心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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『生きるぼくら』

2015年11月28日 | ほんのすこし
『生きるぼくら』原田マハ著。
表紙カバーを見た瞬間、手に取っていました。大好きな東山魁夷の絵がカバーになっているなんて!
中身も見ないで買ってしまった? いえいえ原田マハさんの本はこれまでも『楽園のカンヴァス』や『ジヴェルニーの食卓』など読んでいましたので、今度はどんな絵のお話? と興味津々。

そんな気分で手に取ったわたしに彼女がしかけたフェイント。
今度は農業のお話か? なんで? といった疑問符のまま読み始めました。引きこもりだった青年〈人生〉(この名前、最初はなかなか移入できなくて困りました)が、外に出て行き、自分を見直すきっかけが祖母のやってきた自然の米作りだったが、そこに行きつくまでにもいくつか伏線があったり。色々な方との出会いがあったり。登場人物の豊かな描写とまるでドラマを目の前で見ているような感覚は、マハさんの絵画的な魅せ方が文章を通して見えてくる、そんな気がしました。

人物描写って難しいなって思います。どのくらい想像の世界で生き生きと動かせるか、文章表現の巧みさにもよるし、何よりもその人たちに「生きてる」感を与えなくてはならないと感じます。マハさんは最近何度かテレビ番組でキュレーターとしての経験を積んだ作家として解説者として登壇しています。あの作家さんが出ている! って思わず目を皿のようにして彼女の姿を追っていました。はきはきとして淀みなくどんな質問にもドンピシャと答える姿にほれぼれしました。

肝心のこの本ですが、人生が高校時代のいじめから引きこもり状態になって何年もの間、母子家庭だった母が一心不乱で働いてなんとか過ごしていましたが、ある日その母が人生を置いて出ていきます。そこから彼の外へ出ることが始まります。父方の祖母が住む蓼科(たてしな)にようやくたどり着くのですが、そこで触れ合う人々は〈人生〉の心をゆっくりと溶かしていきます。祖母のマーサ、食堂の志乃さんたちの話す言葉のひとつひとつに人生を生きるものへのエールが込められているように思えてきます。
こうしてみると〈人生〉が日々を過ごす中でいただく言葉や自然の豊かさは、それ自体がわたしたちが受け取る人生の醍醐味ではないのかと思えてきます。

原田マハさんが究極のお米作りを題材に選んだというのはこういうことかと読み進むにつれてわかるような気がします。
米作りの場面の中で特に印象的だったのが、米の花が咲く瞬間の描写です。花が咲くのはほんの少しの時間で(30分とか1時間とか)、まるで田んぼが白いふわっとしたものに覆われるという。そのときにはそっとしておくのだとか。まぁそれを知らなかった人生たちが、田んぼに入るのですが。
稲の生長の様子は見事でした。見事なはずです。マハさんは実際に自然農法の体験をしているのです。やはり経験に勝るものはないなと感心しました。

蓼科の静謐な自然が目の前に開けていくような気がしました。湖はまさしく東山魁夷の絵のごとくで、マハさんの得意とするところの絵画的な描写が生き生きと出ていました。現実に見なくても読んでいる者が見ている錯覚に陥るような感覚、それをわたしはマハさんの文章に感じます。

途中から登場する若者がいるのですが、現代っ子という感じで会話に軽い印象を与えているのでしょうけど、最初はここまで崩さなくても、と思ったくらいです。でも後で変わって来る若者の変化が強く感じるためには必要だったのでしょうね。「まじっすか~」かなりくだけた口調の若者が登場しますが、就活していてこの口調が面接で出ないものかと心配になったくらいです(笑)。
そうそう、タイトルの「生きるぼくら」ですが、ちゃんと中に出てきます。最初は会話の中に。そして後にとっておきの場面で重要な言葉として使われていきます。マハさん、やっぱりいいです。

休み休みの読書でしたが、久しぶりに小説を楽しみました♪
原田マハさん、素敵な物語をありがとうございました。読み進めながら自分はまだまだやるべきことをやっていないなと思いました。後半は泣いてばかりでした(笑)