心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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銭湯の煙突

2013年08月01日 | ほんのすこし
銭湯です。町に一件しかない銭湯「きくの湯」(漢字忘れました)さん。火事で焼けてしまったのですが、ファンの惜しむ声に立て直しをして 再開営業しています。経営者はご高齢のため もう無理かなと火事のあとは 経営再開を一度断念されたらしいのですが。わたしは一度も利用したことはありませんが、ウォーキングしていると この煙突に毎回目が行きます。このときは6時前に通りかかったのですが、すでに煙突からは煙がもくもくと。
銭湯の裏では たくさんの木が重ねられています。これで焚いているんだろうなと思いつつ 横目にして歩きます。

高い高い煙突 もくもく上がる煙
この銭湯を利用される方にとっては 忘れがたい光景なのかもしれません。

煙突のレンガ色がとても印象的です。絵本の中にある煙突みたいです。
そこだけ この街ではない どこか遠くの外国にあるような・・・そんな気分をつかの間味わいながら見ています。

銭湯といえば 子どもの頃は 近くの銭湯に通いました。銭湯の中は男湯と女湯に分かれているのですが、脱衣所ではなく湯殿のある方に行き来できるドアがあって(多分 従業員の方が清掃しやすいように作ってあったのでしょう) 母とわたしと弟の三人で行ったときにはよく母が途中で
「○一~」と呼んでいました。すると弟は そのドアを開けて 女湯の方に入ってきて母に体をこすってもらっていました。何歳まで それを繰り返したのでしょうか。
ある日 いつものように母が弟を呼び 同じように体を洗ってもらった後、弟が母に言ったそうです。
「母さん おれのことあと呼ばなくていいから。自分でこするから。」と。
それを聞いて 母は(あぁ 全然気付かなかった。ずっと恥ずかしいと思っていたんだろうな)と思ったそうです。
弟は もっと前からもう自分ひとりで出来るのに・・・と思っていたのでしょう。でも なんとなく母に言いだせずにいたというところが弟らしいといえば そう思います。せっかく母親が呼んでいるのにむげにも出来ず かといって他の友達もいる中で自分だけが女湯の方に行くというのも・・・
小学校の中学年頃のことだったのではないかと想像しています。
弟の話をするときに よく母はそのことを思い出すようで、これまで何回か話していました。

来月は 弟が亡くなって一年を迎えます。なんて時の経つのは早いのでしょうか。
亡くなってからも色々なことが次々に起こりました。わたし自身の過去との決別もありました。それなのになぜか いつもと変わらぬ生活を続けています。見た目は変わらぬ変化のない日々。ココロの中身はどうでしょうか。
銭湯の煙突を見ながら 頭の中でめまぐるしく過去から現在へと思考が移ろいます。
今 こうして元気に歩いている それだけで十分じゃない。
それだけでも いいんだと 自分に言い聞かせて前を向くしかないんだなと思っているところです。