蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

そばしげ  飯山市

2008-10-31 20:41:13 | 蕎麦
江戸時代の庶民にとって善光寺(長野市)から日本海へ抜けるには、飯山から北北西へと進む塩の道がメインルートだった。現在の国道18号線の北国街道は、加賀前田家や佐渡からの御用金輸送のルートに使われ、道を空けなければならない庶民にとっては必ずしも使いやすくはなかったようだ。その昔の塩の道により伝わってきたのか、飯山の街には富倉や大沢にみられるオヤマボクチつなぎの蕎麦が、根を張っているように感じられる。


こちらの蕎麦もオヤマボクチをつなぎとする。ご主人は製粉業と関わりの深い方のようで、蕎麦の品質は高いように感じた。


店内はざっくばらんな雰囲気で、作業服のおじさんとか、どうみても地元の三世代連れとか、とても気軽に来店される感じだ。ただ、この日は天気の良い週末で、私のような非常連の数も多かったようで、ピークには相当な待ち時間が発生してしまったようだ。


ごちそうさまでした。

おつまみ二品

2008-10-30 22:05:36 | おつまみ
あいかわらずの手抜きで、今日も火を使いませんでした。


山芋をすりおろし、マグロの赤見をのせれば、やまかけです。マグロは高級なトロよりも赤見が合います。


二品目
胡麻ペーストに隠し味の砂糖をごく僅か加え、醤油漬けの唐辛子と合わせてよく混ぜます。


それを冷奴のトッピングにします。胡麻が周りについて、唐辛子というよりはキノコのような姿ですが、黒姫産の大辛ナンバンなので凄く効きます。なお、豆腐は薄切りにして、薬味を目立たせます。
唐辛子は好みで調節してください。

大棟山美術博物館  松之山

2008-10-29 22:09:37 | 古民家、庭園
信濃川沿いの津南の町から松之山に出るには、それなりに山深い道を何キロも行くことになる。


その間には、本当に耕して天に至るばかりの棚田も見ることができる。


そんな山深い土地にも薬効作用で有名な松之山温泉があり、その近くの山を背にして村山本家(大棟山美術博物館)がひっそりと佇んでいる。


村山家は700年も続く古い家柄で、門の前には由緒ある古寺のような杉の並木と石段が続く。


山門とでもいいたい門は、大変な風格がある。


博物館の入り口で、内部の写真はダメですよね、と訊くと、予想に反していいですよ、という答えがあり、内部の写真も載せることとする。
村山家は、無頼派と言われる坂口安吾の姉が嫁した家であり、安吾もこの家でそれなりの時間を過ごしたらしい。ちなみに、安吾自身は望まなかったかもしれないが、彼の家も新潟では名のある政治家の家だったそうだ。写真は、安吾とその姉の居場所として定められた部屋。
村山家は勉強家の一族らしく、書棚にはこの屋敷が公開される直前まで読んでいたらしい書物がみられる。


村山家にも、かつては立派な庭園があったと思われるが、今はその痕跡を留めるに過ぎない。




それでも、池跡の奥にある石組や、笹の葉に覆われそうな観音像が、かつてはどれだけ気品のある庭であったかを現わしている。
人の世の栄華を極めたような造りの庭が、人の力を遙かに超えた自然により徐々に浸食され落日の姿を現すところは、歴史的な教養を受け継ぎながら無頼というスタイルを選択した坂口安吾の姿にピッタリと感じさせるものがあった。


夕食にイタリアン

2008-10-27 21:29:38 | 男の料理
イタリア料理、特に外食の場合は皿数で、料理の進行具合を表現する。プリモ ピアット、セゴンド ピアットという風に。セゴンドまで出てくれば、十分な量を提供した事になる。ちょっと、気張ればそれにアンティ パスタやら付くが、日本でもそれまでやれば日常食の範囲からは逸脱するように思う。


本日のプリモ ピアットはスパゲッティ カルボナーラ。ソースは白いようでいて、キツネ色に炒めたニンニクが味の基本。後は、ベーコンを好みの固さに炒れば基本は出来上がり。パスタの茹で上がり前にソースが完成するので、ちょっと気が楽になる。


セゴンド ピアットには、赤いピメントがあったので、鶏肉のチリンドロンソース。
赤ワインとかを使わないので、軽く仕上がる。
それはそれで、見どころがあると思うのだが。

しんばし  湯沢町

2008-10-26 19:41:14 | 蕎麦
江戸の蕎麦屋さんは、一人でもサッと暖簾をくぐり、手早く昼酒まで片付けるのを当たり前とする気風があるが、地方によってはそういう習慣が無くて、昼酒の相方となるつまみものがお品書きに無かったり、または蕎麦屋さんは基本的に一人ではなく数人かそれ以上で行く場所だったりする。


