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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

杏さんとリピーターさん教室とたんぽぽのモザイク

2025-04-28 07:13:26 | モザイクタイル教室

今日はうちの犬の杏さんとリピーターさん教室。まずは杏さんから。尻尾付近をやっていたが、ネモフィラの分量の話なんだけれど、後半の上部になったら、後はコロって淡いタイルをクラッシュで・・・って感じ。ここなんだけれど、

後は・・・って事は、イメージとしては、残りは・・・って感じに思えるのね。じゃ一体、どのくらいネモフィラを作れば、残りは・・・って見えるだろうか?

例えば3割ネモフィラ後はバック・・・4割ネモフィラ後はバック・・・こうして考えた時に、この辺かな?ってラインがあると思うのね。その時にバックに

いよいよ入ります・・・って事になるでしょ?その時に、最初からバックはネモフィラにしようと思っていたとしたら、ちょっとだけ覚悟があると思うのね。

だって犬の時間も結構掛かったのに、まだネモフィラにも同じくらい掛かるだろうな・・・って想像は付く。しかしながら、もし犬終わったぁ〜後はバック。

って思っていたとしたら・・・えーまだ掛かるのぉ・・・になる。そんな時に、先生としてネモフィラを作りたい・・・って言われたら、じゃ最低ここまで

・・・って考え方もあれば、最高を選んでここまで・・・ってアドバイスもあると思うのね。その時に、どちらかと言うと、俺の性格的には、最初から最高の

方を選択せず、その人のその時の雰囲気で、分量を変えたりするのね。この位って具合に・・・今、杏さんはその辺にたどり着いている感じなのね。

ここから増やす?・・・もし増やすなら薄くして行って、段々・・・って減らして行くって感じになる。ただ問題はこんな大事な時に、どんな調子か?なのね。

それがいつもの杏さんなら、質問に普通に答えられるが、もしいつもよりも、気が落ちていたとしたら、消極的になるだろうし、逆に調子が良すぎたとしたら、気分が良いからノリで、行っちゃうぅ・・・なんて気分になるかも知れない。

気分って言うのは、見た目では判断は難しいのね。今日はどうやら調子が良いって方では無かったようで・・・ただ元通りに戻れるきっかけにはなったと、

思うんだけれどね。そんな後はリピーターさん教室。

久しぶりにいらしたんだけど、こんな場合、まだ始めたばかりだから、えっと・・・って感じに忘れる事が多いものなのね。しかも切るって事にも不慣れ

だから、思い出すのに時間が掛かるのね。更に久しぶりって事で、さっやるぞ・・・って意気込みで来た時に、頑張って進む・・・って思い過ぎれば、

進みが悪かった時に、何か進まない・・・って気分が滅入るし、逆に久しぶりだから出来るかな・・・って性格なら、良かった何とか進めたぁ・・・って、

気分にもなる。そう言う点では、期限に終われる事が無くなった分、焦る事が無くなったんで、それは条件が良くなったけれど・・・さて。

今日は両サイドの青い部分だったが、張る部分が多く切る事は少ない。けれど、ここも同じで、張ると切るって2つの技術があって、どっちが難しく思う?

って質問したとすると、ほぼ切る方って答えるものなのね。それはタイルは切る事は初めてだから、切れないだろうけれど、ボンドこそ違っても、シールを張る

とか、木を張るとか、何かをくっつける・・・って経験あるし、それは平気だろう・・・って言う事からなのね。その時に、まず切るは難しいだろうな・・・

って判断は、警戒している・・・って気持ちなのね。つまり過信していない。こんな場合、見なくても失敗する可能性は低いのね。だって意識が高いもの。

でも張るのは簡単・・・みたいに過信した場合、簡単だと思えば思うほど、意識の中で簡単と思っているから、このくらいは進められる・・・って思うのね。だから、知らず知らずに油断しているのね。

