蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

志賀山文庫  上林温泉

2009-08-31 21:29:51 | 古民家、庭園
スキーで有名な志賀高原へアプローチする上で、長野電鉄の終着駅となる湯田中には幼い時から行く機会があった。湯田中温泉は最近も歩いてみたが、山の麓の限られた範囲に旅館が立ち並ぶ温泉地らしい土地柄だ。まさか、そこから一息登った上林温泉にこんなに洗練された施設があったとは。


信州中野から志賀高原を経て草津越えをする国道292号線から上林温泉へ折れ急カーブを抜けると、それまでの山深い景色から、ポッカリと空が開ける風景が広がる。余程格式の高い旅館の庭かとも思ったが、これこそが目指す志賀山文庫であることがわかった。




芝生を基本とした比較的洋風の庭だが、よく手入れされて植えられいる植物はなかなか繊細な表情を出している。


こちらの建物も素晴らしいもので、実業家の渋沢栄一の孫が建てたものを移築したという。
建物も庭も、その背景となる志賀高原も素晴らしいのに、どうもお客さんの姿が見られない。確かに志賀高原に縁のある作家の資料を展示してもそれほど人気はでないのかもしれない。


入館しようとしたら、入口に写真の木札が下がっていた。
もう少し早く来ればと悔やまれたが、これは仕方がない。庭は手を入れないと荒れ放題になってしまう。よほど大きな企業が後ろについていると思うのだが、せめて庭の手入れだけはずっと続けて、次のチャンスを待ってほしいとつくづく感じた。

夏の終わりの甘泉園  早稲田

2009-08-29 17:05:57 | 古民家、庭園
今日は台風の影響で南風が吹き込み、この夏としては厳しい暑さとなった。道を歩いているとアスファルトの路面からの照り返しが厳しいが、甘泉園の中は丈の高い樹の日陰になり大分楽になる。




庭の一角にある滝口には今も水が落ち、池へと流れ込む。


夏姿の庭は緑一色だが、わずかに夾竹桃が華を添える。




手前の石組みの脇と、奥の石橋の脇の二か所に夾竹桃が植えられている。


そういえば、足元にもう一つ花が咲いていました。ちょっと地味目ですが涼しげです。

土浦中城町

2009-08-28 22:01:18 | 古民家、庭園
土浦が城下町として整備されたのは、江戸城よりもさらに年代が下る1609年以降だという。霞ヶ浦に近い平坦な土地であり、城の周囲に堀を築き、そこへ湿地の水を落として新田開発がなされたように見受けられる。明治以降、水運が不要になり堀は埋め立てられた。


写真のほたて食道(天ぷら屋さん)の前の道は、昔は川口川という川であり、横断歩道の少し先に桜橋なる橋がかけられていたらしい。その橋の先に中城町が続く。


ほたて食道と中城町の通りをはさんで反対側にある、かねき亭。




川口川に沿って少し歩くと、いかにも川沿いにありそうな鰻屋さんや、煉瓦造りの蔵が見られる。


呉服商 大国屋徳兵衛の見せ蔵。丁寧な造りの建物だ。現在は、観光案内所になっている。


江戸時代からの商家、野村家。屋根瓦をみても、当時は大変な勢いだったであろうことが想像される。


山口薬局の看板が素晴らしい。お店は、この日は閉じていた。




吾妻庵さん。やはり蕎麦屋さんは気になる。お店のたたずまいも良いが、屋形看板が美しい。
この辺りは土浦の城郭にかなり近い場所なのだが、旨い具合に町人町を保存したものである。

にしざわ  長野市

2009-08-27 22:15:13 | 蕎麦
長野駅の東南東方向、国道18号線の上高田北交差点の近くの路地を歩くと「西澤」という表札を多く見かける。長野に西澤姓が多いと言われるが、中でもこの辺りは頻度が高いように感じる。このお店の主の西澤一茂さんも、この土地に由来のある方なのではないか、と勝手に想像する。


お店は結構車通りの多い道に面しているのだが、お店に入る前から別な世界に臨む雰囲気を感じることができる。「翁」の高橋さんにほれこんだ、西澤さんの演出が始まる。


お昼をだいぶ外れた時間に入店したのだが、前にも後にも客が続く。空腹だったので、鴨汁蕎麦をお願いした。鴨汁なのだが、ちゃんと冷たいざるの汁もついてくる。それから始めたら、それだけで蕎麦一枚終ってしまいそうだ。


