蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

スパゲッティ デスペラート

2010-10-31 20:31:21 | 男の料理
材料は見ての通り。基本的にニンニクとトウガラシのソースです。


非常にシンプルなスパゲッティなので、スパゲッティの小麦の質とか、オリーブオイルの香りの立ち方などが重要なポイントになります。


ニンニクは薄切りにして、お煎餅のようになるようにオリーブオイルで炒めます。トウガラシはニンニクを炒めた鍋の上からハサミで細かく切ります。
あとはスパゲッティを丁度よく茹であげれば出来上がり。ソースを上からかけ、好みで塩かおろしたチーズをかけてやります。
今回はトウガラシを入れるのが早すぎて、辛みがいささか飛んでしまったのが残念。

魚沼の秋

2010-10-30 23:02:21 | 自然
魚野川は谷川岳から流れ出し、魚沼の狭い平野を潤して信濃川に合流し、やがては日本海へと至る。


今は一面、ススキが藩もするが、やがて短時間の内に紅葉と積雪を見ることになるのだろう。

港すし  新潟市

2010-10-29 21:45:41 | 寿司
新潟市は流石に大きな町であり、その町の寿司屋さんは様々なお客を受け入れる準備ができているように思う。


寿司屋さんとくればカウンター席が一番だが、こういう座敷も用意されている。


前の晩の余韻があり、さらっと食べて満腹まで至らないような計算で、5カンの基本をお願いした。






それでも南蛮海老や、中トロ、ひもキュウ撒き(貝の紐とキュウリの巻物)と、控えめに注文したつもりが相当に楽しませてくれた。そして食べ終わった後に、ズンとくる寿司の重苦しさがない。


こんな食べ方が基本になっては困るわけで、連れは10カン当然のように注文した。

お品書きにも、とても配慮が行き届き細かいニュアンスまで込めて注文することができる。
大都市のお店という制約は付くが、やはり、名店だと思う。

孝順寺  新潟県安田町

2010-10-28 21:17:35 | 古民家、庭園
もともとは越後の豪農斎藤家の屋敷であった。本館は孝順寺の寺院となっている。


建物の規模に比べて、玄関は控えめに造られている印象がある。ちょっと庭に出て、建物の全貌を見てしまえば凄い規模の屋敷であることは直ぐに見てとれてしまうのだが。


写真では分りにくいかと思うが、この屋敷の障子の桟はすべて面取りがしてある。そして、少しだけ写っている月見障子の細工は本当に細かく見事である。


主人の部屋の隅には、天然の四方竹を使った、お茶席でも設けるのにふさわしいコーナーが設置されている。
掛け軸は八一。


随分大きな池のほとりに建てられた、御殿風な建物である。ここには、農家の伝統的モチーフは微塵も見当たらない。




水辺に乗り出す松は、まるで船石のようだ。形造るには、自然の素材が相手なので時間がかかりそうだが。


池を廻って行くと、風景も展開し、公開されていない総二階建ての凝った屋根の造りの別棟が見えてくる、






本館の前に立つ樹齢数百年と思われる松。
廻り廊下を備える、贅沢な建物。
明治から昭和初期にかけて不思議なほどの財力を蓄えたという。


越後屋  直江津

2010-10-26 21:44:39 | 日本料理
直江津の駅前は湊にも程近く、江戸時代から風待ちの船の客などで賑わったのではないだろうかと、想像をたくましくする。駅前からの道が急に細くなった辺りに店を構える越後屋さんはそれなりの老舗のようだ。


最初に生ビールを注文すれば、つきだしは生湯葉。とてもクリーミーで美味しかったが、その後に備えた計算も感じた。






ここで、蟹料理三種。焼きがに、茹でがに、そして刺身。蟹の刺身は本当に考えられないほどに美味。これにはまると、止まらなくなるという意見もあるかもしれないが、足が2本あるので、間に茹でや、焼きをはさんで食べると、適度に目先が変わって丁度よいように思う。


焼きがには、また出汁が素晴らしい。ここまでの酒はビールに燗酒。蟹だけを殻と食べる場合には、身をほじる事に集中し他の事を考えさせる酒はかえって煩い。
ここから先のカニを使った料理には、純米の冷酒を合わせた。




