新潟市は流石に大きな町であり、その町の寿司屋さんは様々なお客を受け入れる準備ができているように思う。
寿司屋さんとくればカウンター席が一番だが、こういう座敷も用意されている。
前の晩の余韻があり、さらっと食べて満腹まで至らないような計算で、5カンの基本をお願いした。
それでも南蛮海老や、中トロ、ひもキュウ撒き(貝の紐とキュウリの巻物)と、控えめに注文したつもりが相当に楽しませてくれた。そして食べ終わった後に、ズンとくる寿司の重苦しさがない。
こんな食べ方が基本になっては困るわけで、連れは10カン当然のように注文した。
お品書きにも、とても配慮が行き届き細かいニュアンスまで込めて注文することができる。
大都市のお店という制約は付くが、やはり、名店だと思う。
寿司屋さんとくればカウンター席が一番だが、こういう座敷も用意されている。
前の晩の余韻があり、さらっと食べて満腹まで至らないような計算で、5カンの基本をお願いした。
それでも南蛮海老や、中トロ、ひもキュウ撒き(貝の紐とキュウリの巻物)と、控えめに注文したつもりが相当に楽しませてくれた。そして食べ終わった後に、ズンとくる寿司の重苦しさがない。
こんな食べ方が基本になっては困るわけで、連れは10カン当然のように注文した。
お品書きにも、とても配慮が行き届き細かいニュアンスまで込めて注文することができる。
大都市のお店という制約は付くが、やはり、名店だと思う。
もともとは越後の豪農斎藤家の屋敷であった。本館は孝順寺の寺院となっている。
建物の規模に比べて、玄関は控えめに造られている印象がある。ちょっと庭に出て、建物の全貌を見てしまえば凄い規模の屋敷であることは直ぐに見てとれてしまうのだが。
写真では分りにくいかと思うが、この屋敷の障子の桟はすべて面取りがしてある。そして、少しだけ写っている月見障子の細工は本当に細かく見事である。
主人の部屋の隅には、天然の四方竹を使った、お茶席でも設けるのにふさわしいコーナーが設置されている。
掛け軸は八一。
随分大きな池のほとりに建てられた、御殿風な建物である。ここには、農家の伝統的モチーフは微塵も見当たらない。
水辺に乗り出す松は、まるで船石のようだ。形造るには、自然の素材が相手なので時間がかかりそうだが。
池を廻って行くと、風景も展開し、公開されていない総二階建ての凝った屋根の造りの別棟が見えてくる、
本館の前に立つ樹齢数百年と思われる松。
廻り廊下を備える、贅沢な建物。
明治から昭和初期にかけて不思議なほどの財力を蓄えたという。
建物の規模に比べて、玄関は控えめに造られている印象がある。ちょっと庭に出て、建物の全貌を見てしまえば凄い規模の屋敷であることは直ぐに見てとれてしまうのだが。
写真では分りにくいかと思うが、この屋敷の障子の桟はすべて面取りがしてある。そして、少しだけ写っている月見障子の細工は本当に細かく見事である。
主人の部屋の隅には、天然の四方竹を使った、お茶席でも設けるのにふさわしいコーナーが設置されている。
掛け軸は八一。
随分大きな池のほとりに建てられた、御殿風な建物である。ここには、農家の伝統的モチーフは微塵も見当たらない。
水辺に乗り出す松は、まるで船石のようだ。形造るには、自然の素材が相手なので時間がかかりそうだが。
池を廻って行くと、風景も展開し、公開されていない総二階建ての凝った屋根の造りの別棟が見えてくる、
本館の前に立つ樹齢数百年と思われる松。
廻り廊下を備える、贅沢な建物。
明治から昭和初期にかけて不思議なほどの財力を蓄えたという。
直江津の駅前は湊にも程近く、江戸時代から風待ちの船の客などで賑わったのではないだろうかと、想像をたくましくする。駅前からの道が急に細くなった辺りに店を構える越後屋さんはそれなりの老舗のようだ。
最初に生ビールを注文すれば、つきだしは生湯葉。とてもクリーミーで美味しかったが、その後に備えた計算も感じた。
ここで、蟹料理三種。焼きがに、茹でがに、そして刺身。蟹の刺身は本当に考えられないほどに美味。これにはまると、止まらなくなるという意見もあるかもしれないが、足が2本あるので、間に茹でや、焼きをはさんで食べると、適度に目先が変わって丁度よいように思う。
焼きがには、また出汁が素晴らしい。ここまでの酒はビールに燗酒。蟹だけを殻と食べる場合には、身をほじる事に集中し他の事を考えさせる酒はかえって煩い。
ここから先のカニを使った料理には、純米の冷酒を合わせた。
続いて、蟹の天麩羅。爪の付け根の味が凝縮したところが堪らない。刺身にしたかにとは鮮度は違うのだろうが、これはこれで極楽の味。
口直しのはずのサラダにも、蟹の身がこんなにいっぱい。
茶碗蒸しは海の出汁が効いて、豊かな味わい。
遊び心溢れる、カニシューマイ。
締めは、カニ寿司にカニ汁。カニ汁の味の濃厚な事と言ったら!
