心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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出番待ち

2013年08月04日 | ほんのすこし
9月にある地元の神明社祭典。地元でも年間行事の中で重要な位置を占めている。
それが後1カ月ちょっとでやってくる。そろそろ準備が始まるのかな?

歩いている途中にあるこちらのものは その祭りで使用されるその町内の山車。使わないときはこんな状態で保存されている。他の町内の山車は結構一か所にまとまって保存されているけど ここは単独で保存しているようだ。祭りが近づいてくると毎晩お囃子の練習が響く。近くの町内会館みたいなところで練習している。その音が風に乗って聞こえてくる。もうそろそろその時期が近付いている。お囃子の音を聞くと お祭りがあるんだなぁと思う。

子どもたちがいなくなり、もうほとんどお祭りを見に行くなんてことなくなった。勇壮な山車の様子とかもそんなに見たいと思わなくなった。人ごみに出たくないという気持ちが強くなったといえばいいのか。つまりは面倒になったということだろう。

昨日 母のところで夕方 近所の方がこれからでかけるところだという。「青森のねぷたを見に行く」と。自分はもう何度も見ているけど だんながまだ本物を見たことないっていうから 連れて行こうと思って と話していた。その方は あちこちに行っている。運転するのが苦にならないのだろうか。わたしはどこへ行くにも まず運転は大丈夫か?と思ってしまう。初めてのところだと運転が超不安で そのものなんてそっちのけというか 落ち着けないというか・・・だから遠出をするのはかなり難しい。
その点 母は一度行けばあとは行かなくてもいいタイプらしく、あそこに行きたい ここに行ってみたいということは言わないので 助かっている。でも内心は 言いたいのを我慢しているのかもしれない。



さて 話は戻って、年に一度の9月の出番。たった二日のためにここにこの山車はある。その二日の凝縮された役目やいかに。毎日が出番のもの 出番の人、年に一度 あるいは一生に一度 その出番はそのものによって様々だ。そしてそれぞれが出番待ちの間 その役目をしっかり終えることができるよう準備をしている。出番は一瞬かもしれない。その一瞬にかける思いが強ければ強いほど 伝わるものも大きい。スポーツを見ていると特にそう思う。今開催されているバルセロナ水泳競技も然り。競技時間は短いけど、そこに行きつくまで選手たちがしのいできた時間の尊さに思いが飛ぶ。
出番待ちこそ 大事な時間なのだ。
たとえほんの数分だろうと そこに自分はいる。
出番待ちで溜めこんだ自分というものの凝縮された姿が そこにいる。

この山車も磨かれて わたしたちの前に姿を見せるときがいよいよ近くなった。