続いて、蟹の天麩羅。爪の付け根の味が凝縮したところが堪らない。刺身にしたかにとは鮮度は違うのだろうが、これはこれで極楽の味。


口直しのはずのサラダにも、蟹の身がこんなにいっぱい。


茶碗蒸しは海の出汁が効いて、豊かな味わい。


遊び心溢れる、カニシューマイ。




締めは、カニ寿司にカニ汁。カニ汁の味の濃厚な事と言ったら!
ネタがネタだけに、日記も絶叫的になってしまう。

北方文化博物館新潟分館  新潟市

2010-10-25 22:48:43 | 古民家、庭園
元々は長岡の清水家別邸として明治28年に建てられたのだが、その後伊藤家の新潟別邸となる。


新潟の湊近く昔から御屋敷が立ち並んだ地区と思われる。選び抜かれた材を使い、複雑な屋根の処理をこなしながら、主張しすぎない佇まいをみせる。




玄関を上がれば、表向きの座敷までは一直線になり、襖を明け放てば格式のある部屋でも見通しが効く。




玄関正面の座敷から鍵の手に曲がると、別の座敷に達する。この座敷は洗練の度合いでは、おそらくこの屋敷屈指のものに思われる。




二階の座敷からは、その昔は随分眺めがよかったのだろう。残念ながら、現在では廻りを取り囲まれてしまっている。
視線をぐっと下げて庭を見れば、昔に変らない姿である。




街中の限られた敷地に造られた庭だが、その条件があるからこその親しみを感じさせる。また、京都の町屋の庭のように技巧に走りすぎない、伸びやかなところがなんともすがすがしい。






園内には茶室の清行庵が建てられている。秋艸同人 会津八一によって、名付けられたという。

丁子屋  根津

2010-10-22 22:57:53 | お散歩
少し前の事になるが、蕎麦屋さん鷹匠への道を忘れてしまい、地元の方に訪ねた時に教えてもらった目印が、こちらのお店である。創業明治28年、染物屋さんである。


本当に昔の姿を留める、数少ないお店だが、今日でも立派に営業されている様子。このお店が面する道筋には、その昔千駄木方向から流れ来て、 不忍池へと流れ込む谷田川が流れていたらしい。その水にまつわる染物商売だったのだろう。


店の入り口近くには、随分と手をかけた感じの鉢に蓮の華。これなら、着物の話に飽きてしまった男衆も気持ち良く話が終わるのを待てるだろう。


看板の文字にも勢いがあり、矍鑠たるものを感じた。
 

清澄庭園の名石

2010-10-21 21:15:01 | 古民家、庭園
清澄庭園は紀伊国屋文左衛門の別邸跡と言われているが、確たる証拠は無いようだ。


明治初期に岩崎家の所有となり、今に残るこの庭の名石の多くは、その当時に岩崎家が全国から集めたものである。
この磯渡りにしても、石の表情は実に豊かだと思う。


池に向いて傾いたように組まれた石組。なかなか斬新な感じもするが、一方で古い様式を伝えるようにもみえる。


この仏像のような静かな力を感じさせる石たちこそが、この庭の中心として据えられているのだろうと思う。




石と苔は、よく調和する。どんなに力を感じさせる名石でも、やはり生命力を感じさせる苔が近くに欲しいものだと感じられる。


水の流れは、不思議な形にまで石を刻む。

九頭龍蕎麦  神楽坂

2010-10-20 22:19:13 | 蕎麦
福井流のぶっかけ蕎麦を食べさせるお店が神楽坂にできた。


表札は九頭龍蕎麦。しかし、店内の表記は九頭竜。まあ、どちらもOKということで。


福井のお蕎麦屋さんと一番違うのは、つまみと酒が昼間から揃っていることでしょう。
それでも鶏わさは、しばらくいただいていないので食べたくて堪らない。


それに「おでん」。こちらは、削り節、ネギ、山葵で食す。確かに、おでんの出汁がとても上手に取ってあり、薬味の顔ぶれも分らないではないのだが・・・・
まあ、スジ肉とか、がんもとか、それだけで幸せになれそうだ。


締めの蕎麦は、あの懐かしい福井のぶっかけ。皿が小さめで、いくらでも食べられそうなのも懐かしい。
牛込矢来町はそもそも小浜藩藩主酒井家の江戸屋敷のあったところ。福井とひとことに言っても、その中で地方性があり、それ程単純な事ではないようだ。

毛利庭園

2010-10-19 18:43:16 | 古民家、庭園
長府藩毛利家の上屋敷があった場所になる。


ただし、この池は新しく作られたもの。






水の流れの部分が、庭として手をかけて作り込まれており、都心にある公園であることを一瞬忘れられる。


しかし、池をちょっと廻れば、ヒルズのモダンな姿が後ろに佇む。
この時代に生きている身としては、これはこれで受け入れざるを得ないのだろう。