katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

中学生とリピータ―さん教室

2019-12-29 08:17:12 | モザイク教室
今日は前半がリピータ―中学生、後半はリピータ―さんの教室。流石に中学生はハンドルネームを言うと、もう始めてんの?みたいなプレッシャーになるのも何なんで、あえて伏せるとして、モチーフは決まって、サイズも決まり、いよいよ下地に描き写し始まった・・・そんな感じ。

次回はいつになるのか?は判らないけれど、いずれにせよ次回かその次には張り始まる・・・そんななのかな?そんな中、入れ違うようにリピータ―さんになるのだけれど、何しろ先日左手を怪我してしまったって事で、ギブスしている状態だったんだけれど、それが外れていて、ホッとした

のね。別にあったから、無かったからと言って、凄く良くなった訳では無いから、見た目の痛々しさから解放されただけなんだけれど、逆に本人しか痛みが判らないのだから、良く見ていないと無理されるのも困るし・・・ただ利き手じゃ無かった事が幸いって話なだけで・・・。

そんな中、頼まれていた下地は8cmくらいの丸が2つに、もう一つはドーナツみたいな感じの穴の空いた下地。それをブローチとかにしたい・・って話で、で、どうします?・・・となるのだけれど、本人はノープランだったらしく、えっと・・となるのね。その時に起こる事が、最高な事を

考えようとすると、どうしようかな?・・と悩む事になる。そこで浮かぶ事はサンプル。つまりサンプルとは先生が事前に用意してあり、それを作る手順まで教わり、しかも時間まで読んであり、順番通りに言われたままやっていると何とか完成する・・・こんな感じの事が浮かぶのね。

所がオリジナルって言うのはサンプルが無い。つまり自分で先生のようにサンプル作りをするかのごとく、0から悩まないとならなくなるのね。つまり考えないとならないのね。その時に大抵、泥沼に陥るパターンは、最後の最後結末まで決まって始めたくなるもので、そうなると簡単な話で

レシピ、図面、楽譜と言った決まり事を決めてから始める・・と言ったようなものなのね。それは無理なのね。それがたった3時間の中で出来たらその人は天才か?、思い付きの自己満足か?いずれにせよ、そう簡単に思ったように作れるのなら、先生はいらずにみんな作家さんになれる。

って事はまず全ての結論ありき・・ここを捨てる。これでスッキリした。0ベースで始められる。これが、あれこれ悩んでいても何も解決はしない時間はただ過ぎて行くだけで、虚しさしか残らずその上、お金が発生するなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある・・・そんな感じになるはず。

そこで、当然指導としては、そこを解決しないとならないから、まずその考え方を捨てて貰う。つまりレシピや図面や楽譜って言うのは、仕込んで仕込んで、仕込みまくったものの事で、思い付きのモノなんて早々無いのね。つまり考え方はアドリブなのね。思い付きやひらめき。

こんなインチキめいた、言葉1つで始めるのだから、さっきのきちんと良いモノを作ろうとした人からすれば、全く反対の話なんで、そう思い込んだ人でいればいるほど、インチキさが増して、納得出来ない気持ちになるのね。だって先が見えないからってね。所が素直にそうですよね。

と受け入れられる人って言うのは、一旦その考え方を白紙に戻せるのね。このスタートの違いが大きくこの後に結果が変わって来る話になるのね。まず前者の場合、自分の納得したものを作る・・強い意志みたいなものも感じられる。一見良さそうにも思えるが、それは思ったように、

進んだ場合に限るのね。では仮にモチーフをこの8cmで考えた場合と建築物としての玄関の床みたいに、一生に1回みたいな話の両極端の話で例えると、まずはその考え方で8cmに取り組んだとしよう。下地を生で見るのは初めてで言われた通りに作られている。ではどうします?となり、

