という一文がある。原発は平和利用と言っているが、

   原発を動かせば必ず原爆の材料ができるという大きな欠陥を持っているのだ。


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「下りのなかで 上りを生きる」 ④

2014-12-07 06:12:11 | 推薦図書


P.153 福島県の県民健康調査管理検討委員会の福島県立医大教授は、

   県内ではじめて小児甲状腺がんがみつかった時

   「もともとあったものを発見した可能性が高い。

    原発事故との因果関係は考えにくい」と語ったが、

   それを聞いて納得するお母さんは、多くなかったのではないか。


   なぜ、原発事故と因果関係は考えにくいと断定できるのかがわからない。

   
   福島第一原発事故と子供の甲状腺がんの多発が関係あると断定はできないが、

   関係がないということも断定できない。これが正しい姿勢だ。


   
   (中略)原発事故と関係あるかどうかがわからないが、

   福島の子供達を守るために慎重に因果関係を調査しながら、

   子供達の検診のスピードアップを図ります、というのが

   科学者のとるべき正しい態度である。



P.166 放射線との付き合いは長期戦になる。

   放射能の「見える化」と「検診」が大事だ。

   健康診断、内部被爆の測定、食品の放射線測定を徹底しながら、

   子供の命を守っていかなければならない。

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「下りのなかで 上りを生きる」 ③

2014-12-06 08:41:46 | 推薦図書


P.109 安倍政権に対して、辛口の論評がなされています。

同感です。

P.110 …… このままの安倍さんの手法では、さらに国の借金が広がり、

   お手上げの状態になる。財政規律を早く確立しないといけない。

   
    ここで彼が上手なたづなさばきをし、「ほどほどの成長」と

   豊かな成熟を目指すような方針にハンドルを徐々に切っていければ、

   日本は崩壊しないですむかもしれない。


   1008兆円の借金で首が回らない重症の日本にカンフル剤を打ち続ければ、

   なんとかなるだろうとの診断は甘い。

   国はさらに国土強靭化政策などといってコンクリートに巨大なお金を

   流そうとしているが、果たしてそれが幸せな生活につながっていくのか。


同感です。

しかし、「豊かな成熟」とは??

私自身の感覚としては、<簡素で、美しい住宅>あってこそ!と思います。

もちろん、家ばかり綺麗で、料理は既製品、文化活動ゼロでは困ります。

衣食住が健康的に営まれた上で、心の充実が望まれる…と思いたいのです。

それが「豊かな成熟」だと。
   
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「下りのなかで 上りを生きる」 ② 

2014-12-05 07:08:58 | 推薦図書







P.98 ハーバード大学公衆衛生学教授イチロー・カワチ氏が紹介されています。

「不平等が健康を損なう」2004.10

「命の格差は止められるか
  -ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業- 」2013.8

   彼は3万人の調査結果をもとに

   「なぜ日本が健康で寿命が長いか」を説明している。

   その理由は意外や

   「絆」や「格差のない社会」だというのだ。



うぅ~~む、本当に「格差」はないのだろうか???

確かに、インドやアフリカほどの格差は無いと思いますが……

ま、とにかく上記の本を読んでから、また書くとしましょう。
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