心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

泥の中でも

2015年11月11日 | ほんのすこし
このところ落ち葉ばかりの話題ですが。
好きなことなので。

今日は、落ち葉がこのところの雨でできた水たまりの泥にあって。それでも真っ赤な色がみずみずしかったので、思わずパチリ。こんな場面を写すなんて今までなかったことだけど、最近はこんなことに興味が向いています。
このまま朽ちていくのだろうなあ……



今日も沢山落ちていました。



こんな姿を見ることが出来るのも後少しかもしれません。



秋になっても青々としているものもあれば、さよならするものもある。



葉っぱであれ、なんであれ、それが人間であっても、生きざまの最後はそれぞれ違い、それぞれが全うした命の最後。でも、これで良かったのだと自分に言い聞かせることが出来るのは人間だけだ。人間は自分の生きざまを振り返ることが出来る。葉っぱにはそれはない。ただただ自然に任せるのみ。

葉っぱの哀しさだと言ってしまえば終わりだけど、それは最後に意味を持たせたがる人間の立ち位置から見たにすぎない。葉っぱの自然体こそが見習うべきことなのだという考えもあるのかもしれない。とかく物事に意味を持たせたがるのは良くないのかもしれないね。
自然の姿に勝るものはないのかも……

全員で100kgのダイエットに挑戦という番組を見ながら、彼女や彼が運動している姿を見て自分には無理だ無理だと言い続けているわたし。目の前に昇降台があるのにそれすらやろうとしていない……
あ~あ、食欲の秋だなあ。






まるで花壇のよう

2015年11月11日 | ほんのすこし
母の庭、すっかり葉が落ちてしまいました。この数日の雨で。
雨が降る前に冬囲いをしてしまいましたので、ホッとしています。今年はどういうわけか、モミジがいつもと色変わりをし、緑の葉で終わるはずなのに赤や黄色、はては一枚の葉の中に黄色と赤が混在しているといった状態で、それが徐々に全体が赤みを帯びていく感じで、毎日見るのが楽しみな色変わりでした。
もう一本あるモミジは最初から全体が赤になって、それはすでに葉が落ちていました。もう一本残ったモミジがいつもは緑で終わっていたのですが、今年は一体どうしちゃったのかしらねと母と話しましたが、自然は正直だということに結論が落ち着きました♪

どうなっちゃったのかしらねと言いながら、嬉しい誤算だなと思っていたのです。だって、あんなに綺麗な色のグラデーション、差し色の赤、見ることがなかったのですから。秋に黄色と赤って素敵なコラボだなあ。
通りを見ても銀杏並木の下にドウダンツツジの赤が続いていたりすると、すごく綺麗です。秋だなあって思います。
その銀杏もドウダンツツジもだんだん色がさめたり、黄色い葉が落ちたり、もう秋は通り過ぎていきそうです。

すっかり葉が落ちたモミジですが、最後の最後まで楽しませてくれます。
落ちた先がまるで花壇のようになっています。



写し方で側溝とその脇の緑の葉の上に落ちたモミジが真っ赤な花を咲かせているように見えました。




今日は天気が良いので、このモミジたちも乾いていくのでしょう。後はまとめてゴミ袋に入るか、入る前にカサカサと風に吹かれてしまうか……
秋になっても、ほとんどどこにも行かず毎日訪れる先は決まっているわたしですが、その身近な場所で秋を探すこともまた楽しいかなと思っています。

今日のわたしのお勧め映画『グッド・ライ~いちばん優しい嘘~』
ラストは予想していなかったので、切なくなりましたが、映画のタイトルの意味が(途中、伏線でこの言葉が出てくるのですが)わかりました。暖かい涙に包まれます。

最近手に入れたCD『Je me souviens/Lara Fabian』、フィギュアスケートのエキシビジョンでアイススケートの方が演技で使用していた曲が良かったので、その歌手を調べて購入したのですが、肝心のその曲が入っていなかったというオチがついています(笑)しかも輸入盤を購入してしまい、歌詞も解説もなし。フランス語はちんぷんかんぷん、でも雰囲気はばっちり伝わってきます(笑)。秋の夜長に切ない気分を。