新潟は湯沢町から十日町、そして小千谷にかけての魚沼川沿いの地域では、蕎麦屋さんは基本的に数人で行くという文化のようだ。そういう処へ一人で行って、単品でおつまみを注文すると相当に大変になる、という事は前回の「しんばし」さんの日記に書いた。
おつまみの量の事もあるのだが、そういう蕎麦屋文化のお店へ一人で行くと、周りが賑やかに盛り上がっている為に、ややもすると寂寥感のようなものを感じやすい。偶然だが、うまい対処法がみつかった。




ラストオーダー近くの時間にお店に飛び込むのである。ビールには菊の花の漬物が、緑川には山菜の煮ものがついて、ササッと出てくる。待たされないから、手持無沙汰にならない。




蕎麦は、お品書きに一人前とある範囲で注文する。
それでも、こちらは天麩羅がたっぷり付く。
蕎麦は十割で、舌の上でちょっとひっかかる位にザラツく。
これを一息に平らげるのが、なかなか心地よい。

清水園  新発田市

2008-10-25 16:58:17 | 古民家、庭園
新発田は小さいながら独立した藩であり、溝口家三代目藩主宣直は17世紀中頃に、この清水園の場所に下屋敷を築いた。


四代目の重雄の時代には遠州流の茶人であった縣宗知を招いて、造園が始まり完成したのは元禄年間だという。


この辺りは清水谷と呼ばれ、確かに庭園に隣接して新発田川が流れている。そのためか、この庭園は非常に苔が見事で、石組にとても柔らかい印象を与えている。


明治以降に荒廃していたこの庭を、見事に再興したのが柏崎生まれの庭師の田中泰阿弥。銀閣寺の石組の再発見などで、有名である。


園内には五つの茶室が点在するが、中でも小ぶりな夕佳亭。


州浜には灯篭が立つ。


この庭の中核とも言える、石組。蓬莱山を表すように見える。


石橋の向こうには、腰掛待合が見える。








この庭の苔は種類も豊富で、素晴らしい味わいを与えていると思う。

妻有 トリエンナーレ

2008-10-24 21:33:31 | 自然
国道17号線が走る三国峠と、信濃川沿いの国道117号線の間には、魚沼の山々がそびえている。標高こそ1000メートル少々なのだが、世界的に見ても大変な豪雪地帯で、非常に辺鄙な場所と感じられる。


魚沼川方面から十二峠を越えると、その山懐深い土地にも隠れ里のような集落がある。


この辺りから十日町にかけての妻有と呼ばれる地域で、3年毎に現代美術を野外に展示するフェスティバルが開かれている。その第一回の、案山子をモチーフにした作品は、フェスティバル終了後もずっと展示されている。




急流沿いの棚田に立つ、現代アート。田舎の人の頭の中は、意外によく回って新しいのかもしれない。

おつまみ二品

2008-10-23 20:26:34 | おつまみ
相変わらず、お手軽路線ひた走りです。


エノキダケはさっと茹でて、細かく切る。本当は、茹でる前が切りやすいのだが、茹で上げたときにざるの目からこぼれてしまう。
明太子と柚子の皮を合わせて、出来上がりです。


サラミは袋から出して、薄めに切っただけ。ただし、この信州ハムさんのサラミは羊の腸を使っているので、切ったサラミの薄皮をはがさないで、そのまま食べられるのがよいところ。
ビニールの薄皮をはがすのは結構めんどくさいし、手が脂だらけになるので、これはなかなかのメリットです。

旧古河邸およびバラ園  北区西ヶ原

2008-10-22 21:37:48 | 古民家、庭園
旧古河邸本館は、ジョサイア・コンドルの設計により大正5年に竣工した。


多くの財閥の邸宅は、本館の和館と別館の洋館の二棟が造られていたのだが、古河邸は二階部分を見事な和室とすることで、外観上は洋館の一棟に集約されている。日本贔きのコンドルの、腕の見せ所だったのだろう。




本館の周りには、よく手入れされた芝生が広がり、建物に沿ったバラ園では見事な開花がみられた。確かに、役者も背景も一流と感じた。

若林家  村上市

2008-10-21 18:31:19 | 古民家、庭園
若林家は村上藩の中の上位の家柄の藩士。村上城の三の丸跡に建っている。国の重要文化財であり、村上で唯一、入場料が必要な武家屋敷だ。


土地に余裕があるのか、屋敷の周りを緑が囲み、なんとも長閑な茅葺の門。


中には、それらしい座敷もあるが。


縁側で鮭を干しているのは、パフォーマンスなのだろうか。それとも、ほぼ確実にやっていただろう、という復原なのだろうか。


庭の松は、流石の枝ぶり。



屋敷は、屋根の一部を工事中ではあったが、非常に簡素で、しかも優美さを感じさせるところがある。



そういえば、この屋敷も縁側が高めに感じられた。