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2/20から分割してご紹介している本の第4章です。
この項の担当は、医療倫理学・臨床死生学・医療社会学の専門家。
(執筆当時は東京大学大学院人文社会系研究科・死生学特任教授ほか)
まずは言葉の定義
p.136 延命医療とは:一般的には
「回復の見込みのない患者さんや、症状の悪化が食い止められなくなった
患者さんに対して、もっぱら生存期間の延長のために行われる医療行為」
通常は、
「治したり、症状の改善をしたり、またQOL(生活の質)の向上のために
いろいろな医療行為が行われる。その同じ医療行為が、もっぱら
生存期間の延長のためだけに行われるに至った場合、延命医療の
医療行為となっていく」
p.137 経鼻経管栄養法:口から食べられないときに鼻から管を通して栄養を
胃に直接送る方法。
(中略)本人にとって不快で苦痛のある方法
p.138 PEG:内視鏡の一種である胃カメラを使用して、胃ろうをつくること
(お腹に小さな穴を開けて胃までチューブを通しそこから栄養を摂る方法)
胃のない人には腸ろう、または食道ろう(PTEG)という方法もある
<延命医療の問題点>
p.142 生存期間を延ばすことは、医学・医療の長年の目標だった
(中略)ただ生存しているだけで、最後の段階を引きのばしているのは、
かえって(本人にとって)迷惑だと思う人がいるのではないか
私が勉強した範囲では、<発展途上国はもちろん、欧米でも、現在は
自発的に食べなくなったら、無理強いしてまでは食べさせないし、
経管栄養や胃ろうなどの延命医療処置は行わない>です。
すると、どうなるか? 当然、その高齢者は痩せ細って、ひからびていきます。
本人は別にひもじいわけではなく、痛みも苦しみも薄れて、幸福感さえ覚える。
だから、放置してよいのではなく、身体や居室を清潔に保ち、快適にしてあげ、
周りに家族や友人がいて、ときどき声をかけたり、昔話をしたり、
食べたいもの・して欲しいことがないか、聞いてあげる・・・・
私自身は、場所は自宅でも施設でも何処でも良いけれど、
上記のような最期を迎えたいと、切に思っています。
ところが、、、、日本では、これが難しいようです。
これを妨げる最大の抵抗勢力は、家族。次が医者
そして日本人(マスコミ?)の死生観の変遷。(p.144に紹介あり)
この問題は「お金のある先進国特有の話」という説がありますが、
果たして日本は、お金が有り余っているのでしょうか?
原発事故の始末に途方もないお金を使い続け、加速する災害多発国で、
女性の働く場所も環境もお寒い国が、裕福な先進国?
私は、個人的には日本は
「終末期の人々の何割かは分かりませんが、
一部の医療者に食い物にされている国」だと思います。
それは現在の国民皆保険制度のせいで、これ自体は素晴らしいものかも
しれませんが、弊害はたくさんあると思うのです。
資源がたくさんある裕福な国でもやっていないようなことを
我が日本では、子孫に対して膨大なツケを作り続けながら、
医療費を垂れ流している・・・・。
そんな気がして、気持ちが落ち込んでいます。
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