恵比寿の駅前から白銀というか高輪に向けて一直線に走る道がある。安政図をみても、そんな道は見当たらない。
しかし、その道を三合菴へ向けて歩く途中にこれは、と思う木造の建物があった。
なにより余計な看板などが付けられていないのが、ありがたい。立ち姿だけで、魅せてくれる。
何のお店か分からないのだが、黒板のあり方から飲み食いのお店らしい。そして、お店のすみに「きえん」と記してあり、それで気がついた。白銀には大正期の民家を改造したBarの、きえんきえらがあると何かで読んだ。
こちらが「東京和館」に紹介されていたBarのきえんきえら。大正7年の建物。あえて庶民の家を改造して、素晴らしく洗練された空間に仕立てたらしい。
先ほどのは、その別館のようだ。
改めて、この一直線に走る道が建造されたいわれを知りたくなった。
しかし、その道を三合菴へ向けて歩く途中にこれは、と思う木造の建物があった。
なにより余計な看板などが付けられていないのが、ありがたい。立ち姿だけで、魅せてくれる。
何のお店か分からないのだが、黒板のあり方から飲み食いのお店らしい。そして、お店のすみに「きえん」と記してあり、それで気がついた。白銀には大正期の民家を改造したBarの、きえんきえらがあると何かで読んだ。
こちらが「東京和館」に紹介されていたBarのきえんきえら。大正7年の建物。あえて庶民の家を改造して、素晴らしく洗練された空間に仕立てたらしい。
先ほどのは、その別館のようだ。
改めて、この一直線に走る道が建造されたいわれを知りたくなった。
なぜ福井がドーンと神楽坂にやってきたのか、いささか謎だったのだが、それには徳川の初期からのいわれがあることが分かった。
神楽坂(特に上半分)が隣接する矢来町という町があるのだが、その町名の由来を知れば納得できる。
このあたり、牛込北町から赤城神社にかけては、かつては小浜藩主酒井家の下屋敷であった。地理的には北は神田川(昔は江戸川と呼ばれた)を挟んで小日向台地と対峙し、南は外堀までひとっ走りなのだが、早稲田の未開エリアであった湿地に近い割に、その間には防御に使えるような谷などは存在しない。それで、酒井家は下屋敷の周囲をすべて竹矢来で囲ったという。町名の矢来はそれに由来するという。
つまり、殿様の下屋敷が有ったというご縁で、昔から小浜とはゆかりのある場所だったのだ。
そのようなご縁のある土地が、さらには米国大統領と呼び名が通じていたりして、神楽坂は福井一色に染まった感がある。
なにしろ、路地を抜けた一角で、おろしぶっかけが味わえるのだ。
しかも値段は福井と変わらぬ一杯500円。福井の蕎麦を地元の食べ方で味わえる機会は、東京ではそうないと思うのだが。
神楽坂(特に上半分)が隣接する矢来町という町があるのだが、その町名の由来を知れば納得できる。
このあたり、牛込北町から赤城神社にかけては、かつては小浜藩主酒井家の下屋敷であった。地理的には北は神田川(昔は江戸川と呼ばれた)を挟んで小日向台地と対峙し、南は外堀までひとっ走りなのだが、早稲田の未開エリアであった湿地に近い割に、その間には防御に使えるような谷などは存在しない。それで、酒井家は下屋敷の周囲をすべて竹矢来で囲ったという。町名の矢来はそれに由来するという。
つまり、殿様の下屋敷が有ったというご縁で、昔から小浜とはゆかりのある場所だったのだ。
そのようなご縁のある土地が、さらには米国大統領と呼び名が通じていたりして、神楽坂は福井一色に染まった感がある。
なにしろ、路地を抜けた一角で、おろしぶっかけが味わえるのだ。
しかも値段は福井と変わらぬ一杯500円。福井の蕎麦を地元の食べ方で味わえる機会は、東京ではそうないと思うのだが。
江戸の町は、徳川初期の天下普請の頃から隅田川の水運を大動脈として開発された。その隅田川沿いで最も大きなお寺が浅草寺である。
その秘園ともいわれる庭が、短期間だが公開された。
江戸の中心は数百年をかけて、南南西方向へと移動したが、それでも浅草周辺は観光的なにぎわいが凄い。昔からの商店街の飲食店で、休日の昼には行列ができるというのは今の日本では珍しいのではないだろうか。その一画の寺の奥にこんな庭があるとは、今まで知らなかった。
正面の建物が、伝法院。
庭の奥からは、浅草寺の五重塔が望める。塔は最近に再建されたのだが、これくらい離れれば新築の嫌味な感じはまるでしない。
石組の造りもお寺らしい形だが、どうにもかなり新しい造り直しに見えてしまう。
伝法院前の池とは別に、同程度の規模の池が入口左手にあるのだが、そこはこの日も公開されてはいなかった。
池のほとりにある茶室と、その前で咲く椿が、気持ちをほっとさせる。
その秘園ともいわれる庭が、短期間だが公開された。
江戸の中心は数百年をかけて、南南西方向へと移動したが、それでも浅草周辺は観光的なにぎわいが凄い。昔からの商店街の飲食店で、休日の昼には行列ができるというのは今の日本では珍しいのではないだろうか。その一画の寺の奥にこんな庭があるとは、今まで知らなかった。
正面の建物が、伝法院。
庭の奥からは、浅草寺の五重塔が望める。塔は最近に再建されたのだが、これくらい離れれば新築の嫌味な感じはまるでしない。
石組の造りもお寺らしい形だが、どうにもかなり新しい造り直しに見えてしまう。
伝法院前の池とは別に、同程度の規模の池が入口左手にあるのだが、そこはこの日も公開されてはいなかった。
池のほとりにある茶室と、その前で咲く椿が、気持ちをほっとさせる。