何しろここはこの作品で1cmのタイルに慣れる事が大事。ぺきぺきから1cmタイルに
なる人達はここからが全く違う方向になる事が多い。
そもそもぺきぺきが上手くなったから・・・・とかもっとモザイクってものを本格的に
やってみたい・・・とか、何しろぺきぺきでは物足りないから・・・何らかの理由がある
がしかし、理由の無い状況で始めると余りに時間が掛かる事や硬さの違いや、ぺきぺきでの自信が崩れて行く事が大いにある。
だから、1作目は1cmタイルを色々な形を切ってタイルの硬さや小ささに慣れる事。
この時におっsanのように選択した題材が人体と言うそっくりに作る・・・を選んだ人は
その下絵がおっsanの腕でも出来るであろうと思われる大きさに拡大しないと作れない。
何故なら似ていない・・・ならまだしも作れない・・・切れないになってしまうから。
そこで拡大するのであるけれど、まさかこんなに大きくなければ出来ないの?
がほとんどの人の感想なんだけれど、ここはある程度ブログを読んで下さっている人には
ご理解されて来た。そしてそれに時間を掛けこつこつやっていると、いつの間にか慣れ
これだけ出来るようになってます・・・・って代表作品になりつつあるのがおっsan。
ではオ-ドリ-は?と言うと、もうすでに世界観があってオリジナル性と言う点では
ほぼ確立している。がしかし、今度はその下絵の精度を上げて行かないと、
童話の挿絵のようで、このままでは例え1cmのタイルに慣れて上手くなったとしても
それを回りの評価として判りづらくては、この先続けるにあたって気持ちの維持が
難しくなる・・・なんて事にはさせたくは無い。何故なら私もいつか弟子ってなる事は出来ますか?と名乗られたからである・・・・本気なの?良い事なんて俺が売れるまで
無いんだよ・・・と湯婆婆やったのに、はい・・・と言うのだから、一応説明した。
条件は2つ。一つはモザイクを一生辞めない事。1つは日高氏に認めて貰う事。
奴に出来ない・・・と思わせる事で対等で構わない・・・とね。
一緒にやって行く・・・とは、仲間が腕を認め合う必要がある。しかしそこが本当に認められた評価で無いと、自信にはならないし増して先生である俺の評価では、信ぴょう性が
問われる。そこで俺が育て日高氏に見せられると判断した時に、評価してもらう・・・
弟子にして良いか?ってね・・・・
奴が良いよ・・・と言う事は、奴は仕事として付き合って行く上で、目線は一緒だし
必殺のドラマと同じでいつか分け前も同じでも構わないんだな・・・と言ったも同じ。
奴だってそうそう良いよ・・・とは言えないだろう・・・・だから厳しい。
そう言う点では、さくらにしろかぐやにしろ、以前いたもう1人にしろ3人は日高氏が
認めた凄腕。俺自身も物凄く自信になった。
弟子・・・そう名乗ってはいないが、次の作品次第ではキウイは日高氏に見せても良い
腕になったと思っている。そんな話もした。
それでもやるのか?大変だよ・・・でもモザイクは絶対辞めない・・・って言うのだから
じゃ上手くする・・・それのみの追求の教え方をしなければならない・・・
じゃ何時間でもそこでやってろ・・・俺も作品作りするから。俺が作っているのを見るも
良し、何時間そこでやるも良し、好きにしろ。
俺も遠慮しないし、好きな時に来て好きなようにしろと伝えた。まずはモザイク漬けに
なる事。今日はそんな中10時間近くやって行った。ヘトヘトになってた・・・・
そんな中、キウイが次回作の下絵を持って来た。オ-ドリ-も見ていた。
キウイに確認したからやって良いよ・・・と言うと喜んで帰った。
それを見ての感想は、下絵が上手くなったなぁ・・・だけど、オ-ドリ-もそう思った。
ここが大事。評価とは、モザイクしていようがいまいが、それぞれであっても
こうして俺もオ-ドリ-もキウイの下絵を上手い・・・と評価した。好み以前の問題。
この下絵の時点で上手い・・・と言うのなら、最近のキウイの作品の腕からしたら
想像は付く。こりゃハイグレ-ドな作品になるわなってね。
それを例に話を始めた。これから続けるにあたって評価って大事になる。この国では
美術芸術は美術館、アニメでは美術館には入れない・・・と評価は低い。
宮崎さんが上野の美術館にあるのならまだしも、オ-ドリ-の世界観はそのままで、
評価を上げていく教え方をして行くにあたって、まずは同じパ-ツを何個切っても
同じ様に切れる・・・そう言う精度を上げていく・・・その追求をして行く・・と。
何しろオ-ドリ-の世界観は変えたく無いから。精度で勝負。と・・・
そうすれば必ず評価はもっと上がるはず。あぁ可愛い・・・ではいつまで経っても評価が
低過ぎる・・・では折角の努力が報われないのでは教える側も困る。
ただ漠然と努力させては・・・余りにも指導側の無能さの露呈にも繋がる。
努力は適切に指導する事で結果を得て、自信に繋げてこそ更なる努力に繋がる。
俺はそう思っている。野村監督の考え方と一緒。根拠なし努力の確立は低い。
まっそんな訳で弟子のたまご育てが始まった・・・そのオ-ドリ-のへきぺき卒業記念。
これは自宅で作って来たもの。目地以外は全く問題無し。ぺきぺきなら1人でそこそこの
グレ-ドで作れるようになった。
ぺきぺきには指導はもういらない。経験値だけでいくらでも上手くなる。
それについては大作と大作の間の遊びの作品で上げて行く。
そんな中で、俺は・・・
なる人達はここからが全く違う方向になる事が多い。
そもそもぺきぺきが上手くなったから・・・・とかもっとモザイクってものを本格的に
やってみたい・・・とか、何しろぺきぺきでは物足りないから・・・何らかの理由がある
がしかし、理由の無い状況で始めると余りに時間が掛かる事や硬さの違いや、ぺきぺきでの自信が崩れて行く事が大いにある。
だから、1作目は1cmタイルを色々な形を切ってタイルの硬さや小ささに慣れる事。
この時におっsanのように選択した題材が人体と言うそっくりに作る・・・を選んだ人は
その下絵がおっsanの腕でも出来るであろうと思われる大きさに拡大しないと作れない。
何故なら似ていない・・・ならまだしも作れない・・・切れないになってしまうから。
そこで拡大するのであるけれど、まさかこんなに大きくなければ出来ないの?
