映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

エンジェル、見えない恋人(2016年)

2018-11-01 | 【え】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 マジシャンの恋人が失踪し、ルイーズ(エリナ・レーヴェンソン)は心を病んで施設に入る。そこで生んだ息子のエンジェルは不思議な特異体質を持っていて、誰の目にもその姿が見えなかった。ルイーズは世間との接触を一切経ち、懸命に息子を育てた。

 エンジェルは、ママが小さい頃に両親に連れられて行ったという湖のほとりにある小屋の話が大好きな、優しい男の子に育った。

 ある日、ふと施設の窓から近所の屋敷を覗き見たエンジェルは、そこにいた女の子のことが気になって仕方がない。間もなく、エンジェルは施設を抜け出し、屋敷に向かう。庭でブランコに乗っていた盲目のマドレーヌは、エンジェルに話しかける。驚いたエンジェルが「ぼくのことが見えるの?」と尋ねると、「見えないけど、声と匂いがするから」と答える。マドレーヌはエンジェルの秘密に気づかない。

 彼らは次第に心惹かれ合っていき、二人きりの幸福な時間を過ごす。一方、ルイーズの容態は悪くなるばかりだった。そんな折、マドレーヌが視力を回復させる手術を受けることになる。「あなたの姿を見られる」というマドレーヌに対し、エンジェルは自分の秘密を伝えられなかった。

 それから数年が経ち、その間にルイーズは亡くなってしまう。

 ある日、マドレーヌ(フルール・ジフリエ)が屋敷に戻ってくる。美しい女性に成長し、視力も完全ではないが回復した彼女はエンジェルの姿を探す。しかし彼を見つけられないマドレーヌは、姿を見せてほしいと書いた手紙をルイーズのお墓に置く。実はすぐそばにいたエンジェルは、昔みたいに会いたいので目を閉じてほしいと返事を書く。

 再会した二人は、再び夢心地の時間を過ごすようになる。しかし、エンジェルの姿を見たいというマドレーヌの想いは消えない。エンジェルは、ついに自分の秘密を打ち明けることになる。

=====ここまで。

 ジャコ・ヴァン・ドルマルが、監督ではなく制作・総指揮の作品。

 
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 ジャコ・ヴァン・ドルマル監督作品が割と好きなので、まあ、これは監督ではないけど一応見ておこうか、と思って劇場まで行ってまいりました。まぁ、ある意味、ジャコ・ヴァン・ドルマル風ではありながら、ちょっと亜流な感じを受けたのは私だけ……?


◆パラドックス

 カップルの片割れが、見えなかったときは上手く行っていたのに、見えるようになったら破局した、、、とかいうオハナシは結構ありそうだけど、本作は、それと似て非なる話。

 “見えないときには確かにいたのに、目が見えるようになったら、いなくなってしまった”……それは、あなたのことです、エンジェル。

 冒頭に書いたオハナシとどこが違うか、、、。目が見えるようになったら、もう一方の片割れの本当の姿が見えた、というのが、冒頭の話。こういう話の場合は、大抵“見えないときの方が、人間的にピュアだった”的な、ある種の寓話みたいなものが根底にあるように感じる。もっというと、説教臭い。見えるようになってからの世界が“現実”であり、見えないときの方が幸せでいられた、みたいな。

 でも、本作は、目が見えなかったときも、見えるようになってからも、片割れの姿をビジュアルで認識できない。だから、見えるようになってからの世界として描かれている、中盤以降の方が、むしろファンタジー色が強くなっていて、これが、ありがちなおとぎ話とは決定的に違う構成だと思う。しかも、マドレーヌは、見えるようになって、“現実”を知ってからの方がむしろエンジェルを深く愛していくようになるのである。

 目が見えないときの方が確かに感じられたその人。見えるようになったら、どこにいるか分からなくなる、、、というのは、なかなか面白いパラドックスです。

 終盤、エンジェルがマドレーヌに真実を明かす際、彼女の前に姿を現すに当たり、ビジュアル化するため(だと思うが)、白い布を被っている。そこにエンジェルがいることが分かる。そして、マドレーヌがエンジェルの姿を見ようと布を取ると、そこには何もない、、、。実際には透明のエンジェルがいるわけだけど、全く見えない。

 まあ、確かに、透明であっても確かに存在しているのだから、体温や触感はあるわけで、しかもちゃんと言葉によるコミュニケーションも可能で、それは視覚がない世界で相手とかかわることと同じと言えば同じだよなぁ、、、。

