駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『THE LAST PARTY』

2018年06月16日 | 観劇記/タイトルさ行
 日本青年館、2018年6月15日11時。

 1940年12月21日、ハリウッドにあるシーラ・グレアム(憧花ゆりの)のアパートメントで、アメリカ文学を代表する小説家スコット・フィッツジェラルド(月城かなと)が死を迎えるまで、あと2時間。彼の脳裏に、その華やかな人生を取り巻いた人々の姿がよみがえり、最後のパーティーの幕が開く…
 作・演出/植田景子、作曲・編曲/吉田優子、瓜生明希葉。2004年に宙組と月組で宝塚バウホール初演、2006年に共に東京で再演された作品を、ダンスナンバーと衣装を一新して再々演。全2幕。

 私は長く大空さんのファンをしているのにもかかわらず、この作品を初演も再演も生では観ていなくてお恥ずかしい限りなのですが(宝塚歌劇自体から一番足が遠のいていた時期でした)、もちろん映像では見ていますしDVDも持っていますし主題歌は愛聴しています。景子先生のバウ作品には佳作が多いですが、これもメタシアター構造とスタイリッシュな構成がとてもおもしろく美しく、傑作のひとつだよなとずっと思ってきました。
 初めて生で観て、やはり舞台で観る方がさらに格段に良く見える作品だなと思いましたし、いい意味であまり宝塚歌劇らしくないくらいの素晴らしい出来の戯曲に仕上がっているんだなと思いました。スコットを演じる役者TSUKISHIRO、がほぼ出ずっぱりの舞台で、セットチェンジはなく、背景の全面書き割りみたいなのは逆によく変わって、その「ハイ、お芝居をやってるんですよー」感がまた素晴らしく効いている作品です。今回、生演奏なのもとてもよかった!
 ダンスナンバーが変更されたのは懐かしさという意味では残念でしたが、お衣装はより華やかに鮮やかになっていて素敵だなと思いました。そして主題歌2曲やスコットとゼルダ(海乃美月)のラブソングは変わっていないので、もう前奏から痺れましたよね…あと照明もとても効果的でよかったです。
 以前の印象では、まあ主役が大空さんだったからかもしれませんが、もっとクリエイターとしての、作家としての苦悩に焦点が当たっていた印象で、それは景子先生が自分の迷いや叫びを仮託している部分もあるんだろうし、でも私は一般の観客には「知らんがな」と言われかねない部分でもあるぞ、とか危惧した記憶もあるのですが、今回は自分が歳をとったからかはたまた景子先生も丸くなったのか、それともれいこちゃんのよりマイルドなナチュラルさ故か、たとえクリエイターでなくても、人は誰でもやりたいこととやれることの落差に悩んだり、人からどう思われたいか、なのにどう思われてしまっているかといったことに傷ついたりするものなので、誰にでも共感できる、そうした普遍的なドラマとしてくっきり立ち上がっていて、静かに熱くこちらの心に迫ってくるかのように感じました。とてもよかったです。
 また、スコッティ(菜々野あり)とのくだりや公園の学生(風間柚乃)とのくだりがことによくて、でもこの場面も以前の記憶よりも、人は誰でも、親でなくても作家でなくても、誰かにボールをパスするために生きなくてはならないのだ、どんなにつらかろうと苦しかろうかろうと生き続けていかなければならないのだ…というようなことを訴えているかのように思えて、もうダダ泣きしました。ゼルダだって、別に病気に逃げてしまったわけではないし、自死したわけでもない。自殺を選んだのはむしろマッチョに思われていたヘミングウェイ(暁千星)の方だったのです。
 でもみんな、傷つきながらもあがいてころがってがんばって生きた、普通の人々だったのです。その作品は世につれて、評価はコロコロ変わるかもしれない。けれどやはりいいものは永遠に生き残るのだ、人の生き様もまた語り継がれ続けるのだ…そんな優しく、力強い、けれど決して押しつけがましくないメッセージを受信しました。大人になったなあ…そのことに、泣けました。
 この作品は、初演から2年後に機会を得て再演されたことからもわかるように、当時とても好評で高評価だったのだろうとは思うのですけれど、でも今のくーみんのような熱烈テンションで支持されていたのだろうかと思うとおそらくそんなことはなかったのだろうとしか思えず、それこそそうした評価は世につれるものなのかもしれませんが、宝塚歌劇団初の女性演出家として道を切り開いてきた景子先生には改めて敬意を表したいなと思いました。ちゃんとしている作品はとてもとてもちゃんとしているんですよマジで。大劇場ではちょっとアレレでも。きちんと評価していきたいです。
 『舞姫』も『アンナ・カレーニナ』も再演すればいいのになあ、下級生が鍛えられると思うけどなあ。これも実は生で観られていないので私が観たい、というのもありますが、企画としてご一考いただきたいです。5組回すバウWS景子文学シリーズ、アリだと思いますよ?

