katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

中学生教室2組

2021-07-19 07:37:37 | モザイク教室

今日は午前と午後の中学生教室。最初はぺきぺきで作っている子から・・・何しろネタばれしないように見せるのが難しく、前回何処アップしたっけ・・・になるんだけれど、モチーフによっては、何処を写しても判っちゃうものもあって。

今回の2人は中々壮大なスケールの構想で、何か思い付きってモチーフの決め方じゃ無いので、あれこれと作らないとならないのね。例えば、メインがカレーやパスタなら、1点に集中って感じになるけれど、そこそこ気取った御膳となると、色んなモノが必要になる。

それが今回二人共、御膳って感じのモチーフなのね。だから、これが朝の御膳なら、魚がいて、たまご、のり、みそ汁、小鉢・・・って具合に色んなモノが必要になる。それを魚の種類、たまごも生のままなのか?出汁巻きにするのか?とか、

みそ汁の具は?って感じに、同じお題だとしても、考え方1つで大きく変わって来るのね。そこを決めるのは自分達だし、こちらとしては、やれる時間からして、どれだけの事が出来るか?とか、それをやるにはどの位の時間が掛かるか?の予定を立てたり、

単なる技術指導だけじゃ無かったりするのね。そんなこんなで話は戻って、だいぶぺきぺきに慣れて来たのね。だから、もうこうして切って・・・とか、こうして張って・・・と言わなくても良くなったのね。こうなると、どんな形が適切か?

みたいな話が出来たりする。そんな中、見なくても上手くなった・・・と判る話が、後ちょっとだったのに・・・とか、欠けちゃうんですよね・・・とか、そんな事を言うようになったのね。まさに上手くなった証拠なのね。

そもそも最初良くある話は、切れるのかな?の不安の中、数枚切ると、あっ切れる・・・と安心する。こんな事が普通なのね。それが手慣れるのなら、楽勝な感じになるのが順当なのに、手慣れてから、欠けちゃうなんて言う事になる理由は、

こだわりのパーツを切るようになったからなのね。勿論、言わないで、楽勝って終わるのならそれはそれでも良いのね。ただそれは終わった・・・って作品になるだけなのね。例えばさっきの御膳の話に戻ると、たまごは生のままと、焼くのでは手間が違うのね。

焼くってどう焼く?ってこだわりが増えて行くのに対して、そのまま・・・つまり狙って切らなくても、割っただけでも作れるのだから、どちらもモザイクです・・・なのね。ただ、どう違うか?はやればやるほど判るものなのね。

まっ、これだけの丸を特訓のように切れば、タイルを切るって行為に慣れるモノで、この位になると、先日の話のように、ストライクばかりを投げずに、狙ってボールを投げるようにする・・・って意識しないと、全部ちゃんとになってしまうのね。

いずれにせよ、次回あたりが1回目のヤマかな・・・そこがこの先どうしようか?の判断する所になると思うんだけど。そんなこんなの午後の子は・・・

こちらはリップルで立体なのね。これはモチーフがリップルに合っていたからなんだけれど、立体は平面と全く違うのは、下地の段階でそれに見えないと、いくらモザイクが上手くても、そこそこの見栄えにしかならないのね。

まっ簡単に言えば、幼稚園の子が作った下地に俺がモザイクしても、グレードは上がらないみたいな話。つまり平面なら、コピースタートも出来るが、立体の下地をそこそこのグレードにしないと、この先辛い目に合うって事なのね。

ただそこはクリアーして、こちらも切る張るって事に慣れては来たものの、何しろ立体に張る行為の難易度は高いし、量も多いから、そこそこ果てしないのね。勿論、これだけを完成させても十分作品として問題無いのだけれど、構想的に、

物足りなさを感じてしまうだろうね。例えばカメです・・・はい見えました。良く出来ましたなのね。つまりそっくりに見えるのを目指す・・・この場合は、工芸品になるのね。それでは泣けないしね。感情移入が出来ないから。

それを芸術側にするには、浦島太郎の1コマ的に作ると、いじめから助ける場面なのか?竜宮城に連れて行って貰う海の中なのか?みたいな場面場面で、登場人物が増えるし、陸なのか海の中なのか?も問われる事になる。

それにしたって、そもそも浦島太郎って話を元に作ったのだから、オリジナルからは遠い。それを例えば、子供の頃に買って貰ったミドリガメが、あれから10年で20cmになってたとするじゃない?って事は、100年で200cmになっちゃうかも。

みたいな発想で、作ったとしたら?同じモノでもストーリーがあるのね。想像するって言うのはこんな事だったりすると、見た人が感情移入した時、工芸品とは全く違うものになる。これが芸術性なんてものに変わった瞬間だと思うのね。

そうね、そもそもが労作展の趣旨がいかに?ってのが問われるし、そんなの単なる宿題じゃんって言うのならねその程度のものを提出すれば良いのね。だから黄身がプルンとしなくても、たまごはたまごって感じで良いのね。

それはそれで結果を受け入れれば良いだけだから。でももしやる気側でやろうとすると、えっ?って思うような、有り得ない凄いモノがごまんとあって・・・何処を目指すのも自分の勝手なのね。そうね受験と一緒なのね。

高校なら何処でも良いって言うのなら、スーパーのたまご。でもこだわると、生みたてとか、ブランド、産地、保管の仕方、料理法、単なる卵掛けごはんでも、醤油にこだわったり・・・キリが無くなる。

何でも同じなのね。その人が何にどうこだわるか?になる。まぁ無敵なら一夜漬けって手もあるし、誰が見てもお母さんの趣味で作ったものを持って来たな・・・ってのも毎年あるし、証拠も無いからそれはそれでも良し。

ただ、一生懸命作った奴と同じ場所にあるのはどうかな?と思うけど・・・それは個人的な意見。いずれにせよ、俺は折角俺の所に来てくれたんだから、その子の描く、それ相応の形に持って行けないと・・・って責任はある訳で。

それと労作展は制作日誌があるのね。これはモノつくりに集中すればするほど、詰まんないし、めんどくさいし、最後適当にやれば、作品は凄いのに・・・になりがち。そう言う点では、そろそろそっちも気に掛けないと・・・。

7月も終わっちゃうしね。そんなに時間はある訳じゃ無いし・・・。


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