蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

天仙  江戸川橋

2012-12-31 22:40:45 | 日本料理
かつて神田川は江戸川と呼ばれ、江戸の上水道や水運に使われた。
その神田川と、江戸幕府が保護した護国寺の参道が出会うのが江戸川橋である。


城下町に名店が多いのと同様、江戸の要所にも舌の越えた人々が代々住み着いている印象がある。
そのような顧客が付くこのお店は、とても高いレベルの天麩羅を提供する。




お昼のメニューで一番お手軽な掻き揚げ天丼だが、海老も烏賊もよいものを使う。
雨のf降る寒い暮れの日の昼食として、心底暖まるものであった。


ご馳走様でした。


いまい  越後湯沢

2012-12-29 23:00:56 | 日本料理
ご主人一人でまわしてるお店なので、注文してから多少時間がかかることもあるようだ。


そういう時には、タコ刺しをたのめば、鮮度抜群の一皿がささっと出てくる。


モツ煮込みは、こういうお店では定番。
これは熱燗を要求するだろう。


猪鍋の暖かさ、脂身の甘味も残る浅めのタイミングで食べるのが旨い。


何本もの熱燗の後に、雑炊に移行した。
出汁が効いて、お腹がほっとした。


伊藤グリル  神戸元町

2012-12-26 22:04:18 | 洋食
相楽園の「秋の夕べ庭園」を見たところ、12月もごく初めだというのに身体が芯から冷え切っていた。
これは南京町のこってりとした料理を食べるのに絶好のコンディションだと思う。


運よく炭火焼きのロースターの前の席に座ることができた。分厚い鋳鉄の鉄板が、嫌でも目に入る。
カテラリーはクラシックで、肉厚なものが並んだ。




前菜の生ハムと柿。生ハムを合わせるには、いちじくよりも芳醇な柿の味わいが素晴らしいワンポイントである。


芳醇な野菜が煮込まれたスープ。口当たりが凄く柔らかい。


メインにはタンシチュー。
これは、気絶しそうに美味だった。肉はとても柔らかく煮込まれているのに、すね肉のようにモロモロと崩れそうにはならない。少しぷりっと感触がタン全体にある。
それでいて、旨みの豊かさといったら、堪らない。


デザートも洗練された味わいであった。

南京町の一画で歴史を重ねる貴重なお店だと思う。



相楽園  神戸元町

2012-12-25 23:14:21 | 古民家、庭園
相楽園は、元神戸市長小寺謙吉氏の先代が、明治初期から作庭に着手した庭である。宗教色が薄いので気軽に触れられる庭であるが、神戸の中心地である元町にこれ程の規模の日本庭園が残されているのは、実に素晴らしいことだと思う。


紅葉が何とか跡を留める時期に訪れる事ができた。
大きな池を中心にする回遊式庭園である。
池の向こうに茶室の浣心亭をのぞむ。


池のほとりに船屋形が置かれている。これは、姫路藩主が水路での遊覧用に造らせた川御座船の御座部分だけを設置したものである。
漆塗りの非常に豪華な造りである。






船屋形の近くの園路沿いには凝った石組などもあり、庭としての完成度が高い。


この日の夜には「にわのあかり」という企画で、ろうそく等も使った庭のライトアップが行われた。




この庭では、炭火でおもちを焼くことができるコーナーが設置されていて、夜の姿をちゃんと楽しむことができる。
庭の中に多数の火がついたろうそくが持ち込まれる、というのも画期的に感じられる。


それにしても、三脚等を使わないで、手持ち状態で夜の庭園を撮影するのは難しい。


郷土食堂  信州中野

2012-12-24 23:38:14 | 蕎麦
信州中野を訪ねた時は、毎回のようにこちら、ごうど(郷土と書いてゴウドと読む)食堂に寄る。
昼時を少しはずして、お客は少なかった。


毎回、美味しくて堪らない野沢菜。豊富に出てくる。


蕎麦は田舎っぽい、平打ち。柔らかめ。
それが出汁ばっちりの薄めの汁に合わせると最高。


こちらは、富倉蕎麦の伝統を引き継ぎ、おやまぼくちのつなぎを使うようだ。
蕎麦の姿は荒々しくも繊細。
雪国らしい、感覚のように思うが、そういう問題ではないのかもしれない。

