蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

白山神社  能生

2010-08-30 21:43:34 | 神社仏閣
由来は古代までに遡るようで、奴奈川姫(ちなみに糸魚川線の糸魚川の直ぐ次の駅は姫川であり、翡翠が取れた地域を姫にみなしたのかもしれない)を産土神として裏山の権現岳にあった神社のようだ。それを奈良時代に白山信仰に改めたようだ。


現在でも海側から急な石段を登れば、鳥居の奥に18世紀の建築の拝殿が迎えてくれる。屋根はどっしりとした茅葺きである。




古代の遺跡を思わせるような、棟の反りに見える。
この奥に実はさらに歴史のある本殿があったのだが、あまりの暑さでボーっとしていて、ついに寄らずじまいとなってしまった。次の機会には、必ず目にしたいと思う。


石田屋  信濃平

2010-08-29 20:24:29 | 蕎麦
冨倉蕎麦の在来種を、隣のなべくら高原にて栽培した蕎麦を使うお店である。


つなぎとしてオヤマボクチを使うので、まさしく冨倉蕎麦の系統である。




蕎麦の甘みは、自家製粉らしく十分に出ている。石田屋さんは実は旅館で、副業で出されている蕎麦なのだが、その割にレベルは高い。
汁はちょっと江戸風に濃いのだが、この蕎麦にはもっと田舎風の薄味が合うように思う。
甘みを押え、それでも出汁は利かせた「薄味」と言われる汁で、この蕎麦を食べてみたい。

すし活  糸魚川

2010-08-28 22:39:46 | 寿司
糸魚川は海と山の間のごく狭い平地だが、きちんとした文化を育んだ場所である。


繁華街ではなく住宅地の中にあるお店なのだが、随分早い時間帯から賑わっている。
生ビールを注文すれば、お通しは南蛮海老の脳味噌である。確かに、にぎりには脳味噌は付けないのでそれなりの数が溜るのかもしれない。ともかく、味の塊である。




上にぎりは、なかでも白物がちゃんと主張するのだが、トロも堪らなく旨かったようだ。


それが、地物にぎりとなると、世界が一変する。あくまでも白。新潟らしい白身の鮨が、旨さを語って離さない。


左から4種類、鯛づくし。まだい、めだい、石だい、まとうだい。


甘エビから始まって左に、こち、生たこ、バイ貝。


それに白エビ(これって富山湾で捕れるすごく美味しいやつのよう)、夏が旬のキス、玉子焼き。


上にぎりには、泣かせのパリッとした海苔の巻物が出る。


あまりの美味しさに、アワビにサザエを追加した。期待通り、味が深かった。

旧三笠ホテル  軽井沢

2010-08-27 21:33:18 | 古民家、庭園
軽井沢は高原型別荘地として明治10年代後半から開かれたが、三笠ホテルの開業はそれより大分後の事となった。


三笠ホテルの設計は、アメリカで建築を学んだ岡田時太郎の手になる。
確かに建築のスケールは大きいのだが、周囲の環境と建物に違和感を感じてしまうのは私のひねくれた感想なのだろうか。
こういう窓の大きい建物は、数百エイカーも広がりのある草地の丘の上に建つのがふさわしいように思う。これほどに、緑が豊かで樹木が押し寄せてくるような環境にはいささかそぐわないような気もする。




当然、この建物としても日本庭園に置かれる石造りの五重塔のような八角堂や、ゲーブルを合理的に支えるブラケットなど、それらしい見どころはある。




イギリスのマナーハウスなどと比べると、日本人の建物・庭園設計は、建物のすぐ近くに自然に近い形の緑を求めるところが強いように感じられる。
イギリスの例としては、チャーチル卿の生れたブレニアム宮は周囲何百メートルも遮るものが無い所にそびえている。




こんな事は、所詮欧米のコンテキストで建築を評価できない日本人にとって、居心地のよい空間を提供するとなれば定まってくる事かもしれないが、一方日本庭園のようなものを自然に理解する日本人の血と言うのも結構濃いものだなと感心した。

三好弥  神楽坂

2010-08-26 23:44:34 | 洋食
三好弥さんは洋食と中華料理がお得意なようだ。特に江戸川橋のお店が有名。


お盆の上に一食分がきっちりと乗って、一人客が多いのもこういう場合には助かる。
カニクリームコロッケ定食を注文した。


そうは言っても、味の方もなかなかなのだ。

戸隠食堂  中社前

2010-08-23 20:51:27 | 蕎麦
戸隠には相当な数の蕎麦屋さんがお店を開いているが、やはりそれぞれのお店の味があるのが、何とも嬉しい。


ガイドブックにより、有名店とそれ以外のお店の落差が激しくなったようだが、観光シーズンに大行列ができるお店でなくても、基本的なレベルは非常に高い。
このお店は、田舎蕎麦のコンセプトに忠実な中太の蕎麦に、さっぱりとした薄めの汁を出す。このバランスはなかなか得難いものである。