なんとも端正な蕎麦の姿が素晴らしい。


柚子をアクセントにした鴨汁は、それはそれで出汁の塊のような充実した味わい。


このお店は神経が行き届いている感じだ。奥にある坪庭も、いかにも目を楽しませてくれる。

竜王荘(2)  北志賀高原

2009-08-26 21:09:22 | 蕎麦
信州中野側から北志賀高原に登っていくと、実に山深い土地だと実感できる。国道403号線は高社山を一周するように走るのだが、もう一方から竜王山が迫る辺りはおそらく良い水が得られるのだろう。名のある、蕎麦屋さんが並んでいる感じだ。いずれも、懐かしい感じの食べてとても嬉しい蕎麦を出すようだが、中でも洗練された味を極めるのが竜王荘さんだ。


蕎麦を頼めば、まずは自家製らしいおぼろ豆腐が出てくる。これがまた、中々の逸品。


この日は、せいろでなく皿に盛るスタイルで蕎麦が出てきた。ネギの扱いまでにも、ピンとした気配りが感じられる。


透明感まで感じさせる蕎麦なのだが、ひきぐるみもしっかりと。北志賀高原でこんな蕎麦を出すのも凄いが、それに行列ができるのも流石と思われる。今日、蕎麦に関しては伯楽を探すのに苦労しないようだ。


天麩羅の姿も、見事。

西の茶屋

2009-08-24 23:17:03 | 日本料理
地方都市ではあるが、一応新幹線が止まる駅から路地を抜けてすぐのお店です。


小上がりに上がって生ビールを頼めば、突き出しがついてくる。


ミョウガにきゅうり。鰹節がたっぷり乗る。


ぬか漬けの味わいも深い。


ちょっとピンぼけだが、野菜天麩羅の凝縮した味が忘れられない。

不思議な天気とお盆の提灯

2009-08-23 21:29:24 | 自然
最近は秋のような晴れ間が続いているのですが


一週間ほど前のお盆の頃には、前線が停滞し、少し晴れたかと思えばにわか雨が来ました。
駅前広場のお盆の提灯もどうなるのかと思っていれば、午後も遅くにはさっと晴れて虹がでました。
数分後には、この駅から各駅停車に乗ります。

うなぎ 伊勢屋  牛久沼

2009-08-21 21:50:23 | 日本料理
牛久沼の水質は、この数年で相当に改善しているような感じだ。かつては、ひどい噂も聞いた覚えがあるのだが。




自然に水鳥が群れるまでの環境になった。おそらく、地元の方の大変な努力があったのだろうと想像する。


この辺りは、鰻丼の発祥の地とされる鰻には縁の深い場所。鰻自体は牛久沼産ではないかもしれないが、鰻を見分ける目が違う。写真は鰻重の上。


鰻重の並でもこれくらいに脂がのり、しかも蒸しが十分に効いた関東風。当然のように漬物も旨い。


わざわざ訪れた甲斐がありました。ごちそうさまでした。

信州中野の町並み

2009-08-20 22:50:56 | 古民家、庭園
信州中野は江戸時代を通じて天領であり、北信の中では豊かな地域であったようだ。
少なくとも幕末近くになり、藩の財政が破綻してとんでもないような税率をかけられた地域よりはマシだったようだ。


それでも、明治初年には米騒動が飛び火し、その時に多くの文化財が焼けてしまったようなのだが、それでも町のあちこちに土地に根付いた建物を見ることができる。ちなみに、こちらはキリスト教教会。


中野陣屋の近くに法運寺さんがある。写真は山門から本堂を眺めた姿。




媒装園のご主人から、中野市には歴史的庭園が三つほどある旨、伺いました。一つは媒装園、それに媒装園を模したこのお寺の庭。そしてもう一つはプライベートで公開されていないとの事。
この法運寺のお庭は昭和18年の作庭。


市の中心近くのお寺にこれだけの庭園が残されていることなど、聞かなければ本当に分からない。同様に、信州中野の町には、もっと凄いお宝が隠されているような気分になる。

袋屋清左衛門邸  信州中野

2009-08-19 21:52:40 | 古民家、庭園
信州中野は江戸も末になって栄えたのだが、それがあだになり明治初年の米騒動で古い建物は殆ど焼失してしまったようだ。


代々の味を守る袋屋さんだが、美術館の展示室となっている正面の蔵を除き、建物の大部分は焼失してしまったようだ。ただ、庭(媒装園)だけは、18世紀後半の姿を留めているという。


庭の中央を占める三尊石には、修行僧のような顔かたちが浮き出していて、不思議な感じがする。




かつて、この屋敷で一度ならず句会を催した小林一茶が昼寝したと伝えられる船形石。
本居宣長の養子、本居太平の構想によるという。


庭の中央にある石組を向って左奥方向からみると、不思議に奥行きが感じられる。もしかすると、その昔の奥座敷はこの方角にあったのではなどと想像を逞しくしてしまう。