応仁の乱で、荒廃していた寺を17世紀後半に移したという。
洛北にあるお寺だからなのか、その昔の形式を忘れないように見える。
このポジションでも、決して正確ではないと思うが、このお寺の庭の見方は厳しい。
ここに柱があれば、視点は規定される。それは17世紀のこの寺が移転される時点で、定められているように感じる。
池の廻りの石はよくわからないが、この石だけは非常に古く、気品を感じる。
石橋にも時代が付いて、力を感じる。
思い掛けないところに、紅葉が残っていた。
本堂を見渡せば、それとして計算しつくされた姿のように感じる。