蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

秋の夕暮れ

2008-11-30 20:31:52 | 古民家、庭園
庭は月の出頃が一番美しい。その次が夕暮れだ。と何かの書で読んだ記憶がある。どう考えても、写真に撮るには不利な条件なのだが、夕暮れ近くを歩いてみた。


都心の気温は上昇しているのか、園内の一部しか紅葉が見られない。しかし、そこにスポットライトを当てるような夕日が照り映える。


閉園時間ギリギリの、寂しげな静かな世界。この庭も、蝋燭を使って灯篭を立てれば、華やぐようにも思うのだが。

蕎麦打ち  二回目

2008-11-29 18:54:53 | 蕎麦
無謀なる十割蕎麦打ち二回目です。


粉は福井の末吉製粉所の大野市産の新蕎麦です。名づけて「越前」。初回の粉よりも高めなので、緊張します。


今回も切りで、苦戦しました。凄くいろいろな幅に切れたのが並んでいます。




いろいろと挽きこんだ粉で、田舎らしい太めが似合うと思います(細く切れないだけなので必然的に太めになります)。
初めての時は、あまりに緊張したので蕎麦の味どころではなかったのですが、今回は蕎麦を楽しむことができました。


きえんきえら  白金

2008-11-28 21:58:47 | 古民家、庭園
恵比寿の駅前から白銀というか高輪に向けて一直線に走る道がある。安政図をみても、そんな道は見当たらない。
しかし、その道を三合菴へ向けて歩く途中にこれは、と思う木造の建物があった。


なにより余計な看板などが付けられていないのが、ありがたい。立ち姿だけで、魅せてくれる。
何のお店か分からないのだが、黒板のあり方から飲み食いのお店らしい。そして、お店のすみに「きえん」と記してあり、それで気がついた。白銀には大正期の民家を改造したBarの、きえんきえらがあると何かで読んだ。




こちらが「東京和館」に紹介されていたBarのきえんきえら。大正7年の建物。あえて庶民の家を改造して、素晴らしく洗練された空間に仕立てたらしい。
先ほどのは、その別館のようだ。
改めて、この一直線に走る道が建造されたいわれを知りたくなった。

三合菴  白金

2008-11-27 23:01:06 | 蕎麦
日曜の昼で、近くに蕎麦屋さんが多くないせいか行列して待つことおよそ10分。しかし、一度店の中に入ればゆっくりできる。


まずは薩摩揚で、緑川を一合。焼きたての熱々を、おろしと生姜または山葵で行く。板わさとかの練りものは、後の蕎麦を邪魔しないところが丁度よく感じられる。


生粉打ちで細めの蕎麦は、舌にザラッとくる感触まで楽しめる。汁は辛め。


端正な蕎麦の姿は、なんともいいものだ。
それから、お店の気配りもなかなかだ。混雑した時に、一人で入って満足できる。実は結構厳しい条件かなと思うのだが。


東京都庭園美術館  白金台

2008-11-26 21:14:51 | 古民家、庭園
こちらは旧朝香宮邸である。


昭和8年に建てられたアールデコ様式の邸宅は、現在は美術館として使われている。


美術館にも匹敵する見ものが、芝生を中心に広がる庭園。園内には彫刻作品が展示されている。




芝生の一画にある植え込みの脇から細道をたどれば、芝生の広がりとは全く別な茶室の空間に通じる。




茶室は池の端にかなりの押し出しで立ち、洋風の本館に対する和風別館という雰囲気だ。昭和13年建築の光華という茶室だ。




茶室の周りだけ、紅葉が色づいていた。




池を一周すると、趣のある眺めが次々と現れる。

有栖川宮記念公園  南麻布

2008-11-24 18:57:47 | 古民家、庭園
広尾の駅周辺は有名なスーパーマーケットがあったり、オープンカフェで外人さんが新聞を読んでいたり、ヘンに洒落こくった感じもある。


しかし、路地に目を向ければ昔からのしもた屋が残っている。


表通りから少しだけ入ったところに有栖川宮記念公園がある。江戸時代には南部藩の下屋敷であり、明治になって有栖川宮の御領地となった。






現在は港区の公園として誰でも入れる。池の由来などには頓着しないで、魚を追う人も多い。




池の奥には太鼓橋なども有って、昔の姿を偲ぶよすがともなる。

ドーンと福井in神楽坂

2008-11-23 20:54:54 | お散歩
なぜ福井がドーンと神楽坂にやってきたのか、いささか謎だったのだが、それには徳川の初期からのいわれがあることが分かった。




神楽坂(特に上半分)が隣接する矢来町という町があるのだが、その町名の由来を知れば納得できる。
このあたり、牛込北町から赤城神社にかけては、かつては小浜藩主酒井家の下屋敷であった。地理的には北は神田川(昔は江戸川と呼ばれた)を挟んで小日向台地と対峙し、南は外堀までひとっ走りなのだが、早稲田の未開エリアであった湿地に近い割に、その間には防御に使えるような谷などは存在しない。それで、酒井家は下屋敷の周囲をすべて竹矢来で囲ったという。町名の矢来はそれに由来するという。
つまり、殿様の下屋敷が有ったというご縁で、昔から小浜とはゆかりのある場所だったのだ。




そのようなご縁のある土地が、さらには米国大統領と呼び名が通じていたりして、神楽坂は福井一色に染まった感がある。
なにしろ、路地を抜けた一角で、おろしぶっかけが味わえるのだ。
しかも値段は福井と変わらぬ一杯500円。福井の蕎麦を地元の食べ方で味わえる機会は、東京ではそうないと思うのだが。

初めての蕎麦打ち

2008-11-22 13:37:12 | 蕎麦
休みの日なので、挑戦してみました。
いきなり十割です。無謀ですね。
粉は福井の橋詰製粉所のものです。
水回しを丁寧にしていたら、最後に水を入れすぎて粉を足す羽目に!




これから、延ばしていきます。




ここまでは、なんとかなりましたが、難関の切りが待っています。


全身に力が入って、手が自由に動きません。かなり悲惨な結果です。


私は、柔らかめの太めの蕎麦が好きなのですが、もう少し細くてもよさそうですね。
いやー、緊張しました。

浅草寺伝法院庭園拝観

2008-11-21 22:07:11 | 古民家、庭園
江戸の町は、徳川初期の天下普請の頃から隅田川の水運を大動脈として開発された。その隅田川沿いで最も大きなお寺が浅草寺である。
その秘園ともいわれる庭が、短期間だが公開された。


江戸の中心は数百年をかけて、南南西方向へと移動したが、それでも浅草周辺は観光的なにぎわいが凄い。昔からの商店街の飲食店で、休日の昼には行列ができるというのは今の日本では珍しいのではないだろうか。その一画の寺の奥にこんな庭があるとは、今まで知らなかった。
正面の建物が、伝法院。


庭の奥からは、浅草寺の五重塔が望める。塔は最近に再建されたのだが、これくらい離れれば新築の嫌味な感じはまるでしない。


石組の造りもお寺らしい形だが、どうにもかなり新しい造り直しに見えてしまう。


伝法院前の池とは別に、同程度の規模の池が入口左手にあるのだが、そこはこの日も公開されてはいなかった。


池のほとりにある茶室と、その前で咲く椿が、気持ちをほっとさせる。