katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

また新年を迎えて・・・

2022-01-02 08:26:49 | モザイク作家

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。まぁこう言うのは儀式みたいなもんだから、別に元旦だから・・・って言うとみんなが共有出来る日って事なだけで、各々の誕生日なんてもんだって大事だったりするんだろうし。

何かしらの記念日なんて言うのもあるだろうし、いずれにせよ自分の場合は、まだ続けられる・・・これに尽きる。生き残った・・・また明日に備えられる。って。そう言う区切りに使うんだろうね。ただ結局やる事はモザイクなんだけどね。

それじゃ新年スタート1作目・・・それが表札。白黒、グレー位に色は抑えて・・・みたいな感じで、ブロック体、後はお任せ・・・って話なんだけれど、リボンの絵までは見せたんでそこまではOKだったはずなのね。

正直、楽を選べば後はバック・・・とクラッシュで黒でおしまいって事になるんだけれど、新春1作目なのね。何かねぇ・・もうちょっとね・・・それで張ってはいないんだけど、黒で影はどうかな?と思っては見たものの、こうするとかなりポップな感じになるのね。

ただバックがエミリアのマットの黒。左程目立たなくなるから、大きく変化は無くなるとは思うのね。だからポップさ加減は今よりは薄まるだろうけど・・・逆にもっと攻めるのなら、グレーで白字をくるむなんてのも良いんだけれど・・・。

ただ流石に何日も掛ける事では無いので、明日には張り終わらないと・・・。そんな中、妹の家に行くのに、両親が迎えに来て貰って行っているので、夕方迎えに行ったんだけど、母が帰りに泣いてたのね。色々思う事があるんだろうね・・きっと。

そうね、毎日の繰り返しだって元気な人でも、コロナで憂鬱だったりするけれど、いつか終わる・・・と思える体力と気力、そしてそれを支える資金があれば、何とか逃げ切れると思うんだけれど、老人って事になると、明日が来るとは限らない。

しかも、1年の区切りが娘家族と会える日と言うのなら、織姫と彦星では無いけれど、会いたいな・・・と思う会えない日を過ごすのも寂しいが、会えた喜びから一転、また日常に戻るそんな時間もまた寂しい気持ちも判る。

ただでさえ、そんな気持ちに明日があるんだろうか?これが最後かも・・・と思えば、来年がある前提と思えないと、心が折れたんだろうな・・・。ってこの程度の事は普通って言えば普通なんだけれど、ただね、目に見える事と目に見えない事って少し違うのね。

これを第三者的に見れば、泣いている母が一番悲しそうに見える。それが普通。では泣いていない人達は泣いていないから悲しそうには見えないから、何とも無いのか?って話。そしてもっと言えば、日常で泣く?そんな事は無いのね。

日常は、ほぼ毎日顔を出している俺では、そんな事は起こらない。つまり小さな事だけれど、明日がある前提だから、泣く程のサヨナラじゃ無いのね。でも1年に1回みたいな場合、その重みが全く違うものなのね。しかも元旦ってものには、そんな感じのプレミア感があるのね。

それと孫とかひ孫みたいになると、若いから明日がある・・・って勝手な思い込みで、しかも若いが故に夢がある。明日をいっぱい持っているように見えるんだろうね・・・そんな風に見えるから、明日が中々あるって言い切れない老人には、

溜まらない魅力・・・ここも力(りょく)、見えない力になる。それを一般的には力を貰ったような表現になるんだろうね。まぁパワースポットみたいなもん。俺はこんな時、幸せカードの切り合いなんて表現をするんだけれど、これは中々きついのね。

例えば妹には2人子供がいて、1人は結婚して子供がいて、こんな場合、孫を見せに来た所に・・・こんな登場人物の中、俺から見た甥っ子は、孫を連れて帰って来た・・・こんなシチュエーション俺には無かった事だから、本人は普通な事を

普通に出来ただけの事なんだろうが、これを第三者で見れば幸せ映像な感じに見える。ただ出来なかった側から見れば、みんな喜んでいるのだから、これが出来ると祝福感満載になるのだけど、それが俺には無い・・・って言うダメージになる。

しかも、そう思われないように・・・と気にすれば、気にしているのに気が付かれれば、気にさせてしまうから、祝福感満載に水を差す事になる。だから昔は顔を出す事を避けたのね。所がその時は良かれと思った事が、いつしか逃げてたのか?

って考え方になると、顔を出しても出さなくても、気にされていたらどちらも一緒・・・って事になる。そうなると、行くべきか・・・になった。って言うか、日常で行く事になったのだから、元旦だろうが、日常の1日に過ぎないからね。

簡単に行けるようになった。そんな中、例えば日常なら、両親は2人、俺は1人。ただ2人共に病院通い、俺はひとまず元気。どっちもどっちだから、お互いに幸せカードを持っていないから、日常は良くも悪くも左程何も起こらない。

でも今日の場合、孫もひ孫もいる。これは幸せカードとしては、とんでも無い威力になる。だからお別れを惜しむ。しかも泣く程・・・つまり簡単に言えば、そんなに悲しむ程、楽しい1日だったんだろうね。更に言えば、俺はそんな事を

母から奪った人って事になる。まぁ重罪だな。勿論、あくまで俺の考え方なんで、俺は・・・なのね。これを別に平気だし、何が悪いの?って思う人は、そのままつまづかずに生きられるんだろうが、こんな事でつまづいている側の人もいる。

ただ両親を迎えに行っただけなんだけれど・・・感受性豊かってのは、仕事ならそれは大きな力になるが、ただ生きるってだけなら、何にも必要じゃ無いし、むしろ痛い気持ちになるだけなのね。ただ、そんな事ばかりだと、辛い気持ちだけ

なんだけれど、それも何回も繰り返せば、慣れたりもするもんなんだけれど、帰り際に姪っ子が、これ私が作ったのね、一緒に食べようと思ったんだけど、これ夕飯にして・・・って。参ったな・・・はぁ・・・送迎だけなら覚悟はしたのに

オマケ付きかぁ・・・嬉しいやら、何も無くてすまん・・・って気持ちや、さっきのような人の気持ちまで、感情移入をしてしまうと、孫が来た妹夫婦を家族だけにしてあげなきゃ・・・とか、日常の3人になったこの雰囲気をガラっと変える

能力を俺は持ち合わせが無いし・・・当然車内は無口になる。俺に出来るのは送迎の運転手ってだけ・・・ただ今日は強制の段落替えがある。それがこの足でみーちゃんの所へ行く。ただ顔を見せに行くだけだけど。でもこれで雰囲気は変わる。

奴にはそう言う力があるからな。何でも笑いに変えてくれるから・・・そんなこんなで、やっぱり笑いに変えてくれたのね。何ぃぃ、寂しくて帰りに泣いたんだってぇ・・・よしよし。みたいな、そこに触れちゃうのかい?

インオペしないんだね。傷口開くんだ・・・でも痛そうじゃ無いな・・・流石なのね。しかも縫いもしないで・・・まぁ患者の気力が戻れば、日常に戻るだけなのね。マックで帰り道にアイス喰わせて・・・車内はほっかほかだから・・・。

まぁ後半は長い1日だったが、そこからアトリエに戻って俺も日常に戻っての立て直し・・・このまま帰ったら、ただのヘトヘトになっちゃうからね。俺は今年も良くも悪くも自分の居場所はアトリエなのね。こんなですが、今年もよろしくお願いします。


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