katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室と理髪店のマーブルモザイク看板完成

2023-06-07 01:14:22 | モザイクタイル教室

今日はキウイ教室。そうね、こうして改めて見ると、何かもう終わりが見えて来ている気がするのね。そうね、こんな時に思うのは、もしあの大作が無かったら、これはかなりの大作であって、これだけの作品のグレードを見ると、そう簡単には俺でも相手にするのは難しいな・・・って感じ。

ん・・・そうだなぁ、例えばどんな楽器でも良いから、チューリップの歌みたいな童謡を演奏したとする。それと、クラプトンとか、葉加瀬太郎さんとか、一流ミュージジャンの人達と比べるとするでしょ?違いがはっきり判るかな?そんなの判るよって思う人に、比べる相手が、音楽を習っている人

って前提で、小学生、中学生、高校生、大学生・・・って比較対象者を変えたとして、アレンジなしで聞き分けられる?ほら手強くなって来たでしょ?つまりここで言いたいのは、タイルを切る張るって言う技術は、手慣れて来てここまで来ると、余程の目を持っている人で無いと、差を感じる事が

中々出来ない事で、その差が判る目って言うものを持つって言うのも、実は技術の一つだったりするのね。まぁ簡単に言えば、毎日の買い物。俺では、見抜く目が無いから、値段と量だけで買ってしまうのが、ベテランのお母さんなら、これが新鮮とか、比較してこっちとか、料理を作る前に、

同じ品物を買ったとしても差が出る。そんな目って言うのも、常に言っている、目に見えない力って言う技術だったりするのね。そう言う目で見た時に、このレベルの作品を見ると、あぁこの人にはこの大きさでは、そう簡単に俺でも勝たしては貰えないな・・・って気持ちになる。

その意味は、まず作家katsuの目線ではライバルであり、これでは100対0では勝てない所か、きっと接戦になる・・・って感じるんだろうね。所が先生katsuとなると、全く逆でしてやったり・・・って感じで、ここまで出来るようになったって思うのね。ただ、既にあの大作を作った人だから、

当たり前と言っては、当たり前なんだけれど、改めて凄いな・・・なのね。まぁ確認みたいなもの。それと全く同じような事で俺の看板。

目地入れもして夜完成したんだけれど、キウイが凄いな・・・って言ってくれたが、何度と無く大理石のモザイクも見ているし、もっと大きな作品を見てくれているけれど、改めて思ってくれたんだろうね。そうね、流石にあんな大きさの大作はもう作らないだろうけれど、あれがあると、あの経験

から言うと、本人も小物って感じる分、作品の大きさに飲まれる事は無いのね。それは俺も同じで玄関やポーチの大きさをやった事があるから、この程度の大きさではビックリはしないし、もっと言えば、大きければ、そんなに細かくする必要のない扇部分で言うのなら、4分の1のカットをしている

時点で、手間が大きく掛かっているのね。しかも大理石。きちんと切って、きちんと張るだけで高級感が出る。実力うんぬんの前にね。逆に言えば、キウイの場合、ぺきぺきだから、どうしても高級感からは遠のくのだけれど、そこを繊細に切って高めている事が伺えるのね。

だから高級感すら出ているようにも見えるし、一番の嫉妬の部分としては、やはり元から女の人である特権のような作品で、綺麗とか可愛いって言う仕上がりを知っているって感じに見えるのね。この部分に関しては、俺は男であり、余程意識して作らないと、可愛いなんて言うのは難しい。

それが綺麗なら、ギリギリなんとかなったとしてもね。そうやって見ると、大理石は高級感はあるものの、色数は少ないのね。だから切り方やデザインと言った部分でしか差は出しづらいのね。その時に、その差って何?ってなった時に、先日の比喩の歌舞伎とスーパー歌舞伎の話ね。

この例えは、伝統や格式の保守って考え方と、斬新って革新の比較の話で、この大理石の場合、こんな道具を使って叩いて割る・・・こんな感じの表現になるのね。その道具が恐らく6万円位すると思うのね。それが保守側だとすると、タイル屋あがりの俺は、貧乏側で、アンドレで使用人で、

ロッキーで、野村監督で・・・って側だから、同じ道具では無いもので作らないとならないのね。じゃ何かって言うと、タイル屋さんなら誰でも持っていて、一生もう使う事が無く、あれどこだったけ・・・って位のもので、1000円しないんじゃ無いかな?って道具と普通のトンカチと硬いもの。

これだけなのね。ただ確かにそれでも同じように切れるんだけれど、当然切れ味とか不便さとか、色んな差が出たりすると思うのね。まぁそっちは数度しか体験した事が無いんだけれどね。ただ余程の目が無いと差が判らない程度だったとする・・・なら一緒に見えるかも知れない。

それだとね、保守側と比べられちゃうのね。そうなると、そっち側では、こうしないといけない、こうするべき、むしろ否定しか無いのね。結果が全てでは無く、所作とか同じであるべきとかになるから。だから、そこを革新側にならなきゃいけないのね・・・何しろ変わっている側だから。

じゃ何を何処を変えるか?になった時、大半の人は綺麗って言う前提の中に、均等にとか左右対称とか、ガタガタでは無く滑らかとか、こんな言葉が好きなのね。そうなると、トンカチでコンなんて音で切ったパーツなんて、繊細って言葉からは大きく反れるのね。ただ通はそれが良いんだけれどね。

そこで整える・・・って言葉に当てはまるようにしたくなるのが、タイル屋なのね。きちんとちゃんと・・・曲がらない。ほらきっちりでしょ。つまりそのガタガタって言うのを滑らかにサンダーって道具で擦るのね。そうすると字が滑らかになるのね。ただそれを全てにやると機械な感じになる。

だからわざと4分の1を切って、ガタガタに見せる事で、手作り感や、保守的要素を入れたのね。ただこのさじ加減って一体誰が評価するの?ってお客さんなのね。ただこの説明を今回はとてもしやすいのね。何故なら理髪店さんだから。素人のオーダーに答えるんだけれど、やれあぁだこうだって、

毎日言われる側になるのだけれど、恐らく腕があるなら、その人が最善なら、完璧な仕上がりであっても、見る側のお客さんの目が、技術では無くフィーリングと言った感だったりすると、イメージと違う・・・の一言でやり直しなんて事も多々あるだろうね。って事なんですよ・・・って、説明は

既にしてあるんで、オーダー変更は無理なのね。まぁそこも踏まえての完成なんだけれど、キウイにはこのスーパー歌舞伎的な作品が理解出来たからの評価だったんだろうね。何の何処が違うのか・・・良い目を持っているのね。

 


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