katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

kameyaさんの出張教室とリピーターさん教室

2023-08-26 23:41:04 | 出張教室

今日はkameyaさん教室。まずはりょうさんから。髪の毛を大量生産してあって・・・それを微調整しつつ張っていたのね。そうね、割りと順調に進んでいたと思うんだけど。と同時に大作のラパンさん。

ちょっと判りづらい曖昧な色合いに悩んでいたけれど、しるしを付けてあげると、何とか進められたようで・・・何よりだったのね。そして棟梁。

そうね、この位の実力者になると、やり取りが変わって来るのね。例えば、これをこの色でやろうと思うんですけど・・・それは待った・・・まず単なる好みの色なんて事を考える前に、一体それは何なのか?そしてそれをどう見せたいのか?って趣旨を考える事。

例えば、隠そうとしたとする。この場合は隠すがテーマだから、見えなくなるようにするのだから、タイルの切り方を周りと違う事をして、色は周りと同じものにする。そうすると見えづらくなる。虫が同化するように。つまりここで紺にした色を周りの色にすれば、丸い形が他に無いから、形に

気が付く人だけが見える。それを消えたように見えて、そして気が付いた人が1人でもいれば隠れキャラは完成する。それをもっと見やすくしようとするのなら、その色よりももう一番上の濃いものに変える。まぁこんな事は料理の味付けみたいなもんで、感覚の話になる。

つまり好みの色って始めるのでは無く、必ず趣旨を確認してから、その趣旨に沿ったものは何?って事を決めてから、それからが好みになる。この順番が身に付けば、大きくずれる事は無いから、伏線の回収なんて事は、誰にでも出来る事なのね。単に最初の趣旨を守れば良いだけ。

つまり棟梁が色の話をした段階で、とうりょうぅぅって・・・って言い方1つで、あっ・・・って気が付いて貰えるのね。その時点でほぼ指導は終わり。後は単なる好みの色を選んだ時の説明みたいな話。これだとこう見えない?これだとこんな感じ。これなら・・・って違いの説明。

選択するのは常に本人になるのね。まぁしかし、こんなやり取りを他の2人も見ているから、昔なら何言ってんだろう?って感じだったかも知れないが、恐らく判らない・・・って程では無くなったと思うのね。まぁ今は必要無くても、オリジナルを作る時は使う事になるだろうね。

さてそんな後は、アトリエに戻って・・・と言う所なんだけれど、リピーターさんがこの中間にあって・・・そんな訳で途中でピックアップしてお教室。まぁここも地味にだけれど、進んでいるのね。

リアルを求めると、パーツを1つ1つこだわりあるパーツを切る事になるから、ぺきぺきと言えど簡単では無かったりもするのね。ただそう言うパーツの繰り返しは上手くなるんだけれど、進みが極端に悪くなるのね。簡単に言えば成功よりも失敗の数がグーンと増えるから。

いずれにせよ、そこを耐えられれば、凄いね・・・って言われる作品になるんだけれどね。単なる色合わせなら、切ったパーツの全てが成功になるから、楽出来るし、それでもそこそこに見えるのね。それを選ぶのも自分なのね。そんな後は、例のタイルメーカーさんの続き・・・。

これでアイデア全てなのかなぁ・・・もう少し無いのかなぁ。なんてそれが欲張りなのか、まだまだなのか?・・・それが問題なのね。


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闘牛士の方教室

2023-08-26 04:09:38 | モザイクタイル教室

今日は闘牛士の方の教室から。先日いらしたんで、そんなに変化は見られないんだけれど、1日分が進むのね。当たり前の事なんだけれど、例えば月に1回の方がお休みになると、その月に変更が無い限り、翌月になるから、1回抜ける事になる。つまり最高で60日やらなかった事になるのね。

もっと言い方を変えれば、3時間x12ヶ月で36時間で1年だけど、それが33時間になるって事なのね。例えばこれを労作展の子達とすると、このひとシーズン、もっと言い方を変えると、9月までに100時間以上やるのだから、大人の時間の3倍以上はやる事になるのね。だから当然凄い大作になる。

当たり前の話なのね。それが闘牛士の方は月に2回をキープしているから、72時間が一年分とするのなら、2年やれば、大体労作展に出せる大作を作れる事になる・・・こんな話ね。これが単純な数字の計算での話なんだけれど、実はそんな簡単な話じゃ無いのね。今度は精神的な話ね。

例えば労作展の子供達は強制力、つまり宿題であるって言う決まりがある。だから必ず期日までに仕上げないとならない。これが完成に向ける気持ちになるのね。所が大人にはそんなものは無いし、もっと言えば趣味だから・・・と言えば、特に無理する事は無くなるのね。この差は大きい。

しかも、だから休めないって言うのと、だから休んでも平気って言う差にもなる。これが趣味の大きな欠点になるのね。ただこれが小物作りの作品のスタイルなら、数回で常に終わる作品作りだから、1回休んでも、作品を1個作れなかった・・・ってだけなのね。だから何も問題が無いのね。

所が大作の場合、60日も空けてしまうと、億劫になってしまったりもする。何せ普通にやっていても進まないし、果てしないのね。しかも、忙しい最中にやっているのだから、疲れていたりもする。そんな中でのひとときの時間を割いているのね。こんな事が日常になるのだけれど、それ以上の事が

あった時にお休みって事になる。ただ、そこの穴埋めが無いと、60日振りって事になれば、久し振り過ぎて、楽しい・・・と思うのか?逆に久し振り過ぎて、億劫になるのか?って言うのは、その人の気分次第なのね。その時に、ウチの犬みたいな場合、どうしても作りたいってモチーフと、何か好き

