相倉集落は、合掌造りの建物が23棟残されている。集落の中心を走る道を中心として、その左右に家屋が建てられ、その背後には急峻な山並みが聳え、脇街道のようなものはない。
集落の軸線となる道は、日当たりよりも、地形により方向が定められていて、集落の入口から奥に向かって南南西から北北東への方向を向く。
集落の中心を走る道沿いの建物は、ほとんどが雑貨屋さんや宿屋として使われているが、そこから少し入った民家は、未だに農家の母屋として使われているようである。
やや外れた所にある建物の中に、最も規模も大きく見ごたえのあるものがあるように見られた。
また、そのような位置からみれば、この集落がしっかりと農業を営んでいる事が理解できる。
昔からの石垣が、棚田を支えている。
集落の軸線となる道を挟んで、左右に1軒ずつ、2軒の建物がとても気になった。いずれも、合掌造り風ではあるが、民家の造りではなく、しかしとても見事な姿である。
右手は「倉壁山 相念寺」である。地元の人の手により、きちんと管理されている事が見てとれる。
左手はというと、地元の方に聞けば「お西さん」。集落の地図には西方道場と記載されている。
戻り梅雨の日の一時、実にしっとりとした情景を味わう事ができた。
集落の軸線となる道は、日当たりよりも、地形により方向が定められていて、集落の入口から奥に向かって南南西から北北東への方向を向く。
集落の中心を走る道沿いの建物は、ほとんどが雑貨屋さんや宿屋として使われているが、そこから少し入った民家は、未だに農家の母屋として使われているようである。
やや外れた所にある建物の中に、最も規模も大きく見ごたえのあるものがあるように見られた。
また、そのような位置からみれば、この集落がしっかりと農業を営んでいる事が理解できる。
昔からの石垣が、棚田を支えている。
集落の軸線となる道を挟んで、左右に1軒ずつ、2軒の建物がとても気になった。いずれも、合掌造り風ではあるが、民家の造りではなく、しかしとても見事な姿である。
右手は「倉壁山 相念寺」である。地元の人の手により、きちんと管理されている事が見てとれる。
左手はというと、地元の方に聞けば「お西さん」。集落の地図には西方道場と記載されている。
戻り梅雨の日の一時、実にしっとりとした情景を味わう事ができた。