蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

名古屋城二之丸庭園

2014-06-30 21:56:18 | 古民家、庭園
日本庭園鑑賞便覧(本ブログでは「便覧」と表記する事が多い)によれば、桃山時代の作とされているが、今は全く荒れるに任せている状態で、申し訳程度に修理の手は入っているが本気でなんとかする気はまるでないように見られる。名古屋程の大都市が、これだけの縁のある庭園を放っておくとは、なんとも嘆かわしい。


それでも築山に築かれた石組みの枯滝には、その昔の迫力と気品を感じる。


しかし、それも少し見る位置を変えると、かなり怪しげな石組みに見えてしまう。




築山の脇にある蘇鉄の大樹に誘われて、奥を覗けば、




廃墟と化した池泉が視界に入り、呆然と立ち尽くすこととなる。

泉石亭の蕎麦  小布施

2014-06-27 21:13:22 | 蕎麦
泉石亭は、基本は蕎麦屋さんである。入り口右手の小部屋では、そば打ちが盛んに行われている。


とろろせいろを、注文した。
小布施の隣町の須坂は、扇状地で長芋の名産地である。
名産の芋の鮮度の良いものを、擂り下ろしたてはまろやかな風味がある。


蕎麦自体は、万人向けに少し柔らかめに茹で上げられている。
そこが、少し残念だった。


しかし、これだけの庭を見ながら食事ができるというのは、なんとも贅沢である。

泉石亭  小布施

2014-06-25 23:27:20 | 古民家、庭園
少し前に、小布施の栗加工業者の動向を「j-garden-hirasato」さんから伺った記憶があります。結論としては、この小布施の地は栗の産地としての歴史は長いが、それを加工した菓子や強飯の販売は近年のことのようだ。


おそらく、1980年代に入ってから小布施の、観客は驚異的に伸びた。
桜井甘精堂はその時期に、大きな投資をしたのだと思う。そのころ、東京は高田の馬場にも甘精堂の支店が存在し、栗菓子を購入する事ができた。


それと程近い時期に、この店の庭の整備を始めたのではないかと推察する。
ガイドブックで特別に紹介されたりするお店ではない。開店直後は、それなりに宣伝に努めたと思われるが、今は過度な混雑を避ける事を目指されているのかも知れない。
お店の裏の庭は、時代を超えて見事に手入れされている。


巧みに工夫された滝の前でゆっくりと庭を観賞できると嬉しいのだが、この庭は当然ながら客室からの鑑賞を前提として造られており、庭の中で立ち止まるのは野暮の一言につきるのだろう。




この庭は、厳しい石組みなど見せない世俗の庭であろう。
しかし、これほどの短期間で風格を感じさせる庭造りの技、見事だと思うし実に楽しめる、


栗強飯  竹風堂

2014-06-24 22:58:39 | 日本料理
小布施は北信の中でも、一二を争う観光地である。この地域の食のキーワードは栗である。


竹風堂は駐車場も広々としていて、利用しやすい。一人前のお強飯を注文しても、とても快く応じてくれる。


そさくさと、パッケージを開ければ栗多めのおこわ。
味噌漬けも嫌味の無い味わいで、これだけでも一食堪能できる。


しかし、せっかく信州も奥深くまで来たのだから、この強飯に合わせた二品を加える事にした。
鯉のあらいに、馬刺である。これがあると、俄然日本酒との相性がよくなる。




諏訪の名酒、真澄との取り合わせ、なかなか幸せなものであった。

まつお  十日町

2014-06-23 23:36:51 | 蕎麦
十日町から松代へは、急斜面を登る。間にいくつかものトンネルがあり、それらを抜けると吹く風の感触がまるで違う。
松代の町の中で時間を使い過ぎ、昼時をすこし過ぎかけていた。これは、是非とも十日町へと下る前の高原の蕎麦を食したいところである。


「まつお」さんは、蕎麦屋と称してはいるが、夜の宴席まで予約を受ける大店である。
おそらくは近くの「松苧神社」への参拝客で賑わった店なのであろう。
しかし、「松苧神社」はそれなりに厳しい場所にあり、駐車場から30分程歩かないと神社には行き着かない。その条件にありながら未だに賑わいを見せるお店である。