えっと・・・って事になって、何分後?何十分後?何時間後?・・・張り出すのかな?考えがまとまるのはいつなんだろうか?ちなみにサンプル作りするにも、俺は下絵に何日も掛かってしまうんだけれど・・・。ではそんな人が一生に1回の玄関の床をやるとなったら?ほらもう果てしない。

つまり自分の思い描く良いモノが作りたい・・・って一見素晴らしい表現に聞こえるけれど、こんな事が起きたりするのね。勿論、こんな考え方をする人はツワモノだから、8cm程度は難なくクリアー出来たりもする場合もある。そりゃ海千山千のような人だったりするから。

つまり器用であり、あれこれと今までに色んな分野のサンプル体験をこなしてきたりしていたりするから、こんないきなりの場面、いくらでも体験しているだろうし、逆にそんな中で自分だけの何かをほどこしたりして、周りに上手いわね・・・なんて言われちゃったりもしていたりするもので・・・。けれどそれら全ては、体験の中の1時間や2時間で終われる話の前提であって、当然それなら8cm・・・こなすだろうね。

所が、では鍋敷き15cm、トレイ30cm、ミニテーブル45cm・・・と大きくなった時、いつものようにならなくなったりする場面が来るもので。つまりその人はそこまで止まりで、そこで初めて先生が必要になる人になるか?もう飽きたから・・・とか、次の分野に行く人になるのね。

恐らくこんな感じが前者。では後者では、スタートは良いモノが作りたい・・・ここは一緒なんだけれど、浮かばないぃぃって素直に表現しちゃうのね。困っています・・・って。そこできっかけ作りになるのね。ひらめきを作ってあげよう・・・ってね。それは何か?それが素材。

普通なら料理教室で、三枚おろしの勉強をするような人達なら、アジやイワシの大量に取れる安い魚で練習って感じじゃ無いのかな?(アジはともかくイワシは高級魚になっちゃったかな?)それをマグロは出さないだろうし、ヒラメやカレイみたいなイレギュラーな魚では無いよね?

そこをね、気分を上げないとならないから、今までに無い事・・・新鮮さとかが必要になるのね。これを今の実力からして・・・とぺきぺきだったりしたら、素材も切れ味も知っているとなると、それは日常になってしまうのね。勿論良い事と悪い事は背中合わせで、良い事は手慣れて

いるから戸惑わない。けれど逆に、驚きもときめきも無いからすんなりと・・・ってなってしまう。では怪我をしてまでいらっしゃる人が必要なのは何か?一体これは何か?と考えれば、自ずと答えは見つかったりするもので・・・。まず、怪我をして不自由をなさっているはず・・・。

それなら気分転換なんかが良いだろう。つまり予定調和はいらないかな?だって転換だから。つまりいつもと違うのが良いだろう。って考えたりする。しかもこれは何?となった時、身に着けるものとして使うって言うのなら、ひらめきはキラメキってすぐに思い付くじゃない?・・・

やっぱり身に着けるものなら、キラッが欲しく無いですか?・・・と見せると、可愛いぃぃって事になった。ほらスタート切れるでしょ?つまり0から1に変わった。ではこのキラッありきでスタートしましょ・・・になる。では1になったから2決めましょ。外側の縁取りをどうしましょ?

みたいに1にあった2を探し、決まったら張る。ではそれにあった3は?・・・と順番に張れば、あっ出来たぁ・・・って事になる。つまりオリジナルの練習なんだから、良いのを作るでは無く、練習なんだから、出来たら良いな・・・何が出来るんだろうか?なのね。

ん・・そうね、あそこに行く旅行みたいに場所が決まっているのでは無くて、ミステリーツアーみたいな感覚。同じ旅行でもね。しかも小物・・・つまり日帰りだな。それなら気負う必要は無い。これが世界旅行なら金額も張るし、行き先の判らない旅行なんて嫌だよね?