ただ厄介なのは、思っているのは脳なのね。本人に自覚が無いから。その時に、そうなのかぁ・・・そうだったのかぁ・・・って思うような人は、

とても素直だから、是正する意識が働くから、その意識は行動に現れる。ただこれが厄介で、人は簡単に思うって言葉にすると、先生に舐めてました・・・

って伝わると思うと、まずいからそんな事は思っていない・・・って言ったとする。言葉に出るのは思っていない・・・なんだけれど、もし脳が思っていたと

すると、完全に脳と自分がマッチしていないのね。これがストレスの仕組み。そもそも良く棟梁がそんな事考えてもいなかった・・・って口癖なのね。

そう考えてもいない・・・って言葉にしている時点で、本人は意識が無い。つまりそれは無意識になる。その無意識こそが自覚が無い・・・に繋がるのね。

ある意味、こんなに正直な人は少ない。つまり指導は自覚する事になる。例えば、本人はまだまだ・・・と思っているようだが、明らかに上手くなっている。

しかしながら、本人はどうせやるならもっと上手くなりたいと思っているのね。確かに文字としては素晴らしいし、何も間違ってはいないのね。だから、

普通なら聞き流しているはずなのね。所が本気で向き合うなら、とても馬鹿げている・・・って思うのね。何故なら、もっと上手くなりたい・・・って、

どの位の事なの?・・・って質問すると、もっと・・・って詰まる。それって子供にいくら欲しいの?沢山・・・って言っているようなもので、大人な回答では

無いと思うのね。つまり具体的になのね。何処の学校に行きたいの?凄い学校・・・なにそれ?って話でしょ?じゃ質問を変えると、棟梁にとってモザイク

って何?・・・まっ、大抵は趣味って言うのね。じゃ十分上手いじゃん。しかも廻りも言うんだから、自己満足でも無い。十分過ぎるのね。でももっと・・・

って。じゃ意識を変えて、趣味じゃ無い言葉に変えて・・・そこで趣味の上になるように、生きがいにしましょう・・・って提案したのね。趣味よりも重くなり、本気さ加減も変わって来るからね。

さてこれならもう意識は十分だし、このままの気持ちで終われば、それでもう十分だよね?・・・てももっとになる。ある意味、何処まで行ってももっと・・・

あのねー、それはプロ顔負けとか、プロしか無いよ・・・なのね。高みに行きたいなら、足りないのは単なる覚悟だけ。もう十分上手いのね。

これが他人事の笑い話。要するに自覚が無いって言うのは、自分と脳が一致しない事なのね。ストレスの原因も、口に出す言葉と、脳とが正反対になる。

しかも自覚が無いから、何でこうなるんだろう?って悩む。悩んだ所で何も解決するはずが無い。だって是正する気が無いから。ただ人は忘れる能力がある。

だから時間が解決する・・・と言うが、解決したんじゃ無くて、誤魔化し慣れしているだけなのね。だから、また必ずその日はやって来る。だって是正して

無いんだから・・・しかも物作りは自分自身の鏡。だから真摯に向き合うのなら、その時の自分だし、疲れているのなら疲れた自分が作るのだから、楽しい

楽な気分のものを作れば良いし、自分に余裕があるのなら、大作に向き合えば良いし、でもいつもいつもコンスタントに気分が良い訳じゃ無いし、それなら

休憩して小物で遊べば良いし、いずれにせよこんな話を聞いてイライラするような人は、きっと病んでいるだろうし、全くその通りだわっって人は、絶好調

だろうし、だってこんなの当たり前じゃんって笑えるだろうから。余裕がある証拠だし、逆に痛いとこ付いてくるなぁ・・・って人は、自覚はあるけど、今は

痛い・・・ってちゃんと判っているから、大丈夫だし、これを聞いてムカつくなんて人は、他で頑張って・・・って言った方が楽に慣れるかなぁって思ったり

もするのね。いずれにしても、人と向き合うって言うのは、本気で向き合うとその人の痛みを一旦わずかながらも背負うものだから、結構疲れるものなのね。

ただこっちも先生慣れしている事もあって、慣れちゃ行けないけれど、割としなやかに強くなった気もするのね。まぁ体験とは違って、本気で教えると結構

疲れるものなのね。とは言え、その後はたんぽぽのモザイク。

まぁ何とかなるだろう・・・って感じにはなって来た。


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