霊芝山光雲寺は、少し場所は離れているが南禅寺の塔頭である。
背景に霊芝山を抱き、もともと名園であったようだが、昭和2年に小川治兵衛(第七代)が大々的に手を加えた現在の庭が有名である。背後の琵琶湖疎水を池に取り入れ、この池からの流れが白川へと注ぐ。
小川治兵衛の庭らしく、水の流れが大きなテーマになる。それは、ここから数百メートルしか離れていない、治平衛の最初の作、無隣庵と見事に共通する。ただし、この庭は彼の最後の作のようだ。
かろうじて、庭に紅葉が残っていた。
夕暮れの最後の光が紅葉を照らしだす。
この庭は昨年から今年にかけて大幅な修理が行われ、とてもよい状態にあった。お寺に置かれているパンフレットを読むと、その修理の苦労が偲ばれる。
私の駆け足の京都旅行も、この寺が最後となった。
背景に霊芝山を抱き、もともと名園であったようだが、昭和2年に小川治兵衛(第七代)が大々的に手を加えた現在の庭が有名である。背後の琵琶湖疎水を池に取り入れ、この池からの流れが白川へと注ぐ。
小川治兵衛の庭らしく、水の流れが大きなテーマになる。それは、ここから数百メートルしか離れていない、治平衛の最初の作、無隣庵と見事に共通する。ただし、この庭は彼の最後の作のようだ。
かろうじて、庭に紅葉が残っていた。
夕暮れの最後の光が紅葉を照らしだす。
この庭は昨年から今年にかけて大幅な修理が行われ、とてもよい状態にあった。お寺に置かれているパンフレットを読むと、その修理の苦労が偲ばれる。
私の駆け足の京都旅行も、この寺が最後となった。