ささっと蕎麦を食べ終わった後でも、お客が次々入って来た。
やはり、人気は衰えないようだ。


圭助  神楽坂

2012-12-23 22:31:26 | 日本料理
仙台産の牛タンのお店である。
神楽坂と大久保通りの交差点すぐ、交差点の角のお店の隣にあり大久保通りに面している。


ランチの牛タン炭火焼き定食を注文した。
タンの肉質は非常に良好で、旨みが強い。
唐辛子の味噌漬けは、少しずつタンに添えて食べるのがよいようだ。




麦飯にとろろが付く定食である。
大きな丼に一杯の麦飯だが、お昼に食べてしまっても、不思議に眠くならない。とろろとの相性も抜群である。


高麗家住宅  埼玉県日高市

2012-12-20 23:31:51 | 古民家、庭園
高麗神社の神官の住宅であり、相当に格の高い住宅であるからこそ今日まで残されたようだ。


建築は江戸初期(17世紀中ごろ)と推定されるが、それを裏付ける資料は存在しない。


かろうじて残った紅葉とともに撮影することができた。
住宅の背後にある傾斜地の森林も、この住宅の重要な要素であるのだろう。
様々な荒々しい自然の力を真っ向から受けないように工夫された装置だろうと思われる。


細部を見れば、この住宅を形作る手の技の跡がありありと伺われる。


天ぷら 三定  浅草橋

2012-12-18 23:53:03 | 日本料理
冬型の気圧配置が一時的に崩れた日なのだが、東京は朝から小雨が降り太陽は顔をのぞかせない。
気温はそれ程低くはないのだが、街全体が冷え切ったままの状態であった。


そんな日には、身体を暖める天丼がどうしても食べたくなる。
三定は店名からして浅草の名店の暖簾分けかと思われるが、浅草橋の駅近くに昭和そのものの姿のお店がある。


昼時を大分過ぎた時間帯に入店し、ミニかき揚げ丼を注文した。
店内に他に客はなく、厨房からはすぐにかき揚げを2度揚げする油鍋の音が聞こえて来た。


味付けは下町風に濃いめではあるが、カリッと揚がったかき揚げを丼ぶりに蓋をして、一瞬蒸らす。その呼吸も見事だった。
タネは大き目、ご飯は少なめのミニ丼を考案するとは、やはり昔からの粋な文化が息づいていると思った。



倚松庵  神戸市魚崎

2012-12-17 23:08:08 | 古民家、庭園
谷崎潤一郎は、まさしく江戸の生まれだが大震災以降関西を愛し、阪神地区でも20軒にあまる家を移り住んだ。


この倚松庵は、本来は魚崎駅に近い150メートル程離れた場所にあったそうだが、平成の始めに移築された。


外見は和風なのだが、建具や家具に工夫が凝らされている。
基本を和風にした家でではあるが、食堂周りは洋風(懐かしい表現)でかためた。
窓は縦長で、上下に動くアンダーソン窓に統一されている。
谷崎の立場ではこの家は借家なのだが、書斎の増築だけではなく相当な手をかけたのではないかと想像される。


二階の東南の八畳。
松子夫人を始めとする女性たちはここで朝遅くまで寝床で過ごしたのではないだろうか。


谷崎本人は、朝は早めに起きて仕事をしていたようだ。
書斎は、二階の西側の四畳半。




窓の姿が、昭和10年代の住宅としては、特殊だったのではないかと思う。


自分の心に適った本当に芯のある作家の住居を見に行くというのは、期待もあるががっかりしてしまうリスクもある。作家は言葉の世界に活きているので、実際の生活の痕跡にまでは責任を負えないのは当然だろう。
谷崎の場合は、言葉の世界に淫した作家のあまりに現実的な心地よさへの追及が断固として見られ、この道に関しても見事な先覚者として尊敬の意を感じざるを得なかった。


ヤボックロ  神戸元町

2012-12-16 22:49:04 | エスニック料理
元町の駅の海側に南京町が位置する。その一画に、ベトナム料理屋さんを見つけた。


料理人もマネージャーも日本人のようだが、揚げ春巻きの歯触りはカリカリで、生ビールのつまみとしても最高である。


小さめな丼ぶりに、牛肉の出汁がよく効いた米粉の麺のフォー。
これは、何種類もおかわりしたくなる。


ご馳走様でした。