 むしろ、透明で、エンジェルの顔や形が分からないからこそ、マドレーヌの目が見えるようになってからも、エンジェルに幻滅することなくいられたのかも。だって、永遠にエンジェルを理想化することができるから。

 触感では顔の輪郭は何となく分かっても、ちゃんとは分からない。玉木宏かムロツヨシかの違いは、多分、触っただけじゃ分からんだろ、と思うわけ。私だったら、相手の顔が見えたとき、玉木宏なら以前より好きになる可能性が高いが、ムロツヨシならその可能性は低い、、、と思う(ムロファンの皆さん、すみません)。でも、見えないけどそこにいる、触ることは出来る、というのであれば、本当はムロツヨシでも、玉木宏だと勝手に認識することは可能でしょ。そうすれば、私は、玉木だと思い込んで、テンション上がったままでいられるわけだ。

 おいおい、顔だけじゃねーだろ、というツッコミが聞こえてきそうだけれど、もちろん、顔だけじゃありませんよ。ただ、見なくてよいものを見なくて済む半面、見なくてはならないものも見られない=真実を知らぬまま、って面もあるよね、、、というハナシです。まあ、何でも真実を知ることが最善ではないので、それはそれで良いのだけど。


◆あの映画の下世話なあのシーンが、、、

 でもまあ、本作の面白いところはそこくらいで、あとは、イマイチ私には入り込めない世界でした。

 特に、マドレーヌが視力を得た後、エンジェルが真実を打ち明けるまでの描写が、かなりドン引きで、、、。エンジェルは真実を打ち明けるまでの数日間、マドレーヌに目隠しをさせたまま一緒に過ごすんだけど、当然、セックスもするわけで、、、。何しろエンジェルは透明人間だから、マドレーヌ役のフルール・ジフリエという女優さんの一人芝居になるわけ。一人で、マスターベーションではなく、相手がいるセックスをする芝居をする、、、って、ものすごい難しいと思うし、見ている方も、正直なところもの凄く気まずい感じになるのよねぇ。見ちゃイケナイものを見ている気分、というか。マスターベーションのシーンならゼンゼン良いんだけど、何でだろう、、、。

 気まずいというよりは、やっぱし違和感なのかも知れないけれど。

 あと、透明人間っていう設定だけに、イロイロ突っ込みを入れたくなるシーンが多々。例えば、エンジェルがものを食べるシーン。食べたものは、どうしてエンジェルの身体に入った瞬間見えなくなるのか? とか。エンジェルがマドレーヌをお姫様抱っこするシーンも、CGだろうけど、やっぱりもの凄くヘンだったし。片方が透明だと、本当にあんな風になるのか??という疑問が。

 正直、マドレーヌの一人でセックスシーンを見ていたら、『インビジブル』で透明になったケビン・ベーコンが、エリザベス・シューの胸を触るシーンを思い出しちゃったよ。あれは、スケベ心、覗き趣味でやったいたずらだから一緒にするなと怒られるかもだけど、、、。透明人間のエンジェルが、マドレーヌの乳房を触ったり、乳首を吸ったりするのがCGで描かれるのは、いささか不快感さえ覚えてしまった。……はて、何でだろう。やっぱし違和感かな。

 あの『インビジブル』でのシーンを自著でイラストを描いていた石川三千花が、本作のパンフ(買ってないけど)でイラスト入りコメントを寄せていたので、余計に、そのシーンが甦っちゃったんだよな、、、。

 
◆やっぱし監督として映画を作って欲しい

 ジャコ・ヴァン・ドルマルっぽいカラーは何となく出ていたような感じがあるけれど、ちょっとファンタジー要素が強すぎて、私はあまり好きじゃないかな、本作は。音楽や映像はとても良かったけど。

 制作って、どれくらい作品づくりに関わるのか分からないけど、、、というか、作品によってまちまちなんだろうけど、やっぱり、私は監督ジャコ・ヴァン・ドルマルが好きだわ。彼の独特の人生観というか死生観、美意識、音楽的&映像的センスetc……が好きなんだよね。だから、いくらお金出してプロデュースしていたって、監督として作品づくりに全責任を負う立場でない限り、やはり彼らしさを作品から感じるのは難しいのだろうな、と。

 『神様メール』からもう3年経っているけど、彼は寡作だから、、、次作はまだ何年か先ですかね。早く作って欲しいとは思うけど、こればかりは仕方がない。気長に待っています。







少女時代のマドレーヌが可愛い!!




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