蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

街の記憶9  三軒茶屋

2011-03-31 23:11:14 | お散歩
世田谷は路面電車も残る、長閑な郊外の住宅地の一面と、それなりに名店が並ぶ洗練された都市の両面がある。


三軒茶屋のキャロットビルの足元にも、こんな賑わう路地がある。


2両連結の、模型のような感じの世田谷線。
踏切の数も多いが、電車はそんなに頻繁に走っている訳でもなく、長時間待たされる訳でもない。

街の記憶8  神楽坂

2011-03-30 21:59:21 | お散歩
久露葉亭の脇からずっと神楽坂の表通りに平行して走る、通称熱海湯通り。


二階建が並ぶが、その割に建て物の軒は低い、ヒューマンスケールに近い路地である。
路地の奥は右カーブになっており、その先に通称の由来となった銭湯の熱海湯がある。


似たような造りのお店が並ぶ中、お店の表情は意外に様々である。




木造モルタル塗りの二階建て。お店の入口周りだけの黒塀に植え込み。
お昼前には洗濯物までかかりそうな二階の引き戸。
こういう建物の欠点を挙げだしたらキリがないのかもしれないが、もう二度と再生する事は出来ないであろう姿であり、個人的に幼いころから慣れ親しんだ造りである。
現役の建物だが、とても貴重なものに思えてくる。

久露葉亭でランチ

2011-03-29 22:02:36 | お散歩
江戸時代から神楽坂と言われていたエリアの一番外側位に当たり、この先の裏道には木造のお店が立ち並ぶ。


看板だとかお客を呼ぶための工夫はいろいろされているが、建物の造り自体は大方残されているようだ。




室内は畳敷きに木製の椅子にテーブル。
建具も昔のものが活かされていたように思う。


天ぷら蕎麦のランチを注文した。
脇に出てくる、ホタルイカの黄味酢和え。


天ぷらは熱々で美味しかった。
こちらは蕎麦屋さんではないので、蕎麦に関してはコメントを控える。






1000円位のランチに300円プラスで、おばんざいや、おでんが取り放題。
それでいて、味付けも手を抜いていない。これは、実にお得だと感じた。


デザートもなかなか。
メインターゲットは、若いけれどひと言あるある女性という感じか。

街の記憶7  神楽坂

2011-03-28 22:39:02 | お散歩
営団地下鉄東西線の飯田橋駅から神楽坂駅にかけての早稲田通り。その、飯田橋駅寄り4分の1が江戸時代から神楽坂と呼ばれていたエリアだ。
今回は、そのエリアの横丁を探訪。


それなりの格のお店が並ぶ、神楽坂としても結構ディープなエリアである。


1つ前の写真の、中ほどの道へ入れば、そこは横丁の行き止まり。基本的には、どこかのお店に用のある人しか入って来ない、半ば閉ざされた世界なのだが、行き止まりの向こうには無粋な建築が姿を現す。


伺い知れない世界を現す感じの、黒塀。
やはり、今出来の老舗が並ぶように思う。


本多横丁まで出れば、ジョン・レノンが訪れた有名な鰻屋さんがある。

貝づくし  岩佐寿し

2011-03-27 20:54:57 | 寿司
岩佐寿しさんは、築地は場内の一号館にお店を構え、数多くの有名店と軒を並べる、築地でも指折りの有名な寿司屋さんである。


築地でもこのお店にしかない貝づくし。




貝類は少し鮮度が悪ければ、それなりの匂いが出て、ゴムのように固くなったりするのだが、このお店のものは新鮮そのもの。
さらに、早春という季節が幸いするのか、何とも味が深い。


御主人(とても元気な女性)の自宅は浦安にあり、液状化で大変だそうだが、お店では本当に旨いものを食べさせてくれる。
実に頭が下がる事である。


〆の巻物は、貝のひもにキュウリ。海苔がまたパリパリと実に良質。


東京に一番近い被災地と言われる処にお住まいの御主人から、元気をもらいました。

街の記憶6  神楽坂

2011-03-26 21:28:16 | お散歩
本来、神楽坂と言われたのは外堀からの急な上り坂を上がりきるまでの地域だったらしい。それが、近年急速に拡大している。
外堀からの上り坂が一段落して、平川の支流に向けてのだらだらの下り坂の一帯は、それでも数十年前から神楽坂の一画と認識されていたようだ。