天婦羅のきめ細かい包丁使い、土地の産と思われる豆の甘辛ミソの味の深さ。
これは、なかなかであった。


御馳走様でした。


古民家で生け花  奴奈川姫の家  松代地区

2014-06-20 22:09:09 | 古民家、庭園
十日町観光協会のサイトで見つけたのは「古民家で生け花」というテーマ名と簡単な地図だけであった。松代の観光地図をもらって、奴奈川姫の家が奴奈川という地名によるものらしい事は分かったが、肝心の古民家がどのような方によりどのような方針で公開されているのかも全くわからなかった(現地を訪れても分からなかったという事態である)。


ともかく、地図を頼りに現地を訪れれば、正しく伝統的に復元された古民家があり、古民家の中には驚く程に繊細な感覚をもって生けられた花がそこかしこに展示されていたということである。展示の説明をされる方もおられたが、パンフレットにするような一般的な事項の説明はなぜかうかがった覚えが無い。
これ以上、この展示会について言葉で説明するものを私は持たない。後は、映像を見ていただく事につきる。


























保よし  湯沢町

2014-06-19 22:50:50 | 日本料理
湯沢の温泉街にあるお店だが、それなりの歴史を持つ。
スキー客や湯治客を当て込んだ温泉街の飲食店は入れ替わりが激しいが、こちらは家族連れも入りやすい健全路線で安定して営業されている感じだ。


それでも生ビールを注文すれば、つき出しにバイ貝が出てくるところは新潟らしい。


続いて、季節の蕗味噌。これには、塩沢の名酒鶴齢を合わせたくなる。




この日は、大人しめに海老三本入りの天丼。
やはり新潟は魚よし、野菜よしである。
気持ちよく平らげた。


そして、さっぱりとしたデザートまでつく。
このお店、コストパーフォーマンスも悪くない。

カール・ベンクス流古民家再生  松代

2014-06-18 22:58:17 | 古民家、庭園
日本の地名の読みは難しい。「松代」を見て長野県松代市を思い浮かべられた方もおられるかもしれない。しかし、今回は新潟県十日町市松代地区が舞台となる。「松代」も「まつだい」と呼ぶ。




今から約20年前に、新潟県の中部と北西部を結ぶ「ほくほく線」が開通した。冬場に松代地区が積雪のために孤立する状況があり、大正時代から十日町と直江津を結ぶ鉄道敷設の構想は存在したようだが、実現までにはあまりの年月を要し、上越新幹線にはるかに遅れをとる事となった。
ほくほく線の開通当時、沿線の観光資源が整備されていない事も指摘されていたが、日本の古民家再生に力を注いだカール・ベンクス氏によりかなり解消された感じもする。
廃業した旅館の材を使い、建てられたベンクス氏の事務所。
隣も、ベンクス氏の手により外観に手が入れられ、街並として特徴のある姿を形成している。






ベンクス流古民家再生は、細部の伝統的な意匠を残しながら、全体は彼の出身地であるドイツの建物の文法を踏襲する。


松代にはほくほく線の駅もあり、商店街も存在する。
そのような環境をわざわざ離れてか、国道253号線、403号線と走り継ぎ松代の町から15キロほど離れた山の中に竹所という集落がある。日本の古民家の大変な理解者であるベンクス氏はここに早くから住着き、その影響でベンクス流再生古民家が何件か見られる。
こちらは「べんがらハウス」と呼ばれる。家の前の池が美しいが、虫など大変ではないだろうか。


それから少しだけ登ったところの家は、イエローハウスと呼ばれる。
季節のよい期間はオープンハウスとなり、香り高いハーブティーなどを訪れた人に提供してくれる。




この日、この扉を開けたらベンクス氏自身がにこやかに迎えて下さった(ただし、彼はこの家のオーナーではないそうだが)。


確かに、ベンクス流古民家は、椅子文化に幼い頃から染まっている我々には楽である。薪ストーブの暖かさも、実に快適で、特に夜などは他の暖房器具では味わえない角のとれた暖かみがありそうである。

