蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

浦佐毘沙門堂  新潟県

2018-06-12 22:57:03 | 神社仏閣
寒の厳しい季節に有名な裸押し合い祭りが開催される浦佐の毘沙門堂である。


桜の満開を目にしても、軒の出が大きく、ほおづえ(降雪で荷重が増した屋根を支える季節的な装置)を外さないのは、過去の経験があるからなのだろうと、思った。


桜の花の盛りを過ぎての雪は湿り気が多く、重い。
そういう重い雪が降りしきる年もあったのだろう。今年がそれにならないとも限らない。


いろいろ、気遣いが必要かもしれないが、4月半ばを過ぎれば、豊富な水が清めの任務を果たしている。

薬王山 健命寺  野沢温泉村

2015-07-06 21:33:06 | 神社仏閣
少し、前の記録になります。雪が完全に消えた五月の初旬に野沢温泉を訪れた。

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名物の温泉や、今はそれ程知られていない寺院の門前町として発達し、それが迷路のような町並みを形作っている。
急勾配もある街中で、すれ違いも難しい小道が輸送の中心となっているのは、のどかな時代からの遺産と思われる。


俗な世界の温泉街から、聖なる地域へと登る道筋は急な坂道となり、わざわざそれを登る人たちだけが寺院に行き着くことができる。


寺の裏山から引かれた鮮烈な流れが、参拝する者を迎える。






二つ付きの急な石段を登った先に、本堂が控えている。この石段は、なかなか手強い。








本堂は、新潟は三島郡の間瀬大工の手になるという。19世紀前半の木工だが、驚くほどの細かい造形がなされている。



仙洞山 常楽寺  信州中野市

2015-06-29 22:08:29 | 神社仏閣
常楽寺は夢窓疎石の建立と伝わっているそうだが、戦国時代の後期に全ての建物を焼失し、今残るのは19世紀以降のもののようだ。


広々とした敷地を持ち、規模の大きい山門もそれほどに大きく見えない。


本堂は19世紀初期のもので、廊下は鶯張りの驚くべき精度をみせる造り。廊下を歩けば、わずかの板の遊びにより、ウグイスが鳴くようなピーという音がかすかにする。それを実現するための板の加工精度は驚くべきものがある。




さらに、廊下の内側の欄間には実に手の込んだ細工が作り込まれている。
19世紀前半といえば、料理の世界では鰹節が完成して出汁をとる技術が極みを迎え、浮世絵では技術的なピークを迎えた時期かと思う。
そのような職人の技をみせる場所として、寺院の欄間はうってつけだったのかもしれない。


山門内には五百羅漢も、鎮座する。

大宝寺三重塔  長野県青木村

2014-09-25 21:37:18 | 神社仏閣
青木村は塩田平の西端に位置する。この辺りは信州の高原にしては気候が比較的温暖で、鎌倉時代からの仏教遺跡が数多く残されている。


この三重塔は14世紀前半には造営中であったという文献が残されているそうで、上田平を代表する文化財のひとつである。



三重塔は本堂の左手奥に少し離れて建てられている。
水平距離はたいしたこともないのだが、三重塔が建つ所まで登るのだけで一苦労。




屋根の反り、壁面の意匠、どれも極めて地味で真面目に見える。




この土地の人々は、おそらく非常に篤い信仰心をもっているのだろう。
木造の三重塔がよくその形を保っているのは、手厚い手入れがなされているからなのだと思う。




国宝に指定されている三重塔の数はそう多くはない。そのひとつを、静寂な空気の中でゆっくりと見る事が出来た。


玉泉寺  みなかみ町

2014-09-05 19:10:14 | 神社仏閣
玉泉寺は萩で有名な山寺である。
萩の花の盛りを狙って訪れたのだが、実に地味な花でよくよく見ないと良さが感じられない。少なくとも一目でパッと栄えるものではない。