つまり大作ならガッチリ練ってスタート切れば良いのね。物事何でも例外以外はほぼ一緒。こうして1つ出来てしまえば、自分のサンプルがあるのだから、俺は目地まで大した役目は無いのね。ちなみに右は付きっ切りで、左は一切口出し無しの自力。こうして2つが完成したんだけれど、

本人曰く、こんな小さいの3つじゃ時間余ったらどうしよう?・・・って思っていたって。ほらね、やっぱり・・・でも、でも前回その話の時に3つもあれば大丈夫。って言いましたよね?って言うと、出来ると思っていた・・・って。そうね、思い込んでいただけなのね。

つまり思い込んでいればいる程、最初の過ぎて行く時間ってダメージは大きいのね。ただ、この方の勝因は受け入れるのが早かったのね。それからは迷いが少なく進んで行ったと思うのね。それはきっかけになったガラスタイルがドンピシャだったからであり、提案したものが当たった

事と、どうしようか?・・・からの思い込みを捨てて、これが可愛いぃ・・・の、ひらめきやら乗り換えやら、何でも表現は良いが、要するに切り替えの早さが結果に繋がったと思うのね。結果も喜んでくれていたし、良い気分転換になってくれたら、それが何よりなのね。

人それぞれの楽しみ方があるし、必然性もある。前半の中学生にしても、少し早いな・・・と思うものの、もっと良いのが・・・となれば、別に早いに越した事は無いし、時間を掛けるって値するものになれば良いと思うのね。しかし、単純に賞を取った人のもっとってどんな感じ?

って言えば、どの分野の子もそうだったが、恐ろしい程のクオリティ・・・それじゃ致し方無い気もする。しかも、早めに始動したとしても、仮に月1回にしても6月までに6.7回。でも下絵に取り掛かるだけで2回使った・・・それではちょっとグレードが上がる位の話であって、制作

時間を短縮する程の余裕にはならないのね。つまりより過酷になった・・・そう言う考えの方が正しいと思うのね。だから間違っても早い指導が安心では無くて、思っているモチーフのグレードを上げられる時間とでも考えた方が良いだけなのね。こうした必然性の話もあれば、後半の

気分転換なんて、腕を怪我しているにも関わらず、モノを作るって事の楽しみを知っている人は、じっとして映画を見るとか、ウインドショッピングのように腕には負担にならない事だけで楽しめる人とは違って、それらよりもこっちを選んでしまったりする人だったりして・・・。

没頭するとかって言うような夢中で時間を過ごす楽しさを知っていると思うのね。勿論、気分転換は没頭する程、コン詰める事じゃ無くて、あくまで気が晴れれば位の話で、過酷さは必要無いし・・・でも考えるって言うのは、一切怪我の負担にはならない事であって、それも結果が

こうして出れば、報われた楽しみとして成立したりする。特訓の人もいればリハビリや一時の気分転換、何でも良いが自分に合ったものが作れると良いと思うし、もっと言えば、習った時間が多い程、チャレンジも多くなれば、失敗や悩みも多くなったりするし、けれどそれを乗り切った後の結果は、自分に何が出来るか?のチャレンジをした人にしか判らない事であって、体験では得られない楽しみがそこにある。

人には追求しない気楽な・・・楽な楽しみ方もあれば、追及して自分自身のオリジナルのこれぞ1品を作りたくなる、苦労してでもの楽しみ方もあって、そこまで行ける人もいれば、行けない人もいたりして、自慢の1品は人に出来ない事・・・だからこそオリジナルな訳で。

いずれにせよ、先生として、その人が何が必要なのか?・・・オリジナルの作り方って言う点では、中学生の大作も凄いが、この方の小物作品も、ここでは珍しい身に着けるブローチみたいなものなんて、これもまたオリジナルであって、サンプル無しでもこれだけのモノが作れる。

そんな事例になるし、またこれを見た人の中で、私もこんなのを・・・なんて人も出たりすれば、それはそれでまた刺激にもなる・・・そんな話だと思うのね。一応これで予約のお教室は全て終了したのね。


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