蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

割烹寿司 やまと  旧新井市

2015-08-31 23:22:44 | 寿司
新井は、昔から海の幸と山の幸が出会う場所であったようだ。それで、定期的な市場が、今の世でも立つ。


それを反映してか、こちらの売りはレベルの高い寿司と天ぷら。
今から20年前のガイドブックでは、この地域は天ぷらが売りだったが、魚の移動技術が高度になり、寿司も守備範囲になった感じだ。


まずは白身三種(三種類揃えているかの確認なしで)を、勝手に三種として注文した。
左から、カサゴ、まはた、きんとき である。
カサゴはさくっとした感じの肉質が、とても食べやすい。
まはた、きんときは、いずれも少し身が粘る日本海系の魚である。
こういう事は、比較的単純なのだが実際に白身に触れてみないと分からない事がたくさんある。


薄口の醤油と、相性がよい。
同時に、小盛りの天ぷらを注文したのだが、余りにも軽い揚げ上がりに写真を撮ることを忘れた。
実に揚げ口の軽い天ぷらであったことを記憶している。


締めに、かんぴょう巻きを注文した。
煮汁の味の深さが、分かりやすかった。
なかなかの名店と思う。



味処 こまゆみ  青木村

2015-08-27 23:28:06 | 蕎麦
関東甲信越地域のほぼ全ての場所の最高気温が35度を越す真夏の日に、上田市の西にある青木村の道の駅に立ち寄った。


狙いは、道の駅にある蕎麦屋さん「こまゆみ」である。
このお店は、青木村で限定栽培されているタチアカネという品種の蕎麦を出す。


この日は、夏休みのピークに近く、蕎麦屋さんも結構込み合っていたが、なんとか普通に席に着き、ゆっくりと蕎麦を味わうことができた。


天ぷらは、野菜が新鮮で適度に食欲をくすぐるが、まあ普通だろう。




蕎麦は、石臼による粗挽きだけのことはある。香りも豊か。
しかし、夏休みで混み合いすぎたせいか、茹で方が少し雑になっていたのは非常に残念だった。
こんな、特殊な日でなければ、おそらくそのようなことは起こらないのだろう。


旧ノルマン邸  飯綱高原

2015-08-26 21:32:18 | 古民家、庭園
明治37年に建てられた、宣教師のための館である。
建築主のダニエル ノルマンはカナダ系の宣教師で、赴任先の日本へも好意的であっただけでなく、蒸し暑い日本の夏を過ごすために高原の避暑地を開いたパイオニアであった。


この建物は、昭和40年代まで北野建設の社長宅として利用されていたが、そのご現在の飯綱高原に移築された。




そもそも、宣教師館として建てられたのは市中であったと想像されるし、昭和40年代半ばに移築された当時は、周囲の木々もこれほどに大きくはなかったのだろう。それで、基本的には古典主義的で細部に日本様式を取り入れた館は、現在の姿よりもはるかに存在感があったのだろうと思う。


二階の角から飛び出したテラスは、館の主が雪を抱いた北アルプスを見るのに使われたのではなく、日曜日の朝に集まった信仰篤き信徒へ呼びかけるために作られたのだろうと思う。
ちょっと、偉そうな造作に見えるのは、東方の民の未だに残るひがみなのだろうか。


天ぷら 若杉  上越市

2015-08-25 23:22:19 | 日本料理
高田の駅から中央通りを超えて、青田側を渡った先にあるお店である。


ランチの天ぷら定食を注文すれば、まずはエビが2尾。
天つゆでも塩でも良いが、エビの甘味を生かして塩でいただく。


続いてハゼ(だったかな?)
ほっこりとした実が味が意外に濃い。


カウンター席でいただいたが、ご飯やお味噌汁も出てきて、目の前ががぜん、賑やかになる。


続いて、野菜てんぷらが数種類。


締めのエビかき揚げは、ご飯の上に乗せて天丼にしてもらった。丼用の汁が力強く、インパクトが大きい。
天ぷら定食に天丼もいれてくれて、1100円はお値打ちだ。


川沿いのロケーションが、お店自体をうまく演出している。
ご馳走様でした。


山笑  旧戸隠村

2015-08-24 21:48:52 | 蕎麦
こちらの蕎麦は戸隠の伝統にとらわれない。
蕎麦は、粗挽き、細か挽き、更科の3種類があるが、どれも十割である。


この日は、粗挽きと細か挽きの二種盛りを注文した。
まずは粗挽きから登場。


繊細な中にも、力強い蕎麦の姿を見せる粗挽きは乾きに弱いようだ。
本当に短い時間で写真を撮って、まずは何も付けずに味わう。次に机の上にある岩塩で味わうと、蕎麦の甘味は岩塩を振った方がはるかにわかりやすい。蕎麦を塩だけで、というとまるで求道士のような味覚に思われるかもしれないが、教条的な趣向などあるわけではなく、繊細な味わいを味オンチの舌で感じとるには一番わかりやすい、ということなのである。




続いて、細か挽き登場。
遠目に見ると、いわゆる「せいろ」という二八蕎麦のような姿をしているのだが、喉越しをある程度優先した蕎麦では考えられない香りが立つ。
戸隠の産地の香りが、生きている。


