katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

高洲公民館のサークル活動とわんちゃん

2016-06-16 07:11:08 | モザイク教室
今日は久しぶりに台湾からわんちゃんがやって来る。ただ高洲のサークルがあるので、合流って言うのはどうかな?って事になり、朝、アトリエに来て貰って一緒に。まぁ良く来たねぇ・・・お帰り・・・って感じでね、何しろ遠くて中々来られないけど、こうして毎年やって来る・・・。

頭が下がるのね・・・良くいらしてくれたってね。けれど、わんちゃんはいつか弟子になりたい・・・と思ってくれていて、本気で取り組んでいる。
だから、どんな事でも受け入れる姿勢があって、本気で先生と言うよりも師匠と思ってくれているから、技術うんぬんよりも考え方をも・・と、考えて、

望んでくれているのが伝わって来るので、本気で向き合える事が出来る。これは俺に取って有難い話で、上っ面の言葉や言い方、体裁、そんな事にはとらわれずに、真意のみを拾い集めてくれる姿勢が、スムーズに色んな事が進み、明日に繋がるきっかけをも教えやすい。

本来こんな関係は師匠としてきちんとした立ち位置を築いてから・・・そんな事が出来るものだけれど、今のこの程度の俺に、素晴らしい場所とは言えないアトリエを本当に楽しみにしてくれるのが、ひしひしと伝わって来る・・・・更にそんな人をキウイもサークルで向かい入れてくれる。

何もかも有難い話で・・・そんなこんなで、それでは張り終わったタピオカから。ちょいと時期外れにはなったけれど、お雛様が出来た。ただ目地は来月。じゃ時期外れ繋がりでキウイのも。


まっ、ここは放置でも十分作れる人なんでスルーにして、ではのりちゃん。


今日は葉っぱ。2枚の葉っぱの影を付ける・・・そんな所を悩んでいたのね。奥が濃く、手前を薄くして陰影を作ろうとしているのね。そうね、本来なら逆の方が一眼レフみたいな画像になり、メインをくっきり、バックはぼやっと・・・って言うのが良いとは思うんだけれどね。

ただひまわりの花びらも奥が濃く、手前を薄くしたのりちゃんの仕上がりを考えると、それもありかな?って感じで割と収まり良く出来ていると思うのね。では、アルルの母さん。


今日はガラスタイルで葉っぱ。結構悩んでやっているのが判るんだけれど、メリハリ・・・大きなガラスタイルの特性も生かすと、大胆な部分が無いと、単にタイルとは違う素材ってだけになっちゃうのね。良く言う大胆かつ繊細・・・ってあの言葉は、ドン・・・コツコツなのね。

この擬音を指導として聞いた事がある人なら、ジャンプした後に歩幅で調整・・・ってあれあれ。繊細だらけじゃ繊細さが伝わりづらい。もっと花びらよりもでっかいパーツで・・・もっともっと大胆に・・・もっと大人げなく。幼稚園に中学生くらいの・・・そんなパーツの部分が欲しいのね。

ただ葉っぱの先端じゃなくて、付け根側に大きくね・・・・繊細なのは先端。そんな事を意識出来ると、雰囲気も変わって来るはず。ではお母さん。


ここはアトリエに来た時に指導って事で、ここはスルー。まっ、いずれにせよ、わんちゃんがここに入っても何とも無い理由の1つはこれ。


何しろ和気あいあいだから、ただ馴染めば良いって思う人もいるだろうけれど、そうでも無くて、サークルなのにみんなお気楽簡単なんて言う感じの作品じゃなくて、見る人が見ればかなりの難易度がある事をやっているのね。そこへ初めて行けば、みんなの雰囲気と作品の内容の違いにハッとする。

ただ、わんちゃんの場合、この作品なのだから、スイっと馴染めるのは、見劣りしないから。芸は身を助ける・・・じゃないけれど、そこの雰囲気に飲まれなくても済むって話。勿論、そこにキウイの心遣いもあって、みんなにわんちゃんが何者かを事前に伝えてあったのも大きいのね。

そんなこんなでアトリエに戻ってのお教室もやって終了。そうね、1つだけテクニック論なら、葉っぱの意識って話なんだけれど、誰でも出来る擬音の表現で、菖蒲やあやめのような葉っぱを言って見て?・・・・スラーっと・・・・なんてどうかな?

もしそうそう・・・なんて人だったら、スラーってどんな感じ?・・・横に広がると思う?普通はスラーとしたって伸びるって雰囲気無いかな?つまりそう感じる事が出来るのなら、だからパーツが縦に長く使いたくなる。じゃその下の大きなボタンのような花は?

逆の検証で言えば、カクカクとか、ゴツゴツした角張ったパーツで構成されているのだから、そんな葉っぱに見える・・・として、じゃ次に作ろうとしているハスの葉っぱは?・・・どう見える?・・・フワッっとか、ユルッとか、少なくてもスラーでもゴツゴツ、カクカクでは無いのだから、

今までの葉っぱとは質を変えないと。それを葉っぱは緑・・・ってただの色のみで考えると、単に塗り絵のようになる。そうじゃなくて、まず意識。
タイルがきちんと切れるようになったら、作るモノを口でこうして表現をする。説明じゃなくて、自分なりの表現をする。

そうした擬音のような単純な表現を作れないのなら、難しい表現なんて説明のようにした所で、まずそうには見えないだろうね。まずは擬音。
それをその通りに作れるようになったら、そこに味付けのようにして行く。まっ、これが基本のような気がするね・・・あくまで俺はね。

ただ、弟子でも無いけれど、わんちゃんはブログを見ているから、この話は知っているけれど、伝わりが浅く、体も使ってやって見ると、そうかぁ・・・って理解したようで何より。ついでに余計なお世話だけれど、菖蒲かあやめの茎や葉っぱが短かったので長くする事を勧めたんだけれど・・

ただ単に長さだけの理由からだけじゃなく、流れる水を邪魔するように作るべき・・・そしてそれをすり抜けて行くように・・・と。
それが出来ると、この作品にもっと重みが加わる。ただ作り手はきっと傷付くかも知れない・・・気持ちをしっかり持って作るように・・・。

それと、この作品をこのままの意識を持って終わる事が出来るのなら、どうぞ弟子と名乗って下さい・・・とねぎらって見たのね。
こんなお節介な指導すら受け入れられるのは、本気で教わりたい・・・と思って下さる証拠。今の俺程度に・・・と思うと勿体ないし、有難いのね。







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