心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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料理道具を見ると思いだすことがある

2015年11月24日 | ほんのすこし
包丁で千切りするのにずっと慣れてきましたが、4年ほど前に見つけたキャベツ千切り用の特大スライサーなるものを生協の宅配で発見してからは、キャベツのみならず他の野菜もそれを使っていました。あの頃はワンディシェフの店のお手伝いをしていましたので、そのスライサーの能力にはとても助かっていました。

今はほとんど使うことがなくなってしまいました。あんな大量のキャベツを使ったり食べたりすることがなくなってしまったからです。それでも小型のスライサーを買ってきて少量の野菜を切るのには便利だなあと思っています。
以前包丁で切っていたときは、どうやったら細く切れるか? ということで練習したりもしましたが、スライサーという便利な物があるとそれに頼ってばかり。おかげですっかり包丁使いは下手っぴぃになっています(いや、こういう表現をすると前はそれなりに包丁使いが上手かったように感じられてしまうが)。

もっと違うフードプロセッサーなるものもあったのですが、それは使いこなせないまま処分してしまいました。たしかフリマに出したような。
道具も様々で、これはと思ったものは長く使えますが、見た目や便利さを歌い文句にして飛びついても使い切れなかったりで全然手をつけずに物置きにしまいこんでしまったものもあります。
そうそう、道具といえば。

2012年の夏、母が腸の手術を終え退院してくると入れ換わるように弟が入院しました。それまで弟はワンディシェフの店でランチを提供したりしていましたので、弟の入院と共にわたしが彼の牛筋カレーのレシピを聞いて作りました。
牛筋を柔らかくするために圧力なべが重宝します。わたしの圧力なべを彼に貸してずっとそのままでした。貸したときに使い方を教えたのですが、どうも説明が十分でなかったようで、牛筋の量が多すぎるからと思った弟は圧力なべを二回に分けて使っていたのでした。二回にわけて使うというのは時間的にロスが多いのですが、弟はわたしが言った通り順守していました。お見舞いに行ったときに牛筋がなべの上までいかなければ多くてもかまわないのだよと告げると、驚いた顔をしていたのを思い出します。

なんというか、真面目すぎる弟でした。
その弟が入院中、わたしに頼んだことは料理の本でした。いつも何かしら料理の本を持って行くと喜んでいました。ノートには何やら書き込みをしていて、チラッと見たらお皿に盛った料理の絵だったり食材や道具の名前が書いてありました。
料理のことばかり考えていたようです。退院したらすぐにでも料理したいと思っていたようです。
でも弟は胃カメラを飲むたび(8回ぐらいも)食事はだめと言われ、いつもがっかりしていました。
「今日も食べられないんだよ」
とやせ細った体で言う姿に、どれだけ苦しい思いをしているのかと思ったものです。母に教えると悲しそうな顔で
「料理を見るのも食べるのも好きなのに止められるなんてねぇ」
と繰り返すのでした。

ちっとも退院許可が下りない弟は業を煮やして先生に直談判し、無理やり?(と私には思えました)退院してしまいました。無理しないで静養する、という但し書き付きですが。すでにお盆近くでした。暑さも最高潮。うだる暑さの中、弟は帰ってくると一日我慢して家にいましたが、次の日には運転して外出していました。先生の言葉なんてちっとも聞いていない弟でした。
戻ってきた弟が車から出してきたのは、新品の料理道具。包丁もありました。レードルもありました。銀色のピカピカのザルとボールやらあれこれ。そのほか沢山の調味料。
一体何をするつもりだったのか。

弟はワンディシェフの店で自分が仕事をする以外はあまり他の人の時に行かなかったのですが、退院してからは毎日お店に顔を出しているようでした。まるで時間を惜しむかのように。
母が
「そんなに行かなくてもいいんじゃないか」
というのを聞いても止めませんでした。
彼にとって最後に自分がいた証を確かめたかったのでしょう。痩せこけて目をぎょろりとして、知らない人が見たらびっくりするような様子。そんな弟をワンディシェフの店のシェフもお客様も優しく受け入れてくれました。皆さん内心では大丈夫かしらと思っていたかもしれません。それでも何も触れずに普段通りの会話をしてくれました。

退院してから二週間、お盆過ぎの涼しさが何もなく暑さがずっと続いていました。苦しかったでしょう。体力もなくなっていたでしょう。それでも入院したままではなく欲しかった料理道具を買い込んで、さあまた頑張るぞと思っていたでしょう。でも私の中では弟がワンディシェフの店のお金の残務整理をしていたということがわかったときに彼は自分が長くないということを知っていた気がするのです。

物置きに行くとあのとき弟が買い込んだ道具が入った箱があります。どうやって使うのか何に使うつもりだったのか、母はまだ処分できないようです。わたしも手をかける気にはなれません。
弟よ、お前はあれを使ってどんな料理をしようと思っていたの?
ラーメンあまり好きじゃなかった母さんが、ラーメンもいいもんだなと言って食べるようになったよ。
食べるたびにお前の作るラーメンをもっと食べてあげればよかったと言ってるよ。
わたしだってお前の作るもの、もっと食べたかったよ。

もう牛筋カレーは作れないよ。