この日は夕方近くなって、本当に雲ひとつなく晴れ上がった。抜けるような空の色が印象的だった。
太陽が沈む時に、東西のどの位置に沈むのか、また時刻によって刻一刻と変わるが地平線からどれだけの高さにあるのか、それぞれの条件がたまたま合致しないと、金閣寺の表に張られた金箔に光が照り返す姿は見られないのだろうと思う。
たまたま、その条件に合う時に金閣寺を訪れたのだが、果たしてそれが足利義満が仕組んだ中のことなのか、判断が難しい。
この時点では夕日は金閣の足元までしっかりと照らし、陽の光を反射する様は、まるで丸の内のガラスと鉄のビルディングの夕景のようだ。このようなギラギラした姿を14世紀の人々が良しとしたかは、甚だ疑問である。しかし、今日の目で見れば、この輝きは何にも代えがたいように思う。
池を取り巻く石組も、実に力があるとは思ったのだが、ともかく見学する道の人の波が凄い。気持ちを落ち着ける余裕は全くなかった。
庭師さんが一日の仕事を終えて、静かに船を出す。できれば、この辺りまで園路を公開していただければ、どんなに庭がよく見られるかと想う。
金閣の池には、それらしいシンボリックな石がたくさん展開している。
短時間の内に、夕陽が当たる範囲が変化してきた。
一年のなかで、この日この時でなければ出会えない、しばしの時だったのだろう。
太陽が沈む時に、東西のどの位置に沈むのか、また時刻によって刻一刻と変わるが地平線からどれだけの高さにあるのか、それぞれの条件がたまたま合致しないと、金閣寺の表に張られた金箔に光が照り返す姿は見られないのだろうと思う。
たまたま、その条件に合う時に金閣寺を訪れたのだが、果たしてそれが足利義満が仕組んだ中のことなのか、判断が難しい。
この時点では夕日は金閣の足元までしっかりと照らし、陽の光を反射する様は、まるで丸の内のガラスと鉄のビルディングの夕景のようだ。このようなギラギラした姿を14世紀の人々が良しとしたかは、甚だ疑問である。しかし、今日の目で見れば、この輝きは何にも代えがたいように思う。
池を取り巻く石組も、実に力があるとは思ったのだが、ともかく見学する道の人の波が凄い。気持ちを落ち着ける余裕は全くなかった。
庭師さんが一日の仕事を終えて、静かに船を出す。できれば、この辺りまで園路を公開していただければ、どんなに庭がよく見られるかと想う。
金閣の池には、それらしいシンボリックな石がたくさん展開している。
短時間の内に、夕陽が当たる範囲が変化してきた。
一年のなかで、この日この時でなければ出会えない、しばしの時だったのだろう。