蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

伯楽  神楽坂

2009-03-31 23:46:14 | 日本料理
ふぐ料理の名店「伯楽」さんが三月一杯で閉店と聞き、駆け込みで行ってきました。


数年前まではもっと素朴な造りのお店で、適度な隙間風がヒレ酒や雑炊で汗ばんだ体にちょうどいいような印象だったのですが、改装して綺麗になったばかりです。


鍋が主体なお店でよく見かけるスパルタンなガスコンロです。




料理は8000円のコースをベースとします。まずは、おつまみのたらこ(?)に、ふぐの白子です。白子は鮮度も素晴らしく、味わいも非常に滑らかで感激ものです。
とりあえず、ビールを頼みましたが直ぐにヒレ酒も追加です。


ふぐの煮凝り。ゼラチン質の部分も出汁がよく効いて味がなんとも深いです。このおつまみ三品をちょっとずついただくのは、率直に幸せな時です。




主役の一人、ふぐの刺身です。ふぐの身は本当に脂分がなくて淡白な味わいなのですが、味わいが凝縮しています。ふぐ刺しには、それを図象的に表す要素があるような感じがします。本当は2-3切れをまとめて食べるのが味が分かりやすいと言われますが、なかなかできるものではありません。


ふぐ刺しを背景に、ヒレ酒を失礼します。


ふぐの唐揚げも味の塊のようで、絶品でした。




折角来たので、おつまみの追加です。あんきもにカラスミです。あんきもの鮮度は素晴らしく、口に飛び込んできます。カラスミは、熟成させた味がたまりません。




次なる主役のフグ鍋です。上の写真右下の皮に近いプリプリな部位が最高に美味しいのです。
また出汁がたっぷり取れた鍋で、しゃぶしゃぶ風にやるのも、一つの極みです。


お雑炊で締めました。

冨田屋  町家の庭

2009-03-30 21:51:43 | 京都の建物、庭園
現在の御所の西側一帯が西陣織の中心地のようだ。この辺りの裏道は小さめの車が一台通るだけで一杯の幅しかないのだが、どうやら相当に歴史のある道らしいという事がおぼろげに感じられてくる。


冨田屋さんは大宮通というそれでも少しだけ他より太いかな、と思われる路地に面している。明治以来、西陣織の問屋として栄えた町家だ。


家に向かって左側は通り庭。右手の店の奥に見事な坪庭がみえる。残念ながら、ガラス戸を開けていただく事は出来なかったので、あやしい影が映り込んでいる。


居間ではこの家に伝わる雛人形が展示されていた。行事は旧暦で行われるので、四月三日まではお雛様が床の間を飾る。なお、この家では向かって左側にお雛様、右側に内裏様を飾る。明治以降に、近世の西欧世界の左右のヒエラルキーが持ち込まれる以前の展示方法である。




今の奥の坪庭。こちらは井戸もあり、緑が豊か。




これだけの限られた空間なのだが、独特な神様を祭ったり、意味が濃厚に漂うような庭である。


奥の坪庭。当主一家以外は滅多に人の目に触れることがなかった場所のようだ。


邸内の茶室「楽壽」のにじり口。
この茶室や奥座敷を舞台として、非常に限られた人のみを対象とした町家独特な文化が展開していたらしい。

西村家庭園  神官の庭

2009-03-29 17:48:59 | 京都の建物、庭園
地下鉄を北大路の駅で降りて、賀茂川沿いに少し歩く。賀茂川沿いは公園になっていて、なかなか歩くのに気分がいい所である。上賀茂橋を西から東に渡れば、もう上賀茂神社に程近い。


家の前を上賀茂神社からの明神川が流れる。この辺り一帯は、上賀茂神社の神官達の家が立ち並んでいた場所で、社家町という。


門をくぐり路地を少し行くと玄関前の石組がある。


割と、こじんまりとした庭だが、作庭は12世紀とされる古い歴史のある庭である。




庭園の流れは、邸宅の前を流れる明神川の水を取り入れたもの。この流れは、再び明神川へと戻される。
この流れを使って、曲水の宴が行われたという。


仏教的な厳しい石組の無い、まろやかな印象の庭であった。

ちろり  大阪南方

2009-03-28 22:19:49 | 日本料理
ガイドブックによれば、この辺りは興味深いお店が多く、共通点は生のレバーを出すところだ。


それがそれぞれのお店の事情で、候補にしたお店2ヵ所にはねられてしまった。
しかし、何も知らないでつけた順序なので、3番目が最高である可能性も当たり前のようにある。
写真は、生ビールの前にさっと出てきたお通し。