 では、以下、生徒の感想を。
 れいこちゃん、渋い大空さんに似合いだったスコットはニンが違うかな?と思っていたりもしたのですが、そんなことはなかった! キラキラしていて、でも根は真面目で不器用で…みたいな感じが実にスコットで、ゼルダと似た者同士感があってとてもよかったです。お衣装もどれも似合っていましたし、晩年の疲れた感じの演技もとてもよかった。大空さんはややしんどそうに歌っていた歌を(笑)明るい声で歌ってくれて、かえって泣けました。ボールの扱いが怪しいところもいい(笑)。フィナーレは踊れていなくて、ひびきちとありちゃんに挟まれるとオイオイって感じでしたが、それもまた愛しかったです。いいスターさんになりましたよね、それに本当に華が出てきたと思います。
 物語としてはけっこう渋い話だから、外部でリアル男優が演じても…とか途中までは考えたりしていたんですけれど、自分たちの写真に赤い薔薇を一輪添えて、照明絞って、立ち去っていく…なんて気障なことは宝塚歌劇の男役にしか許されないな、と痺れました。初の登場主演、おめでとうございます。まだ幕が開いたばかりですが、どんどん深まっていくことでしょう。ルキーニも楽しみです!
 くらげちゃんは本当に達者で上手いと思うんですけれど…残念ながらやはりゼルダというには美貌が足りなかったのではあるまいか…そこだけが残念でした。フィナーレのデュエダンのカバー力とかホント絶品だったんですけれどね…『ギャツビー』のデイジーに通じるファムファタルですから、やはりとにもかくにも華やかさ麗しさが欲しかったのでした。ファンの方にはすみません。
 すーさんのシーラ、なっちゃんのローラはさすが絶品でした。
 スコットが秘書に母性を求め、美人は雇わないことに関するくだりでは、なっちゃんが上手すぎるってのもあるけど客席がちょっと笑いすぎな気がして私は気に障りました。史実なのかもしれないけれど女性差別的だし、でもこういうエピソードを女性作家が嬉々として再生産してきたことって今まではよくあったことで、でもそろそろどうかと思ったよケイコ…と言いたかったです。
 ありちゃんのヘミングウェイは出番がちょっと増えていて、スコットに対する立ち位置がよりわかりやすくなり、またお話としてもより効果的になっていたと思いました。もっと場をさらっちゃうくらいにやっちゃってもいいと思うしできるとも思っているので今後に期待。フィナーレのダンスはもちろん圧巻でした。
 うーちゃんは私はちょっと判断しかねているところがあって、今回もやり過ぎない、イメージ程度のポジションであった方がいい役なんだと思うので、保留。少なくともメイクでもっと美形になる気がするので、さらなる努力に期待します。
 おだちんは上手いよね、いい味出しますよね。みりおの学生とはまた違って、でもこういう子いる、こういうこと言う若い子いるって思えたし、バイトもどれも上手かったです。
 まりんさんはなんかちょっと精彩を欠いた気がしました。ならひびきちがやってもよかったと思うよ?と個人的には思ったりしました。

 みんながたくさんバイトしてアンサンブルも務めて、でもきっちり仕上がっていた、いい舞台でした。観客がより慣れてきて、ちゃんと早くから席について、ライトが当たったタイプライターを眺めたり蓄音機の音楽に耳を傾けたりしながら、役者が舞台に出てきて照明が落ちて芝居がそっと始まるのを待てるようになると、よりいいのになと思いました。
 梅田でも観たかったかな。千秋楽まで、進化し続けてください。

コメント
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