って位の場合のモチーフや、お洒落程度の感じの場合、当初作ろうって思った時のモチベーションを保つのは難しくなるのね。そこに宿題なんて強制力は無いからね。つまり大人の場合、自己管理しか無いのね。勿論、それでも、3年も掛かっちゃった・・・って、ある意味呑気なスタイルなら、

何のプレッシャーも無く、のんびり終われるが、中々そんな気持ちの人は少ないから、進まない事、果てしない事、何の意味があるのか?とか、そんな気持ちの葛藤が休む分だけ加わって来るのね。そしたら楽しく無くなるのね。逆に普通に定期的に通って当たり前のように来られると、常に通常

通りなんで、何も変わらないから、余計なプレッシャーは掛からずに、当初のままで進めるのね。ただいつも通りなだけ。いつも通りにいつものペースでいつも分だけ進む・・・何の変わりも無く。これがウサギとカメの話。ただいつもの歩幅分歩いていたら、到着した、完成したってだけ。

そしてそこで手にした大作はいかがでしたか?になる。これが労作展なら、もしかしたら受賞なんてサプライズがあるかも知れない。でも大人だって、その住まいの区や市の美術展に出す価値はあると思うのね。俺も最初はそんな事からスタートしたし、かぐやはそんな事を経て受賞までしたのね。

そして新聞にも載った。勿論だから何だ・・・って言われたら、それもその通りだし、ただその価値を高めたって証でもあったりする。いずれにしても、大作を仕上げたって言うのは、小物作品作りとは大きく差があって、だから大変だし、だから誰にでも出来る事では無いのね。

そんな事を踏まえて、闘牛士の方の凄いのは、男の人である・・・って事なのね。通常男の人って言うのは、仮に日本に男の人で作家って何人いるんだろう・・・って考えたら、それで生活している人なんて言うのはごくわずか。逆に女の人であって、旦那さんがいるなんて事になると、圧倒的に

主婦の方が多いだろうね。つまりプロと名乗っている人でも、少ない数になるのね。その位、現実味として、男が金にならない事を習ってまでしない・・・こんな生き物の中で、モザイク以外にも習っている・・・もはや有り得ない人の1人だと思うのね。とてもマレな方。

しかも大作を作っている・・・この果てしなさに耐える所か、まだ他の分野でも・・・どんだけ物作りに長けているのか・・・凄い精神力である。これが趣味って言って、あれこれ体験だけ楽しんでいる・・・って言ってもね男の人の分、物作り好きなんですね・・・だけで無く、ギャンブルやら酒

ゴルフ・・・普通男の人ってこんな感じだとするのなら、相当変わっているのね。勿論、ゴルフだってレッスンしているとなれば、これまた熱心だと思うのね。ただラウンドを回った・・・ってだけなら、好きな事を好き勝手にやって来ただけだから、楽しんだね・・・になるのね。

つまり習ってまでやる・・・って男の人にとってはハードルが高い事なのに、何個もなんだからね。もっと言えば、3時間座っているだけでも、難しいと思うのね。そう考えると、何もかもが例外。そうね、これが終わる頃には、何か変わっているかもね・・・。

さてそんな後は、先日タイルメーカーさんの社長さんが、他の社長さんを紹介したい・・・って話が決まって、来月ZOOMでお話する事になったんだけれど、相談なんで、それに対応する企画的なベースになる叩き台的なものを用意しないとならなくて・・・あれこれ考える事になる。

そもそもが、常識な事なら、俺に聞かずとも誰でも想像出来るだろうから、何の意味も無いのね。つまり俺に聞くのなら誰も考えない、非常識な事・・・こうならないと。予定調和の中で、変えようとしても何も変わっていないし、人とちょっと違うなんて事は、人も同じ事を考えているから

ほぼ変わりなしなのね。そこで問題なのは、ちゃんとした事はお金を出しやすいし、ふざけた事って言うのは馬鹿にされやすい。例えば、サザンだとして、今でこそ人気バンドの1つだけれど、俺が中学生の頃、友達には何だそれ・・・って扱いでもあった。そりゃデビューが勝手にシンドバッド。

沢田研二さんの勝手にしやがれや、ピンクレディーの渚のシンドバッドから取ったな・・・って思うようなタイトル。それは、完全無欠のロックンローラーみたいなコミックソング?って思わせるようなタイトル。勿論これをキャッチーな・・・って言えば、そうかも知れないけれどね。

それが3曲目には、いとしのエリー・・・となると、勝手にシンドバッドよりも良い響きに聞こえる。ちゃんとした感じね。こんな事1つでも、フォーマルとカジュアルなんて事を考えさせられるのね。同じバンドの歌のタイトルだけなんだけれどね。つまり例えば、今回の話の提案って場合ね、

勝手にシンドバッドの提案なのか?はたまたいとしのエリーなのか?って話ね。勿論、マンピーのGスポットなんて歌だってあるし、同じバンドであっても多彩な人は、色んな提案があるし、矢沢です、ロックです・・・って一生同じ路線ってスタイルもある。この場合、おふざけは一切無しになる。

いずれにせよ、相手が選ぶのだから、何が正解なんて提案の中に気に入ったものがあれば、それが正解に近いもので・・・ただ何故正解と言わないのか?って言うのは、選ばれたとしても、その提案は通っただけに過ぎず、結果が出た時は正解だし、結果が出なかった時は、失敗になる。

さていずれにせよ、何しろ満足出来る準備・・・

 


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