がほとんどの人の感想なんだけれど、ここはある程度ブログを読んで下さっている人には
ご理解されて来た。そしてそれに時間を掛けこつこつやっていると、いつの間にか慣れ
これだけ出来るようになってます・・・・って代表作品になりつつあるのがおっsan。
ではオ-ドリ-は?と言うと、もうすでに世界観があってオリジナル性と言う点では
ほぼ確立している。がしかし、今度はその下絵の精度を上げて行かないと、
童話の挿絵のようで、このままでは例え1cmのタイルに慣れて上手くなったとしても
それを回りの評価として判りづらくては、この先続けるにあたって気持ちの維持が
難しくなる・・・なんて事にはさせたくは無い。何故なら私もいつか弟子ってなる事は出来ますか?と名乗られたからである・・・・本気なの?良い事なんて俺が売れるまで
無いんだよ・・・と湯婆婆やったのに、はい・・・と言うのだから、一応説明した。
条件は2つ。一つはモザイクを一生辞めない事。1つは日高氏に認めて貰う事。
奴に出来ない・・・と思わせる事で対等で構わない・・・とね。
一緒にやって行く・・・とは、仲間が腕を認め合う必要がある。しかしそこが本当に認められた評価で無いと、自信にはならないし増して先生である俺の評価では、信ぴょう性が
問われる。そこで俺が育て日高氏に見せられると判断した時に、評価してもらう・・・
弟子にして良いか?ってね・・・・
奴が良いよ・・・と言う事は、奴は仕事として付き合って行く上で、目線は一緒だし
必殺のドラマと同じでいつか分け前も同じでも構わないんだな・・・と言ったも同じ。
奴だってそうそう良いよ・・・とは言えないだろう・・・・だから厳しい。
そう言う点では、さくらにしろかぐやにしろ、以前いたもう1人にしろ3人は日高氏が
認めた凄腕。俺自身も物凄く自信になった。
弟子・・・そう名乗ってはいないが、次の作品次第ではキウイは日高氏に見せても良い
腕になったと思っている。そんな話もした。
それでもやるのか?大変だよ・・・でもモザイクは絶対辞めない・・・って言うのだから
じゃ上手くする・・・それのみの追求の教え方をしなければならない・・・
じゃ何時間でもそこでやってろ・・・俺も作品作りするから。俺が作っているのを見るも
良し、何時間そこでやるも良し、好きにしろ。
俺も遠慮しないし、好きな時に来て好きなようにしろと伝えた。まずはモザイク漬けに
なる事。今日はそんな中10時間近くやって行った。ヘトヘトになってた・・・・
そんな中、キウイが次回作の下絵を持って来た。オ-ドリ-も見ていた。
キウイに確認したからやって良いよ・・・と言うと喜んで帰った。
それを見ての感想は、下絵が上手くなったなぁ・・・だけど、オ-ドリ-もそう思った。
ここが大事。評価とは、モザイクしていようがいまいが、それぞれであっても
こうして俺もオ-ドリ-もキウイの下絵を上手い・・・と評価した。好み以前の問題。
この下絵の時点で上手い・・・と言うのなら、最近のキウイの作品の腕からしたら
想像は付く。こりゃハイグレ-ドな作品になるわなってね。
それを例に話を始めた。これから続けるにあたって評価って大事になる。この国では
美術芸術は美術館、アニメでは美術館には入れない・・・と評価は低い。
宮崎さんが上野の美術館にあるのならまだしも、オ-ドリ-の世界観はそのままで、
評価を上げていく教え方をして行くにあたって、まずは同じパ-ツを何個切っても
同じ様に切れる・・・そう言う精度を上げていく・・・その追求をして行く・・と。
何しろオ-ドリ-の世界観は変えたく無いから。精度で勝負。と・・・
そうすれば必ず評価はもっと上がるはず。あぁ可愛い・・・ではいつまで経っても評価が
低過ぎる・・・では折角の努力が報われないのでは教える側も困る。
ただ漠然と努力させては・・・余りにも指導側の無能さの露呈にも繋がる。
努力は適切に指導する事で結果を得て、自信に繋げてこそ更なる努力に繋がる。
俺はそう思っている。野村監督の考え方と一緒。根拠なし努力の確立は低い。
まっそんな訳で弟子のたまご育てが始まった・・・そのオ-ドリ-のへきぺき卒業記念。
これは自宅で作って来たもの。目地以外は全く問題無し。ぺきぺきなら1人でそこそこの
グレ-ドで作れるようになった。
ぺきぺきには指導はもういらない。経験値だけでいくらでも上手くなる。
それについては大作と大作の間の遊びの作品で上げて行く。
そんな中で、俺は・・・