お店に入るときには気がつかなかったのだが、このお店の蕎麦は在来種を使用して、しかも雪蔵で保存されていたのだ。


この味、納得である。


飯塚亭  柏崎市(秋幸苑より)

2015-08-20 22:45:07 | 古民家、庭園
飯塚亭は14代にわたる豪農の館である。


門から館に向かえば、玄関が2つ用意されていることが見て取れる。
位に従って、向かうべき玄関は明白に決まっていたのだろう。


しかし、正式な玄関に至る少し手前に、庭への木戸が見られる。ここを潜るのが、もっとも身分の高い客である。


木戸の先には、最も格の高い式台のある玄関が構えている。


玄関の姿は厳しいが、その中に清楚な文字で秋幸苑と認められている。


玄関の脇へ回って、奥座敷を見渡せばこの姿。主人と、一言で語り合える客にのみ見ることを許された世界が始まる。






池に置かれた飛び石の、一つ一つにも趣向が凝らされている。
この庭では、それを回遊することも禁じられていない。




それで、母屋から眺めていては見られないような庭園姿を経験することもできる。




平安貴族は庭に船を浮かべ、島へと向かう遊びを楽しんだ。
回遊式庭園は、船ではなく自分の歩みにて庭園の姿を楽しむもの。確かに、時代は下るにつけせちがらくなるのかもしれないが、人間の生理に即していて、悪くないように思う。




この地が豪雪に覆われる場所であり、しかも不運なことにこのところ震災にまで見舞われている。
その条件がありながら、実に生き生きとした庭園が復興されたことは、この邸宅への支援を惜しまない地元の方々の気持ちによるところが大きいと感じられた。


飯塚亭  柏崎市(屋内より)

2015-08-19 22:38:57 | 古民家、庭園
飯塚家は14代にわたる豪農である。


2007年に公開が始められたのだが、すぐに地震の影響でダメージを受け、前回訪ねた時にはぴったりと門を閉ざしていた。


屋敷は江戸末のもののようである。
敷地は5900平米。地震の跡の修復は見事であるし、庭もきっちりと作り込まれている。


広々とした座敷から、庭園を見通す。
公開されて日が浅いためか、他に来館者は見られなかった。


貴人用玄関の脇に、庭園の命名である秋幸苑の墨筆が見られる。




奥座敷から主庭園を見渡せば、その眺めはかくの如し。
一部の隙もない、本当に格の高い座敷からの眺めとなる。






庭に焦点を合わせれば、奥深い姿が次々と展開する。


この館は、昭和22年の天皇御幸の際の行在所となり、離れに二階が増築されたようである。


四川豆花飯荘  大手町

2015-08-18 21:25:33 | 中華料理
新丸の内ビルディングの中層にある中華飲茶のお店である。




生薬を備えた一人用の茶碗に、ささっと熱湯を注ぎ入れる。その動作は、スペインのへレスの注ぎ方からヒントを得たという感じが強い。
よく、本場から抗議の声が来ないものだとまで思う。


点心の一皿目は、焼き物。大根もち、非常に美味だった。
しかし、その後ろにある海老のすり身の焼き物は、もう超絶世界。


蒸し物、三品。
蒸し物の命は皮にある。それぞれが、絶妙の使い分けをされていて、求めている味わいがささっと出てくる感んじである。
特に、中央左手の饅頭の皮のもっちりとした感覚は凄かった。


一皿、炒め物。




締めは、鳥のササミのスープに、ピータンのおかゆ。
どれも、出汁が見事に効いて、すごく味わい深い。
それに、実に体が暖められる。




ご馳走様でした。


神楽坂 新泉

2015-08-17 23:12:54 | エスニック料理
比較的近年に神楽坂にオープンした焼肉屋さんである。


牛肉の等級決めは、それなりの知識と経験のある方々によって行われるのだろうと想像する。しかし、普段そのようなレベルのものに接する機会がほとんどない人間には、突然なんとかレベルの肉を提供します、と言われてもはっきり言っってピンとこない。
それでも、洗練された味への追求がきちんとなされているのだろうことは、はっきり感じられた。


始めの一歩は、ランチの最もお手頃なコース。


それでも、なかなかの肉姿である。
これを、各人が炭火で炙って、自分の好みの焼き加減で食べる。
焼き加減がぴったり合うと、もともと柔らかい肉が、更に驚くほど柔らかくなる。
しかし、焼き過ぎは禁物。味がまるで損なわれてしまう。


ご馳走様でした。

龍雲寺  柏崎市黒滝

2015-08-11 22:05:50 | 古民家、庭園
開山は15世紀半ばであるが、作庭は江戸天明というから、18世紀後半になる。


庭園は本堂の北面にある。裏山に石組みを配し、手前には池が掘られる、寺院の庭によく見られる形式である。






裏山から池へと注ぐ滝より西側は土留めのために平らな石を積み上げたところが多いが、滝の東側は自然の斜面に優れた形の石が立てられ、なかなかの見応えがある。




裏山の石組みを見るには、本堂の正面から見る姿がよいのだが、池の全景を見渡すには庭の南側の西端から見るのがわかりやすい。
石橋も、その方向から見ることを意識して掛けられているように思う。




海岸まではそれほど距離はないが、南に黒姫山を控え、雨が豊かな土地なのだろう。苔の状態もなかなかよかった。