高柳町は県道を通るかぎりごくありふれた新潟の町なのだが、県道裏の急坂を登るとこれはただ者ではない屋敷が広がるのが見えてくる。
裏山からの流れが庭にそそぎ、それが塀に沿った堀に流れ出す日本の庭としては理想的な地勢である。
この庭は、松之山を本拠にして栄えていた村山氏の一族が17世紀にこの高柳町に移住してきた事に始まる、村山家の家屋敷なのである。
門から直ぐの表庭も、それなりの石組が見られる。どこまでがそうなのか、分らないが田中泰阿弥(昭和初期に京都で活躍した庭師)の作品だそうである。
貞観園の中に建つ貞観堂は修復作業が終わったばかりで、一本通った感じのすがすがしい姿を見せてくれた。
数年前から続く庭園の補修作業は未だに完成せず、園路を歩くこともできず、この写真は貞観堂から覗き込むような望遠で撮影している。
まだ陽も高い時分からこの庭園にいたのだが、いつしか夕日が室内を照らし、山際に近づいた。
逆光の夕日が沈むと、木々の葉が作るハレーションを受けなくなり、庭園の風景は急にシャープになる。
細かい所までが見えるようになってくる。
このまま、廊下に座って月の出を待つ事が出来たら、どんなに素晴らしい世界を経験することが出来たのだろう。日本庭園が最も神秘的に魅力的になるのは暮れなずんだ頃だと言った学者もいる。豆電球程度の明かりで、月を邪魔しないで味わうような事は、もうこの国の文化財では出来ないものなのだろうか。
裏山からの流れが庭にそそぎ、それが塀に沿った堀に流れ出す日本の庭としては理想的な地勢である。
この庭は、松之山を本拠にして栄えていた村山氏の一族が17世紀にこの高柳町に移住してきた事に始まる、村山家の家屋敷なのである。
門から直ぐの表庭も、それなりの石組が見られる。どこまでがそうなのか、分らないが田中泰阿弥(昭和初期に京都で活躍した庭師)の作品だそうである。
貞観園の中に建つ貞観堂は修復作業が終わったばかりで、一本通った感じのすがすがしい姿を見せてくれた。
数年前から続く庭園の補修作業は未だに完成せず、園路を歩くこともできず、この写真は貞観堂から覗き込むような望遠で撮影している。
まだ陽も高い時分からこの庭園にいたのだが、いつしか夕日が室内を照らし、山際に近づいた。
逆光の夕日が沈むと、木々の葉が作るハレーションを受けなくなり、庭園の風景は急にシャープになる。
細かい所までが見えるようになってくる。
このまま、廊下に座って月の出を待つ事が出来たら、どんなに素晴らしい世界を経験することが出来たのだろう。日本庭園が最も神秘的に魅力的になるのは暮れなずんだ頃だと言った学者もいる。豆電球程度の明かりで、月を邪魔しないで味わうような事は、もうこの国の文化財では出来ないものなのだろうか。