鮨 登喜和  新発田市

2014-06-17 23:52:29 | 寿司
確か1年前のショウブの季節に最初に訪れ、見事な腕に感動した記憶がある。
その後、SUITOなる新潟ローカルな雑誌にも登場し、成る程と思った。


このお店、上握りなどのコースもあるのだが、木札が示すお値段があまりにも良心的なので、カウンターのすみに座り、我が侭を言って1カンずつお願いする事になってしまう。
まずは、とき鮭。一番旨いのはいつ頃ですかと聞いたら笑われてしまった。時知らず、いつでも旬との事。


続いてハマグリ。今や中国産がほとんどだそうだが、このお店で出すのはそうではなかろう。
煮ハマの味の深さ。なかなか食べられない食材である。




木札には無いが、タラバ海老がお勧めだと言う。
姿を見せてもらったが、なかなかの大きさ。ガス海老や泥海老も甘みが濃くて美味だが、これは外せないと思い注文した。
まずは、たっぷりとした身を握りで。甘みが素晴らしい。
続いて、なんと頭の味噌の部分が軍艦巻きで出てきた。単純な身に比べて、ひと味の濃さ。これはなかなか食べられないものをいただけたと即座に感じた。


舌を調整しようとコハダを注文すれば、これがまあ粋な酢締めの姿。驚く程のお値打ち。


ヒラメは季節が終わりがけだったのかもしれないが、日本海の寿司屋さんではなくてはならぬネタだと思う。


シャコはツメを付けて。そのツメがまたなかなか味が深い。




最後は生ウニに穴子という大贅沢。
穴子は注文を受けてから、焼き付けてほこほこのものを出す。まさしく、舌と上あごの間で崩れる。


これで終了と思っていたら、先ほどのタラバ海老のから焼きが出てきた。ヒゲは香ばしく、殻の中身は見事な香りを放つ。一匹で三回美味しいネタである。
これだけ、いろいろとやりながら、アルコールフリー一本を含めて、驚く程お勘定は安かった。私が知る限り、お江戸では決して出来ない鮮度にお値段。わざわざ訪れる価値は十分にある。


御馳走様でした。



清水園  梅雨入り直前

2014-06-16 22:29:01 | 古民家、庭園
戦国後期からの新発田の藩主、溝口家の下屋敷である。


清水園の名称は、この一体が清水谷と呼ばれていたことに由来するようだが、清水園の名は昭和半ば以降から使われたようである。


この土地は苔の生育に非常に適した気象環境にあるようだ。
京都東山にも劣らない見事な苔が、自然に育つという。


下屋敷であっても大名を迎えた格の高い座敷が備わる。
いつ訪れても多くの人で賑わっている書院であるが、この日は不思議な程に人出が少なく、書院を独占する瞬間を持てた。これは、実に希有な事に思われる。




この庭は、縣宗知により作庭され、その遥か後に田中泰阿弥により手が入れられたようだ。
しっとりとした感覚を伝える水の庭である。規模は確かに多くの京都の寺院のものより大きい。回遊式庭園の風景の展開が実に数多く用意されている。


書院手前の廊下部分にある腰高障子は、火災を起こした新発田城から持ってこられたもの。風雪により障子が傷むのを防止する工夫がなされている。


書院の西側は、二分割されて床の間が2つ設けられている。格の上下は床の間の深さなどで明確に分けられているが、やや不思議な造りである。しかし、そういえば、上越市郊外の林 富永邸の奥座敷にも、2つの床の間が設けられていたと記憶している。
林 富永邸の案内人の説明では、2つ設けられた床の間の使い分けは不明との事であった。


この庭の味わいの深さは過去に何度もご紹介した。何度も同じような画像を繰り返し掲載するのも能がないように想い、この2点のみを新規に掲載することとした。
梅雨入り直前でも、結構な雨が降ったためかこの庭へ導かれる流れがほとばしる。


母屋の前から遊び心で池に舟を浮かべ池をわたり、茶室へ望む。そういうストーリーを無視するように、船着き場の前に障害物のような石を立てたのは泰阿弥か?
それとも宗知の時からの装置なのだろうか。