これは凄いと思ったのは、馬の生レバー。包丁技が上手く非常に柔らかい。それでいて、存在感は大きい。しかし馬の肉でも特別な感じは受けない。


時間をかけて揚げたグリーンアスパラ。そのままかぶりつこうとすれば、驚くほどに熱い。
揚げきりの軽さは、お見事。


3皿目はモツ煮込み。それが、またつくづくと旨い。これは酒が進む。姿、ボリューム、味の深みが揃う一品。


締めは麻婆丼。いやいや、これは人間の欲をよく理解したお店のようですね。

嵐山逍遥

2009-03-27 22:57:05 | 京都の建物、庭園
大河内山荘最後の客となりながら



お抹茶と最中をいただく。昼食がちょっと寂しかっただけに、甘いものが身にしみる美味しさである。
閉館時間までには15分あったが、場の空気でそのまま退散した。
その昔は、天龍寺は今よりもはるかに巨大な規模であったと、どこかで読んだ記憶がある。この、よく手入れされた竹林もその昔は天竜寺の中心近くであったのかもしれない。



すこし歩けば桂川の河原にでる。桂川の川下りの舟が竿をさして川を下っていた。
夏場はさぞや賑やかになるだろう。

大河内山荘 洛西

2009-03-26 23:21:03 | 京都の建物、庭園
大河内山荘は時代劇俳優の大河内伝次郎によって、昭和の始めに小倉山の南面に建てられた。


比叡山方面の展望のために、山荘の周囲には歳を経るとともに高くそびえてしまうような種類の庭樹は植えられていない。




家を日陰のじめじめとした環境に置かないためにも、非常に優れた判断だと思われる。




庭園は回遊式で、次々と見事な風景が展開する。






閉園時間近くの客となったため、最後の30分だがほとんど人気のない庭園をゆっくりと味わう事が出来た。


天龍寺庭園

2009-03-25 23:25:33 | 京都の建物、庭園
ガイドブックを見ると、まず方丈へ上がって、とあるのだが、残念ながら刻一刻と澄んだ春の日の日差しは西に傾いていく。


まことに無礼ながら、時間もなく方丈はまたの機会として庭園に直行した。夢想国師の作の石組は、かなり広い池の彼方。


中心となる石組は曹源池にそそぐ流れである。池は下流で広さを増し、いくつかの出島(半島)がアクセントとなる。


池の西方から東を望む。庭園の肝は画面に入っていないのだが、こんな感じと想像していただければ誠に幸いです。


天龍寺はこの時点においても広大な寺社を所有している。嵯峨野の竹林を近くに見る。竹林は数百メートルの深さで続く。流石に京都の寺院の奥深さを感じた。

天龍寺塔頭 弘源寺

2009-03-24 21:21:51 | 京都の建物、庭園
通常は公開されていないが、春の特別拝顔期間にあたり、お寺の中を見ることができた。


天龍寺の境内で、嵐山をすっかり借景とするのはこのお寺だけだそうだ。開けられない硝子戸越しなので怪しい影が見えるが、遠景に臨む嵐山も、中景のお寺の瓦の屋根もおそらくずっと変わらない姿なのだろう。


この庭はめずらしく入口近くの石組が充実している。庭園の中で西側に位置するからなのか、または嵐山の借景を強く意識した結果なのか、やや不思議な感じがする。


庭園の奥、東側にも見るべき世界が展開する。
奥の石組から流れ出た水が、西側の大海にそそぐ姿のように思われる。

天龍寺塔頭 宝厳院

2009-03-23 21:51:48 | 京都の建物、庭園
阪急嵐山線からアプローチ。


流れる水はまだ冷たいのだろうが、春の光を感じる午後遅くに訪れた。


よく晴れた日だったので、日陰には本当に光が回ってくれない。三尊石など庭を締めくくる重要な要素は画面右にチラッと写っている程度だ。






(ハレーション気味の写真が多くて白つ茶けて見えがちですので、すみませんディスプレイの角度を調節してやって下さい。)
見事な苔の中に、何やら謎めいた石や切り株が配置されている。時間の経過とともに、この庭を演出した樹が寿命を迎え、それでもその跡を残す姿は、何か独特に深い印象を与える。




2トントラック位いある巨石の碧岩と獅子吼である。重さは、その数十倍であろう。禅僧策彦周良禅師の命名。そのわきを通りぬけるだけでも身が引きしまる。


流れと苔と大小様々な石。この姿に大変な豊かさを感じてしまう。


黒姫スキー場

2009-03-19 08:19:10 | お散歩
気候の問題もあり、どうやらこれが本年度のスキー場シリーズの締めくくりになりそうです。


湖の向こうは、斑尾の山々のようですね。当然だですが、黒姫ゲレンデからは黒姫山は、バッと振り返らないと望みにくいです。


ゲレ食ながら、十割そばのメニューがある。町興しとしてよいアイディアだと思う。
それでもざるは注文しないで、天ぷらのかけ蕎麦を註文しました。蕎麦は十割マシンからニョロニョロ出てくるやつで、ハサミで水平に切るのです。
そのまま、茹で用の鍋に落ちていきます。


この日は、ゲレンデで餅つきをやっていました。背景は黒姫山です。


つきたてのお餅。非常にやわらかく、美味でした。