前回にアップした、本当に狭苦しい路地が画面の上三分の一に見える。
そこまでは大きな敷石が使われ、おそらく年代的にも古いのだろう。手前三分の二は神楽坂の横丁ではよく見かける舗装の姿。


道幅が狭いので、道の両側のそれなりに味わいのある建物が撮りにくい。塀の佇まいから、そんなもんだろうと推し量っていただくしかないのが残念。




目一杯バックして撮影出来た和可菜さんの屋根。
雨どいの修理ひとつでも、状況をよく呑み込んだ人が当たる必要がありそうだ。


足さばきが、流石とお見受けしました。

街の記憶5  神楽坂

2011-03-25 22:10:03 | お散歩
神楽坂の横丁に入ると、昭和の香りのする木造の建物が並ぶ。
特別な歴史的意義も無いし、独特な美観を計画したものでもない。ただただ、運よく古いものが残されているに過ぎない。


窓や入口の直ぐ上に、庇が付く律儀な建物である。ただ、庇に張られた鉄板は大分反りかえり、その上の配線も少々危なげである。


蕎麦カテゴリーで数回取り上げた「中村屋」さん。大久保通りの向こうから移ってきたのだが、それらしい屋根の構えの物件を選んでいる。




神楽坂のひとつの特色である、本当に狭い路地。路地に面したお店は、相当に繁盛している。
でも、この路地は人がすれ違うのがやっと、という道幅である。

街の記憶4  神楽坂

2011-03-24 21:53:16 | お散歩
神楽坂というと、もしかして石畳の街というイメージがあるかもしれないが、アスファルト舗装された路地を石畳に換えたのは、私の記憶ではこの20年の間の事。巧みな行政の戦略に載せられた方が多いようだ。


神楽坂の建築で最も昭和の香りを忠実に残すのは、こちらの伊勢藤さんだと思う。一言主張のある居酒屋として有名で、燗をつける親父の風貌も、先代に似てきたように思う。


ともかく、昔のままである。


縄のれんの上、木彫りの店名は何と右から左へ読む。

ついでに、神楽坂グルメも少しだけご紹介。直ぐ近くの本多横丁の天ぷら屋さんの喜楽さんです。


穴子は骨まで楽しみましょう。


小柱のかき揚げ。こういうのにピッタリ焦点を合わせるのは、どうしたらよいのでしょう。


天ぷら盛り合わせ。


日暮れ時から呑みに行き、夜分も大分遅くなったように合成してしまいました。
とりあえず、喜楽さん、ご馳走様でした。

街の記憶3  神楽坂

2011-03-23 22:22:01 | お散歩
神楽坂を大久保通り(江戸時代の平川支流)近くまで下がると、横町には木造モルタルと思われる建物が数々立ち並ぶ。


白銀公園入口が目と鼻の先の、最もメジャーな通りでも、とてものんびりとした路地裏という印象を受ける。


こちらのトンボロさんで一休みすれば、それはさぞやゆっくりとするのだろう。


表通りを挟んで反対側、和田写真館さんの辺りは、道筋も微妙に折れ曲がり、期待感が盛り上がる。


和田写真館さんでは、流石の実績重視の展示がされていました。
なかなか得られないノウハウが、密かに伝えられていそうです。
ちょっとディープな世界です。


街の記憶2  神楽坂

2011-03-22 22:26:26 | お散歩
江戸後期の地図を見ると、現在の早稲田通りにほぼ重なる道が牛込までは描かれている。その先の早稲田はまだ湿地だったようだ。


神楽坂駅より東方向に少々道を下り、路地に入ると新内(江戸浄瑠璃というのだそうだ)の館がある。いまや人間国宝となった師匠の母上のお店だったようだ。


神楽坂に残る数少ない民家を利用して、和食のお店が営業している。
建築当時と較べると大分改装されてしまったような感じだが、肝心の骨組みは残されている。


神楽坂の表通りに面していながら、不思議にグルメ本などでも取り上げられない。
引き戸に張られた簡素な紙のお品書きを含めて、佇まいは年月を経ても全く変わらない。