ボッチ盛りにすると、蕎麦の表情が固くなる印象があるが、出てきたところを直ぐにほぐしてやると素直な姿になる。


夕暮れ時ともなると、気温は25度を大きく割り込む。お客も多くなく、静けさが店を包む。やはり戸隠は別天地である。

市村記念館  軽井沢

2010-08-19 20:50:38 | 古民家、庭園
旧雨宮邸の広々とした敷地の一画に、近衛文麿の別荘が移築されている。それが市村記念館である。


建物は、軽井沢の別荘建築の主流となったあめりか屋の建築の日本人第一号となったようだ。
壁面にサイディングを使い、基礎の化粧に玉石を使うというあめりか屋の様式に忠実である。


この建物がなぜ市村記念館と呼ばれるかと言うと、雨宮敬次郎の甥の市村今朝蔵が昭和7年にこの建物を購入し、南軽井沢の学者村の拠点として南原に移築したからである。その後、平成9年にこの場所に再移築されたのである。つまりこの建物は、大正の初期に近衛文麿の別荘として(おそらく旧軽井沢ゴルフ場付近に)建てられ、昭和7年に市村今朝蔵により南原に移築され市村家別荘として60年以上使用され、平成9年に現在の旧雨宮邸の敷地に移築されたという訳である。




漆喰の仕上げや、窓の内側に設置した網戸など、なかなか力が入っているし、実用性も十分に考えられた造りのようだ。
近衛別荘が建てられた当時、外国人の別荘は極めて質素で(宣教師が多かったから当然そうならざるを得なかった?)、日本人の別荘は非常に贅沢だったと言われるが、この建物を見ると頷ける。

旧雨宮邸新座敷  軽井沢

2010-08-18 20:36:40 | 古民家、庭園
南軽井沢の別荘地の中の小道、南原の通りが国道(18号線)に突き当たる辺りに、別荘地には実にそぐわない門構えがあるのをずっと昔から不思議に思ってきた。


なにしろ別荘地というのは、簡素な様式を良しとし、気の置けない関係の人物とだけ、普通では考えられないようにラフに親しく付き合おう、というのが暗黙のルールではないか。それを門構えとこられては、わざわざ洒落たところをまるで無視されたような感じになるというものだろう。


ところが、門をくぐれば彼方に堂々たる日本建築が見えてくる。これはかなり本気で気を入れた造りとみた。
実は、この地はいわゆる欧米風高原別荘文化(明治19年にまさに軽井沢で始まったとされる)よりも前に、一面の草原で荒野とも言うべき状態だった軽井沢を開墾しようと試みた雨宮敬次郎の邸宅なのだ。
雨宮敬次郎は山梨の名主の家の次男に生れ、様々な事業を立ち上げ、最終的に明治期の鉄道王として名を成した人物である。彼は軽井沢の南側の広大な土地を明治政府からの払い下げを受け、ワインの生産なども夢見て開墾を試みるが、それはことごとく失敗した。ただ、落葉松林の植林で失敗の全てをまかなったようである。
「日本別荘史ノート」安島博幸・十代田朗著(住まいの図書館出版局)をみると、本来は草原で今ほほどは湿気の少なかった軽井沢を落葉樹の林で覆ってしまったのは「野沢組」の責任が大きいように書かれているが、どうやら雨宮の植林事業もそれなりに加担しているように感じられる。




この日は中で展覧会が行われており、そのためなのか内部の写真が撮れなかったのが残念である。
なにしろ、この新座敷には螺旋階段まであり、実に興味深い。

シャレー  軽井沢

2010-08-17 23:43:57 | 洋食
軽井沢の中心地はJRの線路よりも北側なのだが、国道18号線のメインルートはそれよりも数キロ南側を迂回する。シャレーはその迂回路のバイパス沿いにある。


こちらの洋食は割と伝統的な味を引き継いでいる感じで、写真のポーク ヒレカツなどは御飯を添えて、ハーフ・アンド・ハーフのジョッキで楽しみたいところである。


またハンバーグステーキも絶品。ソースの味が柔らかくて、いい感じなのだ。
我がブログの読者の方にだけスペシャル。こちらのお店は、ちょっとしたタイミングが大事。入店がわずかに遅れただけで、食事時間には大差が生ずる場合がある。

牛バラ肉の煮込み

2010-08-16 23:49:24 | 男の料理
一応牛なのだが、バラでもあるし単価は100グラム100円。


微塵切りの野菜や、トマトや、ワインと煮込んでみた。


フェットチーネに合わせたら、いかにもという感じで収まった。
煮込み時間というのは、料理の上がりを一変させるように思う。