ネタがネタだけに、日記も絶叫的になってしまう。
最初に生ビールを注文すれば、つきだしは生湯葉。とてもクリーミーで美味しかったが、その後に備えた計算も感じた。
ここで、蟹料理三種。焼きがに、茹でがに、そして刺身。蟹の刺身は本当に考えられないほどに美味。これにはまると、止まらなくなるという意見もあるかもしれないが、足が2本あるので、間に茹でや、焼きをはさんで食べると、適度に目先が変わって丁度よいように思う。
焼きがには、また出汁が素晴らしい。ここまでの酒はビールに燗酒。蟹だけを殻と食べる場合には、身をほじる事に集中し他の事を考えさせる酒はかえって煩い。
ここから先のカニを使った料理には、純米の冷酒を合わせた。
続いて、蟹の天麩羅。爪の付け根の味が凝縮したところが堪らない。刺身にしたかにとは鮮度は違うのだろうが、これはこれで極楽の味。
口直しのはずのサラダにも、蟹の身がこんなにいっぱい。
茶碗蒸しは海の出汁が効いて、豊かな味わい。
遊び心溢れる、カニシューマイ。
締めは、カニ寿司にカニ汁。カニ汁の味の濃厚な事と言ったら!
ネタがネタだけに、日記も絶叫的になってしまう。
元々は長岡の清水家別邸として明治28年に建てられたのだが、その後伊藤家の新潟別邸となる。
新潟の湊近く昔から御屋敷が立ち並んだ地区と思われる。選び抜かれた材を使い、複雑な屋根の処理をこなしながら、主張しすぎない佇まいをみせる。
玄関を上がれば、表向きの座敷までは一直線になり、襖を明け放てば格式のある部屋でも見通しが効く。
玄関正面の座敷から鍵の手に曲がると、別の座敷に達する。この座敷は洗練の度合いでは、おそらくこの屋敷屈指のものに思われる。
二階の座敷からは、その昔は随分眺めがよかったのだろう。残念ながら、現在では廻りを取り囲まれてしまっている。
視線をぐっと下げて庭を見れば、昔に変らない姿である。
街中の限られた敷地に造られた庭だが、その条件があるからこその親しみを感じさせる。また、京都の町屋の庭のように技巧に走りすぎない、伸びやかなところがなんともすがすがしい。
園内には茶室の清行庵が建てられている。秋艸同人 会津八一によって、名付けられたという。
新潟の湊近く昔から御屋敷が立ち並んだ地区と思われる。選び抜かれた材を使い、複雑な屋根の処理をこなしながら、主張しすぎない佇まいをみせる。
玄関を上がれば、表向きの座敷までは一直線になり、襖を明け放てば格式のある部屋でも見通しが効く。
玄関正面の座敷から鍵の手に曲がると、別の座敷に達する。この座敷は洗練の度合いでは、おそらくこの屋敷屈指のものに思われる。
二階の座敷からは、その昔は随分眺めがよかったのだろう。残念ながら、現在では廻りを取り囲まれてしまっている。
視線をぐっと下げて庭を見れば、昔に変らない姿である。
街中の限られた敷地に造られた庭だが、その条件があるからこその親しみを感じさせる。また、京都の町屋の庭のように技巧に走りすぎない、伸びやかなところがなんともすがすがしい。
園内には茶室の清行庵が建てられている。秋艸同人 会津八一によって、名付けられたという。
福井流のぶっかけ蕎麦を食べさせるお店が神楽坂にできた。
表札は九頭龍蕎麦。しかし、店内の表記は九頭竜。まあ、どちらもOKということで。
福井のお蕎麦屋さんと一番違うのは、つまみと酒が昼間から揃っていることでしょう。
それでも鶏わさは、しばらくいただいていないので食べたくて堪らない。
それに「おでん」。こちらは、削り節、ネギ、山葵で食す。確かに、おでんの出汁がとても上手に取ってあり、薬味の顔ぶれも分らないではないのだが・・・・
まあ、スジ肉とか、がんもとか、それだけで幸せになれそうだ。
締めの蕎麦は、あの懐かしい福井のぶっかけ。皿が小さめで、いくらでも食べられそうなのも懐かしい。
牛込矢来町はそもそも小浜藩藩主酒井家の江戸屋敷のあったところ。福井とひとことに言っても、その中で地方性があり、それ程単純な事ではないようだ。
表札は九頭龍蕎麦。しかし、店内の表記は九頭竜。まあ、どちらもOKということで。
福井のお蕎麦屋さんと一番違うのは、つまみと酒が昼間から揃っていることでしょう。
それでも鶏わさは、しばらくいただいていないので食べたくて堪らない。
それに「おでん」。こちらは、削り節、ネギ、山葵で食す。確かに、おでんの出汁がとても上手に取ってあり、薬味の顔ぶれも分らないではないのだが・・・・
まあ、スジ肉とか、がんもとか、それだけで幸せになれそうだ。
締めの蕎麦は、あの懐かしい福井のぶっかけ。皿が小さめで、いくらでも食べられそうなのも懐かしい。
牛込矢来町はそもそも小浜藩藩主酒井家の江戸屋敷のあったところ。福井とひとことに言っても、その中で地方性があり、それ程単純な事ではないようだ。