一番の見どころとされる、本堂前の石段も、花が咲き誇っているような感じは受けないし、上の方は枯れかけているのではないかとまで、思われた。




石仏の姿を入れて、やっと画になるなる、という感じである。




石段脇の萩の群落の上の方の枯れかけているように見えたのは、江戸絞りという品種。
実は、立派な花を咲かせている。


比較すれば群落の下の方に植えられているあすか萩の方が、少し華やかな花を咲かせる。


萩の群落は結構繁殖力は強いのかもしれない。
石段の脇の石垣から、垂れ下がる姿はなかなか見事であった。


圓通寺  川島町埼玉県

2014-09-01 22:26:20 | 神社仏閣
久しぶりに休みの日に薄日が差した。カメラを車に乗せると、一路関東平野の中心近くへと急いだ。


このお寺は昭和の始め頃から60年も無住であったという。
今は見事に復興し、この日も墓参りの人々がそれなりの人数で見られた。


本堂も新たに建て直されたのだろう。平安の昔を思わせる屋根の反りが、武蔵野の荒ぶれた歴史とはかけ離れているかもしれないが、やはり建物の形としては優美を感じさせる。
門の脇に植えられたサルスベリには歴史があるようだ。
訪れたのは午前11時頃。サルスベリを写真に収めようとしていたら、にわかに本堂からよく響く声で読経が始まった。その音は、静かな境内を満たし、同時に境内の静けさを意識させるものであった。




お寺の北側の田圃では、既にして稲がたわわに実り、刈入れが始められていた。


稲泉寺  木島平村

2014-08-25 21:45:49 | 神社仏閣
高社山を中心に持つ木島平村には、自然の持つ力強さがその土地固有のものとして感じられる。


稲泉寺は高社山を本尊とする訳でもない飯山の寺を起源とする寺なのだが、やはり自然環境そのものに恵まれているのだろう。




寺の田圃を減反する事になり、田圃の後に蓮を植え始めたのが今から約20年前。
現在は、五反部の蓮田が広がる。


わずかの時間に、このお寺は蓮の咲く寺として有名になった。


お寺の飼い猫だろうか、まるまると太って人馴れたネコが昼寝をしていた。



高山寺  長野県小川村

2014-07-14 22:33:04 | 神社仏閣
北信で最も神秘的な地域である鬼無里から、県道36号線を南下する。飯縄山の肩を超える険しい山道である。


大分下ったと思ったところで、立派な三重塔のある高山寺が唐突に現れる。




寺の建立は12世紀の末。現在の三重塔は17世紀後半の建築であるが、北信で最古の棟だそうである。


遠く北アルプスを借景とする、小さな庭が造られていた。


その庭に置かれた灯籠は、なんと石臼を組み合わせて造られている。この土地が、いかに蕎麦との結びつきが深いかを良く現す姿であろう。


現在は県道の走る東側の門から寺を訪れる人が多いと思われるが、元々の山門は寺の南側にある。山門から寺をながめれば、背後には飯縄山がそびえる(写真は山門よりながめた鐘楼)。おそらく、この寺には飯縄山を拝礼する山岳宗教が影響を及ぼしているのだろう。


諏訪大社 下社秋宮

2013-11-16 21:04:19 | 神社仏閣
杉の大木で囲まれて、神秘的な趣があった。


清めの水は温泉が用いられ、龍の口からは湯気が立っている。肉眼でははっきり見えるのだが、なぜか写真ではほとんど写らない。


しめ縄の立派なこと。




菊の華の品評会が行われていた。
この場所にまさにふさわしい展示だと感じた。


大社の門を出て直ぐのところにある和菓子屋さん。
140年の伝統があるそうだ。


前山寺  塩田平

2013-09-09 21:34:42 | 神社仏閣
上田から別所温泉へ向かう途中は、平安時代から地方文化が栄えた場所である。周りをそれ程標高の高くない山々に囲まれ、塩田平と呼ばれる盆地である。


前山寺は三重塔が有名だが、この日はどんよりとした雲がかかり、軒の出が深い建物は写真写りが悪い。


本堂入り口脇にある池泉庭園。こういう天気だと蔭が濃くなり過ぎず、全体をつかみやすい。


書院前の庭は、盆地の利点を活かした借景が素晴らしい。
小間目に手入れがされている感じの、庭であった。


書院の裏庭は、がらっと表情が変わる。


クルミおはぎ、ご馳走様でした。