心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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笑うということ

2016年06月22日 | ほんのすこし
最近、何人かの方と「笑う」ことについてチラッと話したことがあります。
重なったので、頭に残っていました。今、「徹子の部屋」を見ていたら、女優の古村比呂さんが出ていました。そのお話の中で息子さん三人の子育てをしながら仕事を続けているときの話になり、あるとき彼女が笑ったら息子さんがお母さんが笑った姿を喜んだという出来事があったということでした。そう言われて、自分はこれまで笑うことから遠のいてきたのだと知り、それから笑うようになったという。

笑うってすごいなと思います。笑いは世界を救う! とまで思います。
同じ事を話すにしても笑いながら話すのと、深刻な顔で話すのとでは全然印象が違います。
わたしもよく母とあれこれ話すのですが、内容が重いのに母は笑いを交えて話します。ついつい私も笑いながらそういえばそんなこともあったねぇ、とそれで済ませてしまいます。母はそれでいいんだよ、と言います。
笑ってやりすごす、それが気持ちよく明日を迎えることができるからだと。

つい先日も病院で友人ご夫婦と会いました。いつも明るくて元気な奥様がご主人の付き添いで来ていました。
久しぶりで立ち話を少ししましたが、そのときに感じたのは、重い症状であったり不安であったりする状態でも決して自分から落ち込まないという気持ちが満面に表れているということでした。わたしが想像する以上に辛いものが沢山あると思うのですが、奥様は自分が明るく元気に動き回っていることがご主人に元気を与えると、ふたりで落ち込むよりも笑ってすごすほうがずっといい、そう話していました。
笑うことで辛さを乗り越えようと、頑張っている後ろ姿、寄り添うようにふたりで歩く姿に心の中でエールを送りました。

昨日、いつもの薬局に母の薬を受け取りに行きました。
白髪の女性の薬剤師さんが対応してくれました。長年受け取りに行くので、すっかりわたしの顔も知られているみたいで、その方はいつもわたしが行くと「あぁ、娘さんね」と言います。今回もそう言いながら、お薬手帳を出し、貼り付けて薬の処方の仕方を説明しました。説明が終わって袋を覗いたら、中身がなんにもありません。
その方、眼鏡をあげて
「あらあ、年を取るとこんなこともあるのね!」と言うので、「そんなことありませんよ。わたしだって・・・」と言いながら笑いました。その方も笑って
「笑うしかないわねぇ」とふたりで何も入っていない袋を見て笑いました。すぐに中身を入れてくれましたが、なんとなく笑ったことで空気が柔らかくなった気がしました。そしてその方が続けて
「あなたがいて良かったわね、お母さん。お父さんが亡くなってからずっとお世話してきたでしょ」と言いました。思いがけない言葉にちょっと言葉が詰まってしまいました。
ニコッと笑っておいとましましたが、わたしたちの姿を見ている人がここにもいたんだなとちょっと不思議な気持ちで帰りました。

笑い合うって気持ちが緩んでいいなと思ったひとときでした。

母のところに行くと必ず笑います。テレビを見ていても昔のことを話していても、母が笑っている姿を見るとほっとします。痛みで苦しむ姿を見ると辛くなりますが、わたしにはその痛みをわかってあげることができないのです。ただ痛かったことや出来なかったことを一生懸命話す母の言葉に耳を傾ける、それだけに徹しています。話すだけでちょっと気持ちが楽になってほしいと思っています。

母が笑う姿をずっとこの目で見ることが出来れば・・・ そう思いつつ今日も行ってきます♪

空き地に咲く

2016年06月22日 | 朝のことば&つぶやき
しばらく見ていなかった空き地。
白い小さな花が咲き乱れていた。たくさん咲いていると小さい花も綺麗だ。
だれもかまわなかったのだろう。ずんずんと伸びて周りにも手を伸ばして広がっていったんだね。

土地の脇にロープが張られていた。
L字型に張られているロープは、これからここに立つであろう家の範囲なのだろう。
今にこの花たちも刈られるのだなと思うと、今、思い切り伸びている姿が潔くも思える。

今年の花の命。
根は息づいているが、それも新しい家を建てるとなると根こそぎ刈られてしまうのだろう。

でも、花からこぼれたものがどこかでまた息づく。
名前も知らない生命力に溢れた雑草。いや、専門的には名前がついているのだろうけど。
大事に花壇やプランターで育てられる花とは一線を画して、自分の力で生き延びるその力に驚きを感じる。
誰も水などやらない。自然の雨だけだ。

この世界で一番強いのは、ある意味植物なのではないかとふと思ってしまった。

※※※

そろそろ8月の墓地の掃除のことも考えなくては。毎回行くたびに思う。この精力的な雑草たちを。
そして母を思う。
雑草の一本すら抜く力が出なくなったことに悲しみを覚えているだろうと。
それでも痛みを覚えることを知りながらやらずにいられない母。
最近は、できないことだらけなのでわたしが行くと次々にやってもらうことを言う。それも遠慮がちに。歌の台詞じゃないけど、♪ 誰に遠慮がいるものか~ ♪、子供に甘えてちょうだいな。

※※※

道の反対側では

2016年06月22日 | ほんのすこし
色づかないなと気になっていた紫陽花ですが、道の反対側にある紫陽花はこんなに色づいていました。



地蔵さまがあるこっち側はまだこんなふうです。







確かに赤や青の色が見えてはいますが、反対側の色とはずいぶん違います。反対側はずいぶん小ぶりなのですが、もうすっかり紫陽花色って感じになっています。
年数からいえば色づいていない方が年数が多いのでしょうけど、これは日当たりの具合で違いがあるのでしょうか。
少しずつ色づくということでは楽しみを味わえる期間が長いのもまたいいものですが、一体いつになったら全体が色づくのかと不思議に思っています。雨ばかりが続くと歩くのもままならないのですが、そういうことが続いてしばらくぶりに歩いてみたらすっかり変わっていたってことにならないかと、ちょっと心配。

先回、紹介した駐輪場にあった看板に一つ。



取り締まる方もあれやこれやと